スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典安田記念&歴史的条件と地理的条件

2015-06-07 18:59:00 | 中央競馬
 春の最強マイラー決定戦,第65回安田記念
 ダイワマッジョーレとサトノギャラントは出負け。サクラゴスペルは控えて下げました。ミッキーアイルが好発でしたが,騎手が抑えていたように逃げる気はなかったよう。外から押していったリアルインパクトの逃げに。ケイアイエレガント,レッドアリオン,ミッキーアイル,モーリスという隊列になり,その後ろはフィエロ,クラレント,サンライズメジャーの3頭。ブレイズアトレイル,メイショウマンボ,ダノンシャークと続き,逃げることも予想されたカレンブラックヒルはその後ろに。そしてヴァンセンヌがその内。前半の800mは45秒9のミドルペース。
 直線の入口ではケイアイエレガントがリアルインパクトに並び掛けましたが,すぐ外にモーリスが絶好の手応えで追い付き,残り300m付近では先頭に立って,抜け出しました。追ってきたのはクラレントと,内から進出しそのクラレントが抜けた後を続いてクラレントの外に出したヴァンセンヌ。クラレントは追いつけませんでしたが,ヴァンセンヌは抜け出していたモーリスとの差を詰めてのゴール。しかし差すところまではいかず,優勝はモーリス。クビ差の2着にヴァンセンヌ。クラレントが1馬身4分の1差で3着。
 優勝したモーリスは前走のダービー卿チャレンジトロフィーが重賞初勝利。年明けから4連勝目が大レース初制覇。折合いに課題があるかとみられましたが,今日はかなり前に位置して折り合えました。横綱相撲に近いようなレースで,着差以上の評価も可能かと思います。ただ,きわどく差を詰めた2着馬も高い能力を有しているといえ,この2頭はワールドクラスで戦えるのではないでしょうか。父は2008年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のスクリーンヒーローで,その父はグラスワンダー。祖母は1989年のクイーンステークス,1990年の金杯(中山)とアルゼンチン共和国杯,1991年のアメリカジョッキークラブカップを勝ったメジロモントレー
                         
 騎乗した川田将雅騎手は昨年のエリザベス女王杯以来の大レース制覇。安田記念は初勝利。管理している堀宣行調教師は先週の日本ダービーに続く大レース制覇。第61回,62回に続き3年ぶりの安田記念3勝目。

 まず一般論として,任意にふたりの人間を抽出したとして,その両者が知己であったことを証明するためには,不可欠の条件がふたつあります。ひとつはふたりが同じ時代に生きていたという意味の歴史的条件です。もうひとつは,ふたりの生活圏が重複していたという意味での地理的条件です。
 スピノザは1632年に産まれ,1677年に没しました。フェルメールは1632年に産まれ,1675年に没しました。同年に誕生し,スピノザの方が2年だけ長命であったわけですから,歴史的条件の方は十全に満たされます。
 スピノザはオランダ,僕はネーデルランドのことを便宜的にオランダといいますが,オランダで産まれました。おそらくオランダ国外に出たのは,ユトレヒト訪問のときだけであったと思われます。といっても,この当時のユトレヒトはフランスに占領されていたというだけで,元はオランダの領土であったのですから,実質的にはオランダから出たことはなかったといっていいかもしれません。一方,フェルメールの誕生地もオランダで,国外に出た経験の有無は僕には分かりませんが,画家としてはオランダで活動していました。ですから地理的条件の方も満たされているといわなければなりません。
 地理的条件に関しては,マルタンは別の材料も呈示しています。フェルメールの絵画に,「デルフト眺望」という作品があります。このデルフトは地名で,フェルメールはそこに住んでいたのだそうです。スピノザはおそらく1670年に,デン・ハーグに移住し,そこが終焉の地となりました。デルフトとハーグは隣接した町なのだそうです。「デルフト眺望」はハーグにあるマウリッツハイス美術館で展示されているようです。したがって,スピノザとフェルメールは,単に同じ国に住んでいたというだけでなく,もっと近い地理的範囲で接近していたと解することが可能であることは否定できません。よってマルタンが示しているこの材料は,地理的条件の充足性を補強するものであるということも,僕は認めます。
 歴史的条件も地理的条件も,スピノザとフェルメールが知己の関係にあったことを否定する根拠をもちません。
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