亡父の月命日のことなど(スケッチ&コメント)
江嵜企画代表
亡父の月命日は4日であるが、先週、家内の実母が106歳で天寿を全う、通夜、葬儀と続き、お寺さんにお願いして本日8日に変更してもらった。早いもので父が亡くなったのは平成13年9月4日であるから20年近くになる。
阪神淡路大震災で体調を崩したが回復、2年ばかり高島屋友の会の森田りえ子日本画教室のお世話になっていた。亡父は花が好きだった。満開の桜を描いた30号の大作が残っている。
月命日に供える花は阪神御影駅そばの田中花店に朝一番で出かけ用意する。直近に描いたスケッチ画をはがきサイズでお渡しするのが習いとなった。
花の絵を描いたスケッチを持参することが多い。お渡しするお代は20年変わらない。お代の倍返しでお花を抱えて帰る。花瓶に入りきらない花を即興で色鉛筆でスケッチした。
冒頭に触れた義母、藤本陸子は令和2年6月2日お昼過ぎに亡くなった。前日の夕方までお世話になっていた施設で食事をいただき義弟の家族とも言葉を交わした。まさか翌日他界するとは予想もしなかった。大往生でしたと義弟から連絡を受けた。
義母は京都府立第一高等女学校時代、バスケットボールの選手だった。中国代表と神宮で親善試合をやったことが懐かしい思い出だと生前話していた。俳句が趣味で、90歳まで高島屋友の会の俳句教室に通っていた。
立ち入った話で恐縮だが、おんぼさんが大腿骨、骨盤,頭骸骨、何れも頑丈で大きい。腕の骨の中の髄が白色で残っている仏さんは極めて珍しい。これといった病気の痕跡も見当たらない。お元気だったことが手に取るように分かると話していた。合掌。