ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ファン・クラブ会誌№3

2009年04月12日 | 4回目の来日
 ここ数日5月の暖かさが続き、我が町の空にもツバメが飛び交い始めました。先週開花した桜は満開で、春風に花びらを散らしています。桜を見に出かけたくても、花粉症の主人が今年最悪のコンディションのため、昨日は買い物等の行き帰りに車内から並木の桜を見るだけでした。今日こそは息子を連れて、桜の名所になっている城山公園に行ってみたいと思っています。

 34年前の今日、1975年4月12日はルネが4回目の来日からカナダへ帰国した日でした。すでに新学期が始まっており、34年前のこの日は土曜日。当時は土曜日も半日授業がありましたので、空港まで見送りに行けたファンはいらしたのでしょうか?
 そして気付きました。ルネのスプリングコンサートの東京コンサートが神田共立講堂で行われた4月7日は、始業式前日の、それも月曜日★ 何故忘れていたのでしょう。両親に反対される以前に、午後6時開演のコンサートに行ったら、終電には到底間に合わないところに住んでいた私が行けるはずもなかったのでした(泣)。


▲会誌№3の表紙 「ルネ・オン・メロディ」の特大ポスターの前で微笑むルネ。劇場あいさつ回りの時の写真でしょうか。


 1975年夏に発行された”maple mates no.3”(会誌№3)は、ルネ・シマールの4回目の来日における活動報告が中心でした。前回紹介した「メープルメイツの集い(※1)」を初め、過去ログで記事にした「ルネの休日(※2)」、「RENE A TOKYO(※3)(※4)」、「ルネの故郷(※5)」が掲載されていました。また、クリスマス・プレゼントとして送った私のイラストがカラーで載り、現在もお付き合いしているペンフレンドと知り合うきっかけとなった記念すべき会誌でした。ちなみに彼女のファン・レターも紹介されていました。
 しかし、この来日における活動の4本柱の1本とも言える「スプリング・コンサート」が、全く取り上げられていないことが不思議でなりません。私の拙いイラストや、もう一人のファンの方の4コマ漫画よりも、「スプリング・コンサート」についての記事を掲載して欲しかったっ!!

※1 「ファンの集い①」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/164.html
※2 「ルネの日本の休日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/163.html
※3 「ミドリ色の屋根の頃~1975年(4)ヒット曲」http://green.ap.teacup.com/rene_simard/238.html
※4 「素顔のルネ・シマール①」  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/244.html
※5 「ルネの故郷」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/158.html


 そして、ルネが4回目の来日から帰ってからの様子や、カナダの近況を知らせる手紙が2ページ目に掲載されていました。その内容については、まだ取り上げていなかったので今回紹介いたします。


▲P.1のグラビア


▲P.2の記事の写真
 メープルメイツのみなさん、お元気ですか?日本を四月に離れてからは、しばらく僕も寂しくて毎日ボンヤリしている時間が多くこまっていましたが、今はもうすっかり元気になって、毎日お友達と学校へ行ったり、家族のみんなとおしゃべりしたりで楽しい毎日をおくっています。
こちらは、草や木の緑もいっそう美しく、暖かいとても素晴らしい季節になりました。日本のみなさんのところはいかがですか?
学校ではみんなでサッカー、バスケットをしたり、休み時間には歌を唄ったり、にぎやかな毎日です。僕もこのあいだより少しまたまた大きくなったみたいですヨォ!!
このあいだの来日の時のスプリングコンサートでは、北は北海道、南は九州の全国のみなさんと逢うことが出来てとても嬉しかったです。又暖かいみなさんの応援はとても心に残り、忘れることは出来ません。
今回の新曲七月一日発売「去年の夏」のレコードキャンペーンで、来日することは予定されていないのが残念で、残念で。けれどもみなさんの事はいつも忘れません。そして、みなさんも、僕の事は忘れずに、この新曲を応援してくださる事を信じております。最後にみなさんのご健康とご活躍を祈ってペンを置きます。みなさんお元気で!!
                   サヨウナラ  ルネ



▲会誌№3の裏表紙


 しかし、ここで疑問が残るのは、ルネの手紙の内容です。カナダのファンの方からの情報では、この頃のルネは、すでに公立学校には通っておらず、専属の家庭教師がツアー先にも付いて来て勉強を教えていたはずです。その上、英語圏のカナダやアメリカでの活動が増え、ミュージカル映画「青い鳥や、英語とダンスのレッスン等のためにアメリカに渡り、ケベックの家族と離れて生活する時間が増えていた時期でもありました。もしかすると、メープル・メイツのスタッフによって多少書き変えられているところがあるのかもしれません。
 そして、4回目の来日以降、第12回東京音楽祭世界大会の特別ゲストとして招待されるまでの8年間、ルネの来日は途絶えてしまうのでした。

    

 最後に、カナダのコミュニティ”PASSION SIMARDの、「シルク、ド・ソレイユ」の記事で紹介された、最新のルネ・シマールの写真です。ちょっとふっくらして貫禄の出てきたルネ。デビュー当時は、ケベックのお母さんたちのアイドルだった天使の声を持つサラサラヘアの少年も、今ではステキなロマンスグレーで、立派な大人の歌手に成長し、世界的に有名な「シルク、ド・ソレイユ」の演出を手掛けるプロデューサーになりました。
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