王位戦七番勝負第七局2日目。昨日は先手も勝つのは大変ではないかと書き,僕としてはどちらも持ちたくないような将棋でしたが,片上五段,遠山四段は駒得の先手を持ちたいという見解でした。
封じ手は▲5五歩。以下,△4五銀に▲2四歩と,先手は一気に攻め合いに持っていきました。ただ,実戦の手順で先手が攻め合って勝つには,厳密には少し足りなかったようです。それでもかなり迫力ある攻防が見られました。まず第1図。
これは▲3五桂と打ったのに対し,先手が2三の金を3四に逃げたところ。ここで▲2三角は△2四金で届かないようですし,▲2三桂成もいまひとつ響きが薄い。それでも▲2三桂不成という勝負手をひねり出しました。後手は△5二金と歩を取り,▲3一角△3二玉。ここで▲3五歩△同金としてから▲2二角打。後手は△2六香とここで反撃の一手を入れました。
第2図はすでに観戦していましたが,手の流れから▲2七歩とは受けられないのでしょう。▲1一角成△2八香成と進みました。▲2一銀△4一玉に▲3三馬の詰めろ。△6三金に▲7五桂がまた詰めろ。△5二玉に▲8五桂は攻防の手です。
△8九飛を主に検討していたのですが,わりとすぐに△5七とと指しました。以下,▲同玉に△7八飛。これが存外に受けにくい詰めろでした。跳ね出した8五の桂馬がここでは質駒になっています。先手は時間がないこともあり,ここから詰ましにいきましたが,後手玉は詰まず,この過程で駒をさらに渡したこともあり,そのまま投了となっています。
4勝3敗とした深浦康市王位が防衛。羽生善治名人という最強の挑戦者を降しての防衛ですから立派です。七冠ということに関しては,僕はまた見たいという気持ちともう見たくないという気持ちが混在していたのですが,深浦王位もとくに応援している棋士のひとりなので,これでよかったかなという気がしています。
タイトル保持者が順位戦で陥落してはタイトルの格に傷がついてしまいます。今期はぜひA級の座を死守してほしいです。なお深浦王位は防衛と同時に九段昇段も決めました。
明日からは取手記念が開催されます。注目は伏見選手になるでしょうが,今回は自力のレースが多くなりそうです。
それでは失禁といわれるような排尿の場合の,第一の例と第二の例についてまずは考えてみましょう。
まず,このような種類の失禁といわれるような排尿という運動を人間の身体が現実的になすということ,あるいはこういってよければなし得るということについては,僕たちは経験的な観点からこれを否定することはできないと思います。よって人間の身体というのは,実際にこうした運動をなすことがあるのであって,これは端的に,人間の身体というものが,この人間の精神による決定を受けなくても,排尿という運動をなすことがあるということを示しています。実際,第一の場合は,人間の精神は覚醒していないのですから,ある運動をなすように決定を下すということ自体が不可能であるといえます。一方,第二の場合は,排尿に関係するような観念がこの精神のうちにはないと仮定されているわけですが,そうなるとそれに向うようないかなる思惟の様態もこの人間の精神のうちにあることができません。第二部公理三が示しているように,思惟の様態の第一のものは観念なので,Aの観念がある知性のうちに現実的に実在しないのであれば,Aに関係するようないかなる思惟の様態も,これと同じ知性のうちにはあることができないからです。
少なくとも部分的には,これだけで今回のテーマである第三部定理二に対する,経験的観点からの補強となっているということは明らかだといえるでしょう。そしてこのことから,人間の身体は,自分の精神による決定などとは関係なく,それ自身の原因と結果の連結と秩序によって,ある運動をなすと結論することもできるでしょう。
封じ手は▲5五歩。以下,△4五銀に▲2四歩と,先手は一気に攻め合いに持っていきました。ただ,実戦の手順で先手が攻め合って勝つには,厳密には少し足りなかったようです。それでもかなり迫力ある攻防が見られました。まず第1図。
これは▲3五桂と打ったのに対し,先手が2三の金を3四に逃げたところ。ここで▲2三角は△2四金で届かないようですし,▲2三桂成もいまひとつ響きが薄い。それでも▲2三桂不成という勝負手をひねり出しました。後手は△5二金と歩を取り,▲3一角△3二玉。ここで▲3五歩△同金としてから▲2二角打。後手は△2六香とここで反撃の一手を入れました。
第2図はすでに観戦していましたが,手の流れから▲2七歩とは受けられないのでしょう。▲1一角成△2八香成と進みました。▲2一銀△4一玉に▲3三馬の詰めろ。△6三金に▲7五桂がまた詰めろ。△5二玉に▲8五桂は攻防の手です。
△8九飛を主に検討していたのですが,わりとすぐに△5七とと指しました。以下,▲同玉に△7八飛。これが存外に受けにくい詰めろでした。跳ね出した8五の桂馬がここでは質駒になっています。先手は時間がないこともあり,ここから詰ましにいきましたが,後手玉は詰まず,この過程で駒をさらに渡したこともあり,そのまま投了となっています。
4勝3敗とした深浦康市王位が防衛。羽生善治名人という最強の挑戦者を降しての防衛ですから立派です。七冠ということに関しては,僕はまた見たいという気持ちともう見たくないという気持ちが混在していたのですが,深浦王位もとくに応援している棋士のひとりなので,これでよかったかなという気がしています。
タイトル保持者が順位戦で陥落してはタイトルの格に傷がついてしまいます。今期はぜひA級の座を死守してほしいです。なお深浦王位は防衛と同時に九段昇段も決めました。
明日からは取手記念が開催されます。注目は伏見選手になるでしょうが,今回は自力のレースが多くなりそうです。
それでは失禁といわれるような排尿の場合の,第一の例と第二の例についてまずは考えてみましょう。
まず,このような種類の失禁といわれるような排尿という運動を人間の身体が現実的になすということ,あるいはこういってよければなし得るということについては,僕たちは経験的な観点からこれを否定することはできないと思います。よって人間の身体というのは,実際にこうした運動をなすことがあるのであって,これは端的に,人間の身体というものが,この人間の精神による決定を受けなくても,排尿という運動をなすことがあるということを示しています。実際,第一の場合は,人間の精神は覚醒していないのですから,ある運動をなすように決定を下すということ自体が不可能であるといえます。一方,第二の場合は,排尿に関係するような観念がこの精神のうちにはないと仮定されているわけですが,そうなるとそれに向うようないかなる思惟の様態もこの人間の精神のうちにあることができません。第二部公理三が示しているように,思惟の様態の第一のものは観念なので,Aの観念がある知性のうちに現実的に実在しないのであれば,Aに関係するようないかなる思惟の様態も,これと同じ知性のうちにはあることができないからです。
少なくとも部分的には,これだけで今回のテーマである第三部定理二に対する,経験的観点からの補強となっているということは明らかだといえるでしょう。そしてこのことから,人間の身体は,自分の精神による決定などとは関係なく,それ自身の原因と結果の連結と秩序によって,ある運動をなすと結論することもできるでしょう。