スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

花月園記念&知覚か想起か

2008-12-01 19:07:02 | 競輪
 花月園記念は菊花賞典として争われますが,さすがにこの時期ですと少し遅いかなという印象は否めません。昨日が決勝(動画)でした。
 前受けは佐藤選手。3番手に平原選手で,井上選手が5番手に入り,6番手から栗田選手という周回に。
 残り2周のホームから栗田選手が上昇していきましたが,一気には叩かなかったので,打鐘前で佐藤選手が突っ張りました。栗田選手は外に浮きましたが,新田選手に迎え入れられ,3番手に入ってホームから再び発進。しかし神奈川勢が離れたために,2車でのかまし先行のような形になりました。バックからは平原選手の捲り。これを新田選手が大きく牽制したため,開いたところを佐藤選手を捨てた兵藤選手がうまく突き,そのまま抜け出して優勝。平原選手の番手から広川選手が2着に入り,平原選手が3着。別のラインでしたが,関東勢の上位独占になりました。
 優勝した群馬の兵藤一也選手は9月の青森記念以来の記念競輪4勝目。まず,打鐘前のバックで佐藤選手が突っ張ってくれたのが大きく,そこからうまく立ち回りました。佐藤選手にしろ平原選手にしろ,分断などの小細工はしないタイプですので,栗田選手はもっと早く叩いてしまうべきで,それならおそらく4車で叩けたと思え,結果も大きく変わっていたのではないでしょうか。

 人間の精神が事物を想起する場合に,自分の身体と精神を表象するということはおそらく間違いないであろうと分かりました。したがって残る問題は,この表象を知覚というべきなのか,想起というべきなのかということになるのですが,この部分が正直なところ,僕には分からないのです。というか,どちらであるといっても,それなりの根拠があるように思えるのです。
 たとえば,第二部定理一七系は,人間の身体のある刺激状態をもとに,人間がある外部の物体を想起するということを示しています。ところでこの刺激状態は,人間の身体の本性も含んでいますから,人間の身体も現実的に存在すると表象されるでしょう。このとき,外部の物体に関しては,現実的には存在していないので想起といわれますが,人間の身体の方は現実的に存在しているので,これに注目するならこれは知覚です。実際,ある外部の物体を想起することによって,想起している自分自身の身体を知覚するということは,経験論的に考えてもあることだといえそうです。もちろん自分の精神についても,同じことがいえるでしょう。
 しかし一方で,ある物体を想起することによって,その物体に刺激された自分自身の身体を表象するというなら,これは,この刺激状態のときと同じ運動が人間の身体のうちに生じているだけで,この刺激状態自体が現実的に存在しているわけではありませんから,むしろ想起といえそうです。実際僕たちは,ある強烈な体験をすると,それを想起する場合には,現在の自分自身ではなく,その体験をしたときの自分自身を表象すること,現実的に存在すると観想することがありますので,こちらの場合も経験論的にあることだといえると思います。
 よって,この表象が知覚と想起のどちらであるかは,現在の僕には結論が出せません。ただ間違いなく,人間は外部の物体を想起するときに,自分の精神と身体を表象するということだけを,ひとつの確実な結論としておくことにします。
コメント
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