The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本という国はどこに向かうのか。

2008-11-18 22:07:29 | Weblog
未だに公立の教師が国旗や国歌を法律で義務づけることは自由がない、と騒ぐ。
自由とは、国が定めた法の下に存在するもの。

国という単位の社会を意識するための国旗、国歌であり、それは本来義務ではなく敬意を表す意味で起立をする、帽子を脱ぐといった行為を取る。何故か、自由な国も社会主義もみんな同じだ。国際人を意識しないながら、自国の国旗掲揚や国歌をうたうなどはしないでもいいのかもしれない。池の中でずっと過ごすのであればね。違う国同士が交流するためには、先ず個々のアイデンティティーは重要になる。平和を示すのが自国、相手国への国旗掲揚という行為で敬意を表する。
これを理解できないで大人になった人は国際人としての常識を欠くことになる。
そりゃ中国やインドのような大きな大陸だれば一生国を出ないでも済みそうだが、小さい島国では社会人になれば仕事で出張もありうる。そのときに「国旗掲揚」と行為の意味を知らなかったらどうなるのだろうか?

自分は拒否したいならすればいい。しかし、子供たちへ手本となる教育を職とする人間が自分の都合で子供たちへ「自分が嫌なら拒否してもいい。」というのを示すのはいかがなもんだろうか。まあ、中学、高校ぐらいになればそれも反面教師になるだろうし、逆に「非常識な日本人」としていい見本になるかもしれない。
国旗や国歌ごときで愛国心だとか右翼とか、まさに坊主憎けりゃ袈裟までみたいだ。
自分は日の丸は大好きだ。なにせ、どこの国よりもシンプルで美しい。なにせ、幼稚園の子供ですら国旗がかけるデザインなんて素晴らしいと思わないのか?
星条旗なんか複雑でとてもじゃないが正しい星の数や線は書けるもんじゃない。
国歌もシンプルなんだけど、まあ、確かに意味は難しいかもしれない。

http://inouen.at.infoseek.co.jp/anthem/word/index.html

なぜか、君が代よりも他国国歌の方が歌えるってのは、外国の学校では国歌を読み書きさせて覚えさせる。理由はなんだかんだと儀式では必ず国歌を歌うからだ。
日本人なのに他国の国歌をだよ。強制はないけど、チーム制スポーツで自分だけ歌わないってのは、どうなんだろうな? 誰も歌えと言わなかったけど、在籍しているチームの国歌ならやっぱ歌うよ。喜びも悔しさもチームいっしょだからだ。
たぶん、この感覚なんだなぁ。日本という国で国民が共通の意識を持って国を認識できるのは国歌、国旗掲揚なんじゃないか? 
桜や富士も感動はする。だけど、元日とか、建国記念日、天皇誕生日ってのは、国旗掲揚するもんだって思っている。それは日本という国にて、国民として国を共有して認識する日って思っているからだ。

これを戦争賛美とか連想する思想こそ、そう、「オバマ大統領は黒人だから人種差別しない。」という差別行動に思える。もう昔の話だし、こだわりたいならそれも勝手だけど、少なくても外国語教師なんて辞めて欲しいと思うよ。
もうひとつは、嫌なら拒否していいという発想は社会を構成する一員として見本になる教えじゃないと考える。嫌でも我慢しなければいけないのか、集団社会。
感情だけで人間関係がうまくいかないのと同じで、国際社会なんかもっとうまくいかないよ。それでなくても引きこもりとか産みだしているのに、何が教師なんだ、と言いたくなる。知識だけなら本当にPCとネットで十分だよ。学校というメリットは集団社会の勉強なんじゃないのか? その手本を示さないでどうするんだよ。

自分の国のことで、まとまる国民はいいなぁ、って思う。そう、中国、韓国、台湾とみんなまとまる。日本といえば、日本は悪いと言う、自虐行為を尊ぶ国民がいるのが不思議なんだわ。そんなに自虐して日本国を認識するなら変わりに処罰でもなんでもやってくれてもいいんだけど、どう? 自分は遠慮する。なにせ、日本が悪いなんて思ったことはまったくないからっだ。小さいときに外国にいて、「お前の国はテロ国家。原爆はお前らの悪行を阻止したんだ。」といわれる気持ちがわかるか? スミソニアン博物館に言って、一度展覧物の説明をじっくり読んで欲しい。
どんな理由があろうと、あの原爆で多くの非戦闘員が外国人を含めてなくなった。
そう核兵器とは、どんな理由をつけたとしても虐殺兵器でしかない、と言い切れるのは日本人だけだ。自分の戦いはずっと続いている。おかげで何故日本が戦争を選択せざる得ない状況だったのか、その決断を何故したのか、調べるごとに胸が苦しい思いでいっぱいになる。本当に必要な歴史教育は、日本が侵略したことじゃなくて、侵略と呼ばれた行為を実行するまでの過程も含めて教育することだ。
でないと今みたいに自虐的歴史観だけではいつか反発して同じ間違いも起こりうる。誰のせい、誰かにどうされた、を知ってそれを復讐するのではなく、同じ間違いをしないために学習することが何よりも重要なんだ。

同じく憲法9条改正もだ。日本人が成熟した民主主義を理解し、かつ恒久平和をめざすなら、何を不安になって改正反対を叫ぶ必要はない。叫ぶのは、叫ぶ人自身ですら日本人は恒久平和を目指すってのが信じられないから法でしばって欲しいんじゃないだろうか? それって成熟した自由民主主義の国民じゃないよね。
よく中国、韓国が日本の自衛隊や軍備に不安を持つからと理由にする人がいる。
近隣諸国が不安を持つなら、それを解消すべき国交としてそれこそ政治家が説明すればいい。ストレートにいうなら、近隣諸国が日本を守ってくれる訳じゃないってことを言うしかないよね。
自分と同世代、またはもっと若い世代で、日本という国を自虐的認識しかできないなら、日本を出てみるといい。どれだけ母国がありがたいか、体感できると思う。
国は実家みたなもんだ。その昔小松左京氏が語った言葉に「いじめられても帰る家、なぐさめてくれる家見たいな国」と表現してた。外国籍を取らない限りは、外国ではは外国人。旅行とかだけじゃわからないよなぁ。

完璧な国家なんか地球上に存在しない。でも、本当に自由で楽しい国を造ることは絶対にできるって思う。日本だけじゃない。どこの国でもどう信じている人は必ずいるんだ。歴史はいろんなことを教えてくれる素晴らしい教師だと思う。
そう、誰だって死ぬのは嫌じゃないか? 名誉のためにクリンゴンみたいに命をかけるなんて、一部の人だけだ。まあ、戦争したければ、地球上のどこかを解放してそこでやらせてあげればいいって思う。戦争反対の人に影響なく好きなように殺しあってくれていいからさぁ。自分は人間として好き嫌いはある。だけど、肌の色、言葉だけでは好き嫌いは判断できない。あくまで性格だなぁ。自分の合わない人はどんなに美しい人であっても心が優しい人であっても合わない。まあ、最小限の付き合いしかしたくない。負ける喧嘩はしないとしてもやむ得ない場合は喧嘩も買う。まあ、差別というなら自分の価値観に従うってことだけで決める。それを他人が差別と言ったとしても、自分は差別してないと思うから、気にしない。
女々しいとか、使って差別と言われるが、存在する言葉を侮蔑する表現で置き換えできないのに使わないって方がなんか差別に思える。雄雄しいは侮蔑じゃないから差別じゃないのか?

こういったどうでもいいような言葉狩りも米国のまねかもしれないが、F-word、B-wordなんか誰でも使うんだなぁ。あれこそ、差別用語じゃないのか?
日本語でここまで強い意味の言葉ないからなぁ。。。
しかし、言葉の暴力というのは決して忘れてはいけないと思う。その一言ば思いがけなく人を傷つけることもある。

国籍法だって、その子供が日本人の血筋じゃなくても国籍が日本なら日本人じゃないか。何が問題なのか自分には理解できない。日本人の子供が増えるのは歓迎するよ。血統に拘る人って、何家の血筋じゃないから駄目とかそんな競馬の馬みたいなこと未だに言うのか? 血筋にこだわっているとやがてその種は絶えるんだけど。
少子化の今、日本人の子供歓迎しないって方がおかしい。戸籍だってこの子からはじまればいいだけだ。だから、日本人って外国人の養子を取らないんだよなぁ。
国籍を取ってもらえば、外国人特権もなくなるだろうし、いいことじゃないのか?

最後にオバマさんとマケインさんは協調路線を模索し始めた。
日本はどうする? このまま池の中で騒いでやがて餌も酸素もなく国民は死ぬのか? いいかげん、子供の喧嘩で大事な経済政策や保留になっている法案まじめに検討したらどうなんだろうか? 与野党とも、国民があきれているのは誰とかどちらか一方って訳じゃないのかわかってないようだ。まあ、これはマスコミのせいなんだけどさぁ。マスコミもまじめに日本の景気浮上を考えているなら、国家のゴタゴタやめて、さっさと国民のためになる政策をやらせるように政治家のケツを政府だけじゃなくて野党も含めて叩けよなぁ。みんな貧乏になるんだぞ。
首相や政府だけががんばったところで、ほかの政治家や企業、そして国民がみんなで景気浮上を目指すために協力しないでどうすんだよ。
それができないのに血筋うんぬんって本当に何を勘違いしているんだがか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする