来週がGⅡなので今週は記念競輪が連続開催。松戸記念は今日が決勝でした。並びは山中-鈴木裕-鈴木誠の千葉,武田憲祐-望月ー栗原の南関東,深谷-山口の西日本で武田豊樹が単騎。
スタートは深谷が取ってそのまま前受け。3番手に武田憲祐,6番手に武田豊樹を挟んで7番手から山中という周回。残り3周のホームから早くも山中が上昇していき,バックではこれに先んじて武田憲祐も動き,武田憲祐が残り2周のホームで深谷を叩いて前に出たところを外から山中がさらに抑えて打鐘。武田豊樹が千葉に切り替えて4番手。ホームから叩かれた武田憲祐が発進していき南関東による先行争い。山中の番手の鈴木裕が,牽制するのか番手発進するのか中途半端な動きとなり,バックで開いた山中と鈴木裕の間に斬り込んでいったのが武田豊樹。これに深谷が続いて直線はふたりが後ろを引き離してのマッチレース。どちらが勝ったのかまったく分からなかったのですが,写真判定の結果,微差で武田豊樹の優勝。深谷が2着。ふたりが通ったコースをそのまま縫ってきた望月が5車身差の3着。
優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の福井記念に続いてGⅢ19勝目。単騎の戦いを強いられましたが,先行しそうなラインの後ろをうまく立ち回りました。南関東で叩き合うのはあるいは予期していなかったかもしれませんが,バックでインを上がり,鈴木裕の隙をついた判断も見事でした。脚力だけでなく,レースでのうまさも感じさせる内容が続いていて,しばらくは崩れることがなさそうに思えます。
現在の武田は無風でマークしても抜くというのは至難の技に思えます。2着でしたが微差まで持ち込んだ深谷もさすがというほかありません。
母は脳内出血を発症する以前は妹をこの自動車で作業所まで送っていました。したがって少なくともウィークデーに関しては,ほぼ毎日この自動車が使用されていたわけです。母の異変が生じた当日も,僕とK伯母と一緒に父の墓参りに行くためなどにこの自動車を使いましたが,母がこの自動車を使ったのはこれが最後のこと。自動車の所有者名義は母のままで,税金の支払いの書類などは母に送られてきますし,必然的に自動車保険も母の名義になっていますから,保険料の支払いの通知なども母に送られてきます。しかし現在は実際にこの自動車を使用するとすれば,それは叔父であって,この日のように僕の家族の移動も兼ねて運転を依頼することがありましたし,また,叔父の方から申し出て,私用でこの自動車を使うということもありました。ただ,使用の頻度でいえば,母が運転をしていた頃と比較するなら,ずっと少なくなっていました。とくにこの頃は,この自動車はほとんど使用されていなかったのです。
それでこの日は大和への墓参りのためにエンジンをかけようとしたのですが,これがどうしてもかからなかったのです。どうやらあまりに長い期間に渡って使用していなかったために,バッテリーが上がってしまったようなのです。よってこの日はこの自動車で出掛けるということができなくなってしまいました。
一方,叔父は仕事で自動車を利用していまして,この自動車は会社から借り受けていました。幸いにしてこの日はその自動車が近くに停車させてありましたので,そちらを利用して出掛けました。会社の自動車ですから,万が一このような利用で事故を起こしたりすれば大変なことであり,本来はするべきではなかったでしょうが,従妹と待ち合わせていたということもあり,この日はやむなき判断であったのではないかと思います。そして事故を起こすこともなく,無事に帰宅してきました。叔父はそのままその社用車を利用してカー用品店専門店へ。新しいバッテリーを買ってきまして家の自動車もエンジンがかかるようになりました。これ以来,運転はしませんが母は定期的にこの自動車のエンジンだけはかけるようにしています。
スタートは深谷が取ってそのまま前受け。3番手に武田憲祐,6番手に武田豊樹を挟んで7番手から山中という周回。残り3周のホームから早くも山中が上昇していき,バックではこれに先んじて武田憲祐も動き,武田憲祐が残り2周のホームで深谷を叩いて前に出たところを外から山中がさらに抑えて打鐘。武田豊樹が千葉に切り替えて4番手。ホームから叩かれた武田憲祐が発進していき南関東による先行争い。山中の番手の鈴木裕が,牽制するのか番手発進するのか中途半端な動きとなり,バックで開いた山中と鈴木裕の間に斬り込んでいったのが武田豊樹。これに深谷が続いて直線はふたりが後ろを引き離してのマッチレース。どちらが勝ったのかまったく分からなかったのですが,写真判定の結果,微差で武田豊樹の優勝。深谷が2着。ふたりが通ったコースをそのまま縫ってきた望月が5車身差の3着。
優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の福井記念に続いてGⅢ19勝目。単騎の戦いを強いられましたが,先行しそうなラインの後ろをうまく立ち回りました。南関東で叩き合うのはあるいは予期していなかったかもしれませんが,バックでインを上がり,鈴木裕の隙をついた判断も見事でした。脚力だけでなく,レースでのうまさも感じさせる内容が続いていて,しばらくは崩れることがなさそうに思えます。
現在の武田は無風でマークしても抜くというのは至難の技に思えます。2着でしたが微差まで持ち込んだ深谷もさすがというほかありません。
母は脳内出血を発症する以前は妹をこの自動車で作業所まで送っていました。したがって少なくともウィークデーに関しては,ほぼ毎日この自動車が使用されていたわけです。母の異変が生じた当日も,僕とK伯母と一緒に父の墓参りに行くためなどにこの自動車を使いましたが,母がこの自動車を使ったのはこれが最後のこと。自動車の所有者名義は母のままで,税金の支払いの書類などは母に送られてきますし,必然的に自動車保険も母の名義になっていますから,保険料の支払いの通知なども母に送られてきます。しかし現在は実際にこの自動車を使用するとすれば,それは叔父であって,この日のように僕の家族の移動も兼ねて運転を依頼することがありましたし,また,叔父の方から申し出て,私用でこの自動車を使うということもありました。ただ,使用の頻度でいえば,母が運転をしていた頃と比較するなら,ずっと少なくなっていました。とくにこの頃は,この自動車はほとんど使用されていなかったのです。
それでこの日は大和への墓参りのためにエンジンをかけようとしたのですが,これがどうしてもかからなかったのです。どうやらあまりに長い期間に渡って使用していなかったために,バッテリーが上がってしまったようなのです。よってこの日はこの自動車で出掛けるということができなくなってしまいました。
一方,叔父は仕事で自動車を利用していまして,この自動車は会社から借り受けていました。幸いにしてこの日はその自動車が近くに停車させてありましたので,そちらを利用して出掛けました。会社の自動車ですから,万が一このような利用で事故を起こしたりすれば大変なことであり,本来はするべきではなかったでしょうが,従妹と待ち合わせていたということもあり,この日はやむなき判断であったのではないかと思います。そして事故を起こすこともなく,無事に帰宅してきました。叔父はそのままその社用車を利用してカー用品店専門店へ。新しいバッテリーを買ってきまして家の自動車もエンジンがかかるようになりました。これ以来,運転はしませんが母は定期的にこの自動車のエンジンだけはかけるようにしています。