スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日本シリーズ&第二部定理二五

2008-12-02 18:52:41 | 将棋
 今年の日本シリーズは,11月22日に東京都体育館で決勝が指されました。僕も生観戦してきましたので,感想戦の模様など,少し詳しく紹介してみます。
           
 決勝に進出したのは深浦康市王位と森下卓九段。共に九州出身の同門。深浦王位は修行時代に森下九段に随分と指してもらったとのことですから,こういう大舞台での対戦は,両者にとって感慨深いものがあったものと思います。この日まで,深浦王位が2勝,森下九段が4勝という対戦成績でした。
 振駒で深浦王位の先手になりましたので,相矢倉になるものと思いましたが,深浦王位は角換りを目指しました。森下九段は角交換せず,2筋を切らせて5筋の位を取り,相居飛車の力戦型に。
           
 日本シリーズはNHK杯や銀河戦よりもさらに持ち時間が短い早指し戦ですが,第1図の△5五歩は,その中では長考でした。たぶんこの日一番だったのではないかと思います。以下,歩の交換などはあったものの,駒組がほぼ飽和状態に達したのが第2図。森下九段は作戦勝ちになったのではないかと思っていたとのこと。
           
 ここでは▲4五桂と跳ねておく手もあったようですが,深浦王位は▲3五歩と仕掛けました。以下,同歩,同歩の森下流も出て第3図に。
           
 ここで先手は歩切れを解消するために▲6五歩と手を戻したので,後手にもようやく手番が回り,ここから攻め合いになりました。第4図に。
           
 感想戦の中心になったのはここで,次の△2八とは森下九段は勝負手のつもりだったとのこと。深浦王位はここでも歩切れで,少し苦しいと思われていたようです。以下,▲4九飛△3八角成▲1六香△同馬。
           
 森下九段は香車を入手し,△8七香や△8五香が楽しみに。ただし手番は先手で,どうやってくるか分からなかったそうです。深浦王位は▲8三歩成から飛車を取りにいきました。森下九段はびっくりしたそうですが,この順はまずく。後手がはっきりと優勢になったようです。▲4八飛とでもしておく方が優ったとのこと。
           
 第6図。ここは森下九段は▲4九同角を予想していて,9三の飛車を取られて頭が真白になったと述べていました。ここで△6九龍とすれば,▲1二角成なら△7八角以下の詰みがあり,明解だったようですが,△6九角。このために少し紛れましたが,森下九段はまだ時間を残していたので勝ちの順を発見しました。
           
 第7図。ここで▲1二角だと△8八銀不成~△9七銀成で先手玉が詰みます。よって▲1四角とこちらに打ちましたが,これには△8八銀不成~△8九龍で必死。後手玉を詰ますには先手は金駒が1枚足りず,最後の王手を逃げ切った森下九段の勝ちとなりました。
 森下九段は昨年も優勝していて,日本シリーズ連覇。来年の出場権を獲得しました。日本シリーズは局後に棋士が観戦したファンを見送るというサービスがあり,僕も森下九段と握手をして帰りました。都合がつけばまた行ってみたいと思うイベントでした。
 最後に,実は森下九段はこの前日が順位戦の対局でした。今回はそれに勝ち,その勢いでここも優勝しましたが,この日程は常識的にはきつそうです。順位戦は一斉対局が原則ではありますが,こういう場合には周囲が何らかの配慮をしてもいいのではないかと思います。

 明日は女流名人位戦A級リーグ最終局で,挑戦者争いに関係する2局が中継されます。せっかくですので,ここでは清水市代女流王将と里見香奈倉敷藤花の将棋を紹介します。対戦成績は清水女流王将が4勝,里見倉敷藤花が2勝。里見倉敷藤花が勝てば挑戦者。清水女流王将が勝つと,千葉涼子女流三段が勝てば3人による,負ければ2人によるプレーオフです。

 スピノザが人間の精神による何らかの事物の表象について,それがいかなる仕方で生じるのかということを説明している『エチカ』における定理というのは以上ですべてです。したがってスピノザは,表象の種類のうちでは,知覚と想起だけを説明していて,想像についてはそれがいかに生じるのかということを説明していないということになります。今回のテーマにおける不備というのはまさにこの点にあるので,これからはスピノザが表象について述べている事柄に依拠して,それではなぜ人間の精神は事物を想像し得るのかということを明らかにしていくことになるわけですが,スピノザの表象についての考え方に関しては,もうひとつ,人間の精神が事物を表象するときの観念,すなわち表象像というのは,十全な観念ではなくて混乱した観念であるという点も重要ですので,先に,これまで示してきた表象像,すなわち人間の精神が外部の物体ならびに自分の身体と精神を知覚ないしは想起する場合の表象像というのが,混乱した観念であるということを明らかにしておくことにします。
 最初に,第二部定理二五をみておくことにしましょう。
 「人間身体のおのおのの変状〔刺激状態〕の観念は外部の物体の妥当な認識を含んでいない」。
 事物を妥当に認識するということが,その事物の十全な観念を有するということの意味ですから,この定理が,人間の精神のうちにある混乱した観念について言及しているということは間違いありません。そしてこの定理についてはそれはとくに,第二部定理一七の表象,すなわち,人間の精神による外部の物体の知覚についていわれているということも,とくに説明するまでもなく明らかであると思います。
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