前川寛和,大阪府立大教授大いに語る:「海を渡った縄文石釜~岩石学の挑戦~」
江嵜企画代表・Ken
文化の日の11月3日、Uホール白鷺で、午前10時から第6回大阪府立大学ホームカミ
ングデー2015年が開かれ、楽しみにして出かけた。大学時代4年間通いなれた道のり
だが、神戸から2時間近くかかる。最寄駅の地下鉄「なかもず」を降りてから校門ま
で早足で15分、広いキャンパスの一番奥にある会場にさらに15分。開会式に見事遅刻
した。幸いお目当ての記念講演には間に合った。
記念講演のテーマは「海を渡った縄文石斧~岩石学の挑戦~」。「研究はいつも不
思議な縁から始まります」と前川先生は口火を切った。「2006年5月16日、文化人
類学者の大塚和義先生が、三内丸山遺跡から出土した緑色磨製石斧がアオトラ石かど
うか調べて欲しいと私の研究室を訪ねてこられた時から始まります。石斧研究の魅力
に取りつかれ、その先10年近くにわたって研究することになるとは夢にも思いません
でした」と続く。
ここで話は三内丸山遺跡へ飛ぶ。「2009年3月、はじめて三内丸山遺跡を訪れ
た。直径1メートルの柱の跡が6個見つかった。17メートルの高さの建造物、長
さ32メートルの大型住居と思われる跡も見つかった。三内丸山遺跡には大変美しい緑
色磨製石斧が数多く出土します。この石斧を岩石カッターで切断しました。その硬さ
と粘り強さに驚きました。5,000年も1万年もまえの縄文時代の人々が石斧をつくるた
めに良質の素晴らしい石材を探し出したことに感動しました」と話を進めた。
「石斧はなぜ硬いのか、なぜ粘り強いのか。偏光顕微鏡で調べました。石斧の基質
は細粒の鉱物の集合体、鉱物は石英と長石でした。緻密な硬い基質が石斧の硬さを担
保しh、粘り強さは、基質に縦横無尽に突き刺さる針のように成長した角閃岩とわか
りました。」「研究を進めていく過程で、北海道千歳市美々貝塚遺跡、沙流郡平取町
桜井遺跡から出土するものと同じ組織だとわかりました。良質のものを選りすぐり三
内丸山まで運んだのです。」と前川先生は会場のプロジエクターに現場の光景を映し
ながら話し続けた。
「平取町の人たちは古くから濃緑色部と淡緑色部の瓦層を持つアオトラ石を置き石
や飾り石として大切にして来ていたのです。石斧の石材がアオトラ石の淡色部である
可能性が高くなってきました。平成25年11月から12月に掛けて調査開始、地元のアイ
ヌの人々が古くからアオトラ石の給源があると語り継いでいたところです。平取町額
平川支流のシトニ沢に入りました。石斧石材の給源がシトニ沢の層状火砕云岩体であ
る可能性を示唆していました」と、前川先生。楽しくて楽しくてたまらないとばかり
にマイペースで前川先生の話はこのあとも続いた。
紙数が尽きた。「私の石斧研究は予想はずれ見当違いの連続でした。次から次へと
出てくる新たな事実を元に何度も修正をかけました。ようやくここまで来ました。こ
れからも予想外を楽しみつつ、もうしばらくは、アオトラの真実を見極めていきたい
と思います。昨年末、石斧の石材が額平川流域から採取された。はるか海を越えて青
森まで運ばれたことをつきとめられて、興奮しています」と前川先生は話して講演を
終えられた。学者冥利につきるとはこのような世界を言うのだろうと思いながら会場
を後にした次第である。(了)