スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

提携の拒否&神の自由の領域

2015-02-07 19:40:38 | NOAH
 馬場はWWFとの合同興行には,新日本プロレスも参加させるという形で協力しました。しかしその後,佐藤昭雄から業務提携を打診された際にはにべもなく断りました。結果,WWFは全日本から離脱した天龍源一郎が所属したSWSと提携。SWSに主力級の選手を送り込むことになったのです。この提携の拒否の理由はいくつか考えられるところです。
                         
 合同興行は1試合だけですが,業務提携となれば継続性が求められます。WWFが全日本プロレスに対して様ざまな要求をしてくることが考えられますので,馬場がそれを嫌がったというのはその理由のひとつになるでしょう。
 ここで僕が要求といっていることの中には,金銭的なものが含まれます。そうした要求に応えられる財力が全日本あるいは馬場にあったかどうかが不明です。ただ,佐藤が提案していることから類推すれば,支払いが無理になるような要求をしてくるのは考えにくいのも確かだと思います。
 ただ,WWFの選手が参加してくれば,ギャラの支払いが必要になるのは事実。仮にそれが,それまで全日本に参加していた選手に支払われていたものに対して高額でなければならなかったとしたら,それだけで馬場には拒否する理由になり得たと考えられます。基本的に馬場は,全日本プロレスを一会社というより,ファミリーとして捕えていた側面があったからです。このファミリーには,それまで継続して参戦していた外国人選手も含まれていました。たとえばWWFから参加する選手のギャラが,ずっと全日本に貢献していた不沈艦のギャラよりも高額でなければならないとしたら,それは馬場には受け入れることができない要求であったと考えられます。佐藤が馬場に拒否された後,すぐにSWSに話をもっていったかどうか分かりませんが,SWSは全日本や新日本と比較したなら潤沢な資金がありましたから,WWFの選手たちに高額のギャラが支払われていた可能性は否定できないように思います。
 いずれにせよ,結果的に馬場の選択が賢明であったことは間違いないでしょう。この選択なしに,最良の時代を迎えることはなかった筈だからです。

 真偽不明とライプニッツが判断するであろう事柄は,モナドのうちに表現され得ると理解しておくのが妥当であると僕は思います。表現され得るという意味は,実際に表現されるモナドがあるということです。しかし,真理の場合とは違って,すべてのモナドのうちに表現されるわけではありません。表現されないモナドもあるのです。このことは同時に,真偽不明ということが,非真理とは明確に異なることも意味します。非真理はあらゆるモナドのうちで表現されませんが,真偽不明の事柄は、表現されないモナドだけでなく,表現されるモナドもあるからです。要するに,真偽不明の事柄に関しては,神はそれを表現することもできるし,表現しないこともできるとライプニッツは考えているようです。いい換えればそれは,ライプニッツが真偽不明と判断する事柄に関しては、神は創造することもできるし創造しないこともできるという意味なのだろう,あるいは真偽不明の命題文に関しては,その表現内容が真であるような世界も可能世界だし,偽であるような世界も可能世界であるという意味なのだろうと僕は解します。つまりこの部分に,ライプニッツは神の自由という領域を認めました。ライプニッツが規定しなければならなかった,神は人格的存在であるということが,ここで達成されることになるわけです。
 ここでは真偽不明ということを,命題文と表現内容からのみ理解しています。スピノザの哲学でいえば,事物の本性から流出してくる事柄,いい換えればある事物の本性を十全に認識しさえすれば必然的に十全に認識されるような事柄は,多岐にわたるとはいえ多数であるとはいえません。第一部定理二八を適用しなければ十全に認識し得ないような事柄はこの範疇から外れることになります。そうした事柄を命題文として記述すれば,ライプニッツが真偽不明と判断するであろう命題形式になる筈です。よって真偽不明と規定される事柄は,真理と規定される事柄よりずっと多くなります。ですからライプニッツがここに神の自由の領域を認めるというとき,その領域は大変に広いものであると理解しておかなければならないでしょう。
コメント
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