スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

レイスと樋口&処置方法

2013-09-30 18:38:56 | NOAH
 美獣は引退後はレスリングスクールを開講。指導者としてプロレスラーを育てる立場に回りました。そうしてレイスの手によって育てられたレスラーの何人かは,NOAHに参戦しています。レイスは世代的に馬場や鶴田といったあたりとは戦っていますが,三沢とは対戦がありません。つまりレイスとNOAHとの間には何の接点もないように思えます。おそらくこれはジョー・樋口のルートでしょう。樋口は自著の『心に残るプロレス名勝負』の中で,私生活ではレイスとは無二の親友であるといっています。
                         
 NOAHの旗揚げのとき,樋口は三沢に請われて監査役に就任。樋口は自分がこれを受けたのは,三沢の人間性にあったと後にインタビューで語っています。僕は三沢の評価の理由に,慕って後を追った人間の多さをあげましたが,樋口もそうした中のひとりであったといっていいでしょう。
 監査役に就任すると同時に,樋口はGHCのタイトル管理委員長も兼務しました。これはいわばNOAHのコミッショナー的存在。樋口の後,その地位を任されたのがレイスであるということが,レイスとNOAHの接点は樋口であったのだろうということのひとつの証となるかもしれません。
 樋口は来日したレスラーの世話をする外国人係というのを長いこと務めました。これは日本プロレス時代のことで,樋口がレフェリーになる前の話。その後,馬場に誘われて全日本プロレス所属になって以降も,チーフレフェリーと外国人係を兼務していたようです。このために樋口が親しくなった外国人レスラーというのはレイスだけでなく,ほかにもいました。ただ,本人が無二の親友といっているくらいなのですから,レイスと樋口の関係は,特別のものであったと理解してよいのだろうと思います。

 治療が必要というのですから,放置をしておくわけにはいきません。ただ,このときは直ちに処置をとるということをしませんでした。そのひとつには妹のこの後の予定が関係していました。いわば物理的事情とか外的事情といえるようなことです。もっとも,それだけが理由であったというわけではありません。
 健康診断の結果として貧血が判明しました。逆にいえばそれは,妹の日常生活から窺い知ることができなかったということです。つまり実質的な問題が生じていたわけではありません。それならば,新しく病院に行って診察してもらうよりも,遺伝科の医師に相談する方が得策であるように思えました。広い意味で内科に属するような事柄については,遺伝科ではすべてに対応してくれることが分かっていたからです。なので次にこども医療センターへ通院したときに,主治医に診察してもらうことを選択しました。少なくともすぐに生命に関わるような緊急事態ではないということは,確かと思われたからです。
 この18日というのは土曜日であったのですが,僕は本牧に行く必要がありました。その後で,もうひとつ別の仕事をこなすために寄らなければならない場所も発生。帰宅したのは午後6時前でした。
 翌週の木曜日は,作業所の三者面談。これは年度の初めと終りに実施されるもの。新年度は4月ですから,5月23日を年度の初めというのはおかしいかもしれません。面談をするためには,年度替わりの後,いくらかの時間を必要とします。そうでないと何か問題があるのかどうか計りかねるからです。妹の場合,作業所の担当者が4月から変更となりましたが,とくに問題は起こっていません。僕はこの日は長者町でした。
 25日の土曜日は妹の土曜出勤。この日はクッキーを作って食べたようです。そして26日の日曜日はガイドヘルパーを利用。先月に続いて本牧でのカラオケでした。
 さらに28日の火曜日から,面接を行った港南区での施設でのショートステイ。これは1泊で,29日の水曜に戻ったことになります。妹としては初の宿泊先ではありましたが,とくに問題となるようなことはありませんでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする