スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&想起の偶然性

2008-12-26 18:50:17 | 将棋
 棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。
 振駒で先手となった久保利明八段の中飛車。木村一基八段がこれを押さえ込みにいき,押さえ込めるか破れるかが最大の焦点になりました。
          
 第1図から先手は▲4三歩。これが軽妙な一着で先手が優位に立ちました。たぶん後手は軽視していた手だったのではないでしょうか。△同玉と取りましたが,これ以後,先手がうまく駒を交換しながら入手し,第2図へ。
           
 こうなってしまっては後手の押さえ込みの網は完全に食い破られている形。そうなると後手としては主張するポイントがなく,この局面で大差。以下,いくばくもなく先手の勝ちになっています。
 ということで佐藤康光棋王への挑戦者は今日は決定せず。この両者が年明けの7日にもう1局指し,そこで勝った方が挑戦ということになります。

 明日は中山大障害。メルシーエイタイム◎,マルカラスカル○,キングジョイ▲が上位。あとはクールジョイ△とエイシンニーザン△。

 それでは本当に僕たちが知覚していること,あるいは想起していることに関して,それを同時に偶然なものとして,何らかの意味では確実であるけれども偶然でもあるものとして観想するということがあるのかどうかということを考えてみます。ただしスピノザは論理的な方向として,ここで示したいのとは逆に,ある事柄が偶然であると認識されるならば,それは表象であるというように『エチカ』では証明していますので,ここではこれを単純に経験的な方向からのみ示すことにします。そしてその場合には,想起について考える方が簡単と思いますので,想起で考えることにします。
 僕たちはかつて経験したこと,確かに自分がそれを経験したというのが確実であるよな事柄について,しかしそれが別の経験になっていれば,と観想することがあります。あのときこうすればよかった,というように思う,つまり後悔するのがこの代表で,こうした表象自体をしたことがないなどという人はまずいないのではないかと思います。すでに説明したように,もしもある観念が知性のうちで必然的なものとして認識されるならば,こうした表象は生じ得ないのですから,こうしたことが起こるということ自体,少なくとも僕たちが,ある出来事の想起の表象像に関しては,それが確実に生じたことではあっても,同時に偶然であると観想していることの証明になるでしょう。よってここから別の,つまり実際には生じなかった事柄の想像が生じることも,不思議なことではないといえるでしょう。
 知覚についてはここでは示しませんが,そもそも想起とは,第二部定理一七系により,知覚したことについての想起であるわけですから,知覚の場合にも同様のことが妥当するのは間違いないと思います。
コメント
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