スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流棋士会独立の原因&第二部定義二まとめ①

2007-02-17 20:44:18 | 将棋トピック
 女流名人戦第一局のときに少し書いた女流棋士会日本将棋連盟から独立する動きがあるということについて、今日はまずその原因となっていると思われることを考えていきます。名人戦の毎日新聞の契約案が否決されたときに、将棋連盟は内部に矛盾を抱えているという意味のことを書きましたが、女流棋士の立場というのはそのひとつです。将棋連盟というのはプロの四段以上の棋士、および引退棋士によって構成されています。女流棋士というのはプロには違いありませんが、将棋連盟の正会員ではないのです。このために、年金等の福利厚生の面において不利な立場にあり、これを何とかしたいという動機があったとしても不思議ではないように思います。一方、将棋の棋戦というのは、たとえ女流棋戦であっても、将棋連盟が主催者を探して契約します。したがって、正会員でない女流棋士は、この契約交渉には直接的に参加できません。しかしそれだけではありません。実際の契約交渉は、連盟の理事会が代表して行うわけですが、この理事というのは将棋連盟の会員の中から選挙によって(無投票の場合もあるでしょうが)選ばれます。ですので、女流棋士というのは理事に立候補できないばかりか、理事選挙の投票権すら与えられていません。つまり、女流棋士は、自らの棋戦の契約については、間接的にすら関与できないシステムとなっているのです。この現状を打破したいという思いがあったとしても、やはりそれは不思議ではないように思います。もしもこの独立の原因というのを、女流棋士の内部に求めるのであれば、これらふたつのことが大きな要素であろうと思われます。
 明日はフェブラリーステークス。ここは3頭の上位争いと考えます。順番をつければまずブルーコンコルド◎、ついでシーキングザダイヤ○、そしてサンライズバッカス▲ですが、無理せずにボックスで。
 奈良記念も決勝。並びは佐藤-有坂の北日本、峠-飯嶋の関東、中村-大井-市田-前田の近畿で、大塚は前田と競るようです。軸という意味で市田選手◎から。大井選手○、有坂選手▲、佐藤選手△を絡めて。

 ここで第二部定義二をテーマとした意図は、この定義に何らかの疑問があったからというわけではありません。むしろ僕自身はこの定義を事物の本性の定義として完全なものと考えているのですが、一方で、確かにこの定理は多くの人がそれが本性の定義と考えるであろう一般論とは異なっていて、事物は本性がなければあることも考えることもできないというだけでなく、本性は事物がなければあることも考えることもできないということが加えられています。。また、この定義はこれまでの考察の中で何度か取り上げましたし、そうであるなら、おそらく今後も利用する機会が多くあるでしょう。それなら、ここで時間を掛けてこのスピノザによる本性の定義の妥当性について考えておくことが、長い目で見た場合には、このブログにとってもプラスに働くであろうと判断したのです。さて、まずこの妥当性を考えるためには、一般論の定義には問題点があるということから始めなくてはなりません。簡単にこの問題点をいえば、それはこの一般論からは、様態の本性に神の本性が属するということか、そうでなければ様態は神がなくてもあることも考えることもできるということの、どちらかのことが必然的に帰結されてしまうということでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする