スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

かがり火賞&第三部諸感情の定義四

2008-12-19 18:58:29 | 競輪
 岐阜記念は長良川鵜飼カップ。そういうわけで今日の2日目優秀(動画)はかがり火賞でした。
 前受けは石橋選手。この後ろが競りでしたが,残り2周のホームの時点では村上選手が入り,山口貴弘選手が3番手。5番手が加藤選手,7番手に香川選手で,8番手から岡部選手という周回。バックに入ると山口貴弘選手が追い上げ,村上選手の外に。後続は動かず,石橋選手は残り1周まで誘導を使っての先行になりました。番手戦は半周ほど続き,バックで外の山口貴弘選手が確保。この間,後ろがまだ動かなかったので,石橋選手は余裕のマイペース。楽々と逃げ切った石橋選手が1着。番手を守った山口貴弘選手が2着で,山口貴弘選手マークの手島選手が3着でした。
 加藤選手も岡部選手もまったく動きませんでしたので,レースの見所は番手戦だけ。石橋選手にしたらずいぶんと楽なレースであったのではないかと思います。

 最も単純に考えて,ある人間がまだAを表象した経験がないと仮定しておいて,この人間がAに本性を含むような仕方で刺激されるならば,第二部定理一七によりこの人間はAを現実的に存在すると観想します。あるいは僕の表象の分類からすればAを知覚します。このことは,仮定から,この人間にとっての初体験であるといっていいでしょう。というか,こうしたことをここでは初体験といっているわけです。
 このときに,この人間の精神のうちにどういったことが起こり得るのか。第三部諸感情の定義四は,そのときのありようのひとつを示しているように僕には思えます。
 「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
 諸感情の定義に含まれていますが,この驚異は感情ではなく,精神の一状態だけを示しています。その状態というのは要するに,知覚した表象像が,その人間の精神のうちにあるいかなるほかの表象像とも連結しないために,その表象像からほかの表象像への移行がなかなか図られないでいる状態といえると思います。
 スピノザはこれを,あまりに特殊だからと説明していますが,別にそのように考えなくてもいいだろうと僕は思っていて,たとえば自身が予期していたのと異なることを知覚するような場合には,こうしたことは人間には往々にして起こると思います。たとえば日本シリーズの記事で,第6図の局面になったとき,森下九段が頭の中が真白になったといっていたことを書きましたが,この空白状態こそ,驚異という状態を示していると僕は思います。よって確かに,人間の精神の状態がこのような状態に陥ることがあるということは,間違いがないところでしょう。
コメント
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