それにしても、未だに政治資金であれこれ税金の無駄使いをする政党は、次回には不要と有権者は認識して頂きたい。政治資金の問題より、予算編成、国内外の問題が優先される。だから国会審議以外に委員会でやろう、と言い出さない野党は何故なのか。単純に、政治資金の追求をして、自らの政党は活動していると有権者にアピールし、現政権は金に汚いと言いたいらしい。まったくもって、税金の無駄使いそのもんだ。それを訴えてきた政党が自ら無駄使いとは、まさに笑わしてくれる。
さて、先の未成年者による虐殺事件だが、警察をはじめ、いじめられている側から通報できる窓口を電話、メール、LINEと作る。これなら即できる。次にどう対応するのかは、児童相談所や家庭内暴力の専門家によるチームで対応手順を即作る。少年院などについても、従来通りの公正教育でいいのか、改めて議論をする。凶悪犯罪者については、刑期を終えたのちも監視対象期間を長期に定め、監視する。
逆上的な殺傷事件は、どんなに公正教育というか、自らの感情コントロールを大人ですら難しいのに、子供にできる、とするのもいかがなものか。弱い小動物を殺傷し、快楽を得る場合、殺人衝動による犯罪が多いという研究結果もある。本当にこういった人間の感情を制御できるのだろうか。今ではこういった感情爆発は脳の損傷や機能不全によると言われている。ならば、まずはそういった治療を優先し、心理面では豊かな穏やかな感情の育成を目指すなど、長期的なビジョンを持たないと難しいと言われている。しかし、日本はそういった観点から少年犯罪者の公正を考えていない。確かに未成年であっても銃を持ち、立派な兵士になれる。ここには殺人は悪という概念はない。つまり、目的によって、感情や意識は変わる。
社会によるストレスというのは、あまりに浅はかだろう。何故なら、同じ環境で、そういった行動を起こさない少年の数が多いからだ。だからこそ、精神疾患者と同じように脳の障害による行動となれば、治療を優先するため、ある程度の社会からの隔離も必要だろう。
差別ではない。刺激を与えてもよい状況になるまでは、保護してやる、という意味だ。集団の中で学ぶにしても、同じような犯罪が社会にとって問題になるという意識がない者どうしでは、あまり意味がない。穏やかな心とは、穏やかな心を持つ人の中でなければ育たないからだ。外国では宗教による公正施設が多い理由がこれだ。人道とか人権というのなら、まずは被害者が最優先で、加害者の人権を考えるようなシステムでない限り、加害者もかわいそうだ。再犯しないようにするためにどうするのか。
また、外国籍だろうが、日本籍だろうが、犯罪者は犯罪者だし、被害者は被害者だ。社会が悪いとする風潮もやめたい。誰が悪いと責任をなすりつけるから、問題解決を目指すような努力を誰もやらないだけだ。まず、監視カメラの数を増やし、警察官のパトロール地域も複数の警官で不定期に実行する。犯罪に関連するという判断を現場の警察官ができるようにし、保護できるようにする。あとは、対応手順に従えばいい。DVやいじめによる被害者、報復が怖くて通報できない人もいる。そういった配慮もしながら、まずは犯罪発生を未然に防ぐことを目的とする。外国人で日本語が不自由な場合、24時間対応できる通訳を準備する。電話やメールなら、交代で用意しても人数は多くはいらない。もちろん、業務内容に対しての守秘義務を徹底する。まずは準備が先で、法律の制定も準備に含める。
いい加減、法の制定に時間がかかる手順というのを改善してもいいのではないのか。
武器を持った犯罪者に対しては、警告したのち、警官が射撃できるように環境を整える。銃を携帯していながら、打てないというのがおかしい。警察官は、民間人の生命と同時に自らの生命を守ることを優先できるようにして頂きたい。
人権は誰にでも平等でなければいけない。しかし、犯罪者ばかりが優遇され、被害者や救済者の生命が危機に瀕するというのは、何か違ってないだろうか。殺ろすのがダメというのなら、いっそ麻酔銃なりを携帯させ、それで射撃をしやすくするなど、もっと検討してもらいたい。教師の資質についても、もっと専門的な対人スキルの教育を必須とする。教師が時間外手当がでないと生徒の面倒みない、とかは、すでに教育業界が腐敗している証拠だ。教師の賃金を残業なし、成果報酬とするのが先。そもそも学校とは、社会で必要な知識を学ぶ場所であり、そこに倫理とか道徳をもちこむことに無理がある。教える教師が理解してないのだから、教えられる訳がない。義務教育にしても、もう少し学校は生徒へ教育範囲を明確にし、親に説明したほうがいい。素行に問題がある生徒の場合は、そういった生徒ばかりで集団生活をする方法もある。本当に生徒のことを考えるのなら、厳しい指導も必要だし、親がダメなら子供を親から話して生活させる方法も用意しないといけない。
世界的に凶悪犯罪は、未成年者でも氏名や顔など公開する方向に変化している。つまり、子供を守るという認識が変わってきている。
ただし、子供への極刑は避けて、隔離して生活させるという方法をとるようだ。人権を叫ぶ弁護士は、犯罪心理や児童心理の専門家ではない。そういった人が叫ぶ、人権とは偏向されているため、双方の人間に同等の人権がある、という話はまったくでてこない。このあたりの異常性について、誰ひとり指摘もしない。これがメディアが持つ中立性らしいから笑わしてくれる。
さて、先の未成年者による虐殺事件だが、警察をはじめ、いじめられている側から通報できる窓口を電話、メール、LINEと作る。これなら即できる。次にどう対応するのかは、児童相談所や家庭内暴力の専門家によるチームで対応手順を即作る。少年院などについても、従来通りの公正教育でいいのか、改めて議論をする。凶悪犯罪者については、刑期を終えたのちも監視対象期間を長期に定め、監視する。
逆上的な殺傷事件は、どんなに公正教育というか、自らの感情コントロールを大人ですら難しいのに、子供にできる、とするのもいかがなものか。弱い小動物を殺傷し、快楽を得る場合、殺人衝動による犯罪が多いという研究結果もある。本当にこういった人間の感情を制御できるのだろうか。今ではこういった感情爆発は脳の損傷や機能不全によると言われている。ならば、まずはそういった治療を優先し、心理面では豊かな穏やかな感情の育成を目指すなど、長期的なビジョンを持たないと難しいと言われている。しかし、日本はそういった観点から少年犯罪者の公正を考えていない。確かに未成年であっても銃を持ち、立派な兵士になれる。ここには殺人は悪という概念はない。つまり、目的によって、感情や意識は変わる。
社会によるストレスというのは、あまりに浅はかだろう。何故なら、同じ環境で、そういった行動を起こさない少年の数が多いからだ。だからこそ、精神疾患者と同じように脳の障害による行動となれば、治療を優先するため、ある程度の社会からの隔離も必要だろう。
差別ではない。刺激を与えてもよい状況になるまでは、保護してやる、という意味だ。集団の中で学ぶにしても、同じような犯罪が社会にとって問題になるという意識がない者どうしでは、あまり意味がない。穏やかな心とは、穏やかな心を持つ人の中でなければ育たないからだ。外国では宗教による公正施設が多い理由がこれだ。人道とか人権というのなら、まずは被害者が最優先で、加害者の人権を考えるようなシステムでない限り、加害者もかわいそうだ。再犯しないようにするためにどうするのか。
また、外国籍だろうが、日本籍だろうが、犯罪者は犯罪者だし、被害者は被害者だ。社会が悪いとする風潮もやめたい。誰が悪いと責任をなすりつけるから、問題解決を目指すような努力を誰もやらないだけだ。まず、監視カメラの数を増やし、警察官のパトロール地域も複数の警官で不定期に実行する。犯罪に関連するという判断を現場の警察官ができるようにし、保護できるようにする。あとは、対応手順に従えばいい。DVやいじめによる被害者、報復が怖くて通報できない人もいる。そういった配慮もしながら、まずは犯罪発生を未然に防ぐことを目的とする。外国人で日本語が不自由な場合、24時間対応できる通訳を準備する。電話やメールなら、交代で用意しても人数は多くはいらない。もちろん、業務内容に対しての守秘義務を徹底する。まずは準備が先で、法律の制定も準備に含める。
いい加減、法の制定に時間がかかる手順というのを改善してもいいのではないのか。
武器を持った犯罪者に対しては、警告したのち、警官が射撃できるように環境を整える。銃を携帯していながら、打てないというのがおかしい。警察官は、民間人の生命と同時に自らの生命を守ることを優先できるようにして頂きたい。
人権は誰にでも平等でなければいけない。しかし、犯罪者ばかりが優遇され、被害者や救済者の生命が危機に瀕するというのは、何か違ってないだろうか。殺ろすのがダメというのなら、いっそ麻酔銃なりを携帯させ、それで射撃をしやすくするなど、もっと検討してもらいたい。教師の資質についても、もっと専門的な対人スキルの教育を必須とする。教師が時間外手当がでないと生徒の面倒みない、とかは、すでに教育業界が腐敗している証拠だ。教師の賃金を残業なし、成果報酬とするのが先。そもそも学校とは、社会で必要な知識を学ぶ場所であり、そこに倫理とか道徳をもちこむことに無理がある。教える教師が理解してないのだから、教えられる訳がない。義務教育にしても、もう少し学校は生徒へ教育範囲を明確にし、親に説明したほうがいい。素行に問題がある生徒の場合は、そういった生徒ばかりで集団生活をする方法もある。本当に生徒のことを考えるのなら、厳しい指導も必要だし、親がダメなら子供を親から話して生活させる方法も用意しないといけない。
世界的に凶悪犯罪は、未成年者でも氏名や顔など公開する方向に変化している。つまり、子供を守るという認識が変わってきている。
ただし、子供への極刑は避けて、隔離して生活させるという方法をとるようだ。人権を叫ぶ弁護士は、犯罪心理や児童心理の専門家ではない。そういった人が叫ぶ、人権とは偏向されているため、双方の人間に同等の人権がある、という話はまったくでてこない。このあたりの異常性について、誰ひとり指摘もしない。これがメディアが持つ中立性らしいから笑わしてくれる。