ベルトコンベア式で学生を卒業させる大学という教育内容を見直すつもりはないようだ。高校を無償化する以前に教育体系を見直しするのが先だろう。
日本国という未来は日本国民という人材に支えられている。もし、これが外国人に支えられるようになるならば、日本という国は独立国として失敗した国となる。国じゃなくてもいいのなら、独自の文化、経済に拘ることもないし、防衛という概念も必須じゃない。そういった未来を日本国は目指すのか?
9年間も教育をして、その後の専門教育という方式も早いうちに進路を決定するなど考えないと、専門家を養成する教育はできないと思う。こういった点を考えるなら、何のために教育をするのかという原点へ回帰しない限り、まともな教育はできないだろう。近代の歴史ごときでもめる理由も理解できない。価値観が違う、利益の争奪で戦争が発生したのだから、何年たってもそれぞれの立場は変わらない。それを無理やり同じにするって発想は独裁的な思考や思想のおしつけでしかない。過去の事実というが、今、目の前の現実ですら認識できない人たちが何故過去の事実を認識できるのか。歴史に学ぶ点は多いが、それぞれの立場を主張するだけならあまり意味がない。まさに領土の主張のように外交的な問題となれば個々が主張したところでどうにもできない。
戦争の原因の多くが領土争奪。その事実を無視する限り、日本が抱える領土問題はなくならない。いくら日本が領土問題はないといっても他国との間で領土の所有権で衝突しているのも事実。価値観の違う国との交流を甘くみていた日本国は、これからどうするつもりなのか。
つまり人間同士という関係と政治的関係は切り離して考えない限り、多くの外交問題は解決できない。もし、人間同士を重視するなら、これはすでに国民の代表ではなく個人としての判断だろう。代表の責任とは、自己の思想や主張よりも代表になっている日本国や日本国民の利益を優先すること。
人道的というなら、自国の国民が生活できない状態になりつつある現実を無視しているのは何故なのか。失業者に金をバラマクだけでは解決できない。
もし解決できるというなら、どういった理由で経済が活性化され、解決されるのか、しっかり説明する責任がある。その説明を聞いても日本国民が納得できない、支持できないとなれば、どんな理由があろうが解散、総選挙という選択しかない。
同時に選挙で政治家を選択するときに、汚職疑惑の政治家は選択しないというぐらい日本国民もしっかりとした認識を持たない限り、政治と金問題はなくならない。たかが一人の政治家が何を実施して成果を出せるというのは幻想だ。たったひとりで経済、外交と処理できるぐらいなら、内閣の大臣も必要ない。それとも脅しと金で部下を働かせ、企業を牛耳る政治の方がいいのか。日本国民が暮らせる場所は日本国だけだ。外国に行っても国籍を変えない限りはゲストでしかない。この違いを忘れて欲しくない。
本当に大切なのは、自分自身が健康で生活ができること。太古、人間は狩りをして、生きてきた。その狩りを個人で実施するより集団で実施した方が成功率も高まり、餓死することもなくなる。しかし、獲物が少ないとなれば争奪のために戦う。それとも日本国民は宗教家のように奉仕することで幸福を得られるのか。自分は餓死しても誰かに奉仕することで満足なのか。
現実と理想を見極めること。それができなければ、いつまでも自らを卑下し、引きこもり、萎えていくだけだ。
自分が幸福になることは悪いことじゃない。そこではじめて他人にも分けてあげようという余裕が生まれてくる。他人のことより自分の面倒をまずは考える。移民を推奨し、多文化に変化するなら、個人重視や競争重視へ変化せざる得ない。価値観が違う場合、いくら議論しても交わることは難しい。しかし、ルールを双方が理解し、競争させることはできる。だから移民国はどこも個人主義で競争を重視しているだけだ。
こういった変化のためには準備が必要。その準備を現政権はできない。
知識がないから経験で積ませるなんて非現実的なことはあり得ない。
知識がなくても有識者、専門家と常時情報交換することもなく、かつ日々の現実にすら対処できてない。どう考えてもやる気がないとしか思えない。
すべての優先順位が御身第一だから、本来やるべきことの順位があがってこない。日本国ほど日本人が住みやすい国はない。それが今、なくなろうとしている危機感をどれだけの日本人が感じているのだろうか。
経済が安定することこそ、何よりも最優先。
日本国という未来は日本国民という人材に支えられている。もし、これが外国人に支えられるようになるならば、日本という国は独立国として失敗した国となる。国じゃなくてもいいのなら、独自の文化、経済に拘ることもないし、防衛という概念も必須じゃない。そういった未来を日本国は目指すのか?
9年間も教育をして、その後の専門教育という方式も早いうちに進路を決定するなど考えないと、専門家を養成する教育はできないと思う。こういった点を考えるなら、何のために教育をするのかという原点へ回帰しない限り、まともな教育はできないだろう。近代の歴史ごときでもめる理由も理解できない。価値観が違う、利益の争奪で戦争が発生したのだから、何年たってもそれぞれの立場は変わらない。それを無理やり同じにするって発想は独裁的な思考や思想のおしつけでしかない。過去の事実というが、今、目の前の現実ですら認識できない人たちが何故過去の事実を認識できるのか。歴史に学ぶ点は多いが、それぞれの立場を主張するだけならあまり意味がない。まさに領土の主張のように外交的な問題となれば個々が主張したところでどうにもできない。
戦争の原因の多くが領土争奪。その事実を無視する限り、日本が抱える領土問題はなくならない。いくら日本が領土問題はないといっても他国との間で領土の所有権で衝突しているのも事実。価値観の違う国との交流を甘くみていた日本国は、これからどうするつもりなのか。
つまり人間同士という関係と政治的関係は切り離して考えない限り、多くの外交問題は解決できない。もし、人間同士を重視するなら、これはすでに国民の代表ではなく個人としての判断だろう。代表の責任とは、自己の思想や主張よりも代表になっている日本国や日本国民の利益を優先すること。
人道的というなら、自国の国民が生活できない状態になりつつある現実を無視しているのは何故なのか。失業者に金をバラマクだけでは解決できない。
もし解決できるというなら、どういった理由で経済が活性化され、解決されるのか、しっかり説明する責任がある。その説明を聞いても日本国民が納得できない、支持できないとなれば、どんな理由があろうが解散、総選挙という選択しかない。
同時に選挙で政治家を選択するときに、汚職疑惑の政治家は選択しないというぐらい日本国民もしっかりとした認識を持たない限り、政治と金問題はなくならない。たかが一人の政治家が何を実施して成果を出せるというのは幻想だ。たったひとりで経済、外交と処理できるぐらいなら、内閣の大臣も必要ない。それとも脅しと金で部下を働かせ、企業を牛耳る政治の方がいいのか。日本国民が暮らせる場所は日本国だけだ。外国に行っても国籍を変えない限りはゲストでしかない。この違いを忘れて欲しくない。
本当に大切なのは、自分自身が健康で生活ができること。太古、人間は狩りをして、生きてきた。その狩りを個人で実施するより集団で実施した方が成功率も高まり、餓死することもなくなる。しかし、獲物が少ないとなれば争奪のために戦う。それとも日本国民は宗教家のように奉仕することで幸福を得られるのか。自分は餓死しても誰かに奉仕することで満足なのか。
現実と理想を見極めること。それができなければ、いつまでも自らを卑下し、引きこもり、萎えていくだけだ。
自分が幸福になることは悪いことじゃない。そこではじめて他人にも分けてあげようという余裕が生まれてくる。他人のことより自分の面倒をまずは考える。移民を推奨し、多文化に変化するなら、個人重視や競争重視へ変化せざる得ない。価値観が違う場合、いくら議論しても交わることは難しい。しかし、ルールを双方が理解し、競争させることはできる。だから移民国はどこも個人主義で競争を重視しているだけだ。
こういった変化のためには準備が必要。その準備を現政権はできない。
知識がないから経験で積ませるなんて非現実的なことはあり得ない。
知識がなくても有識者、専門家と常時情報交換することもなく、かつ日々の現実にすら対処できてない。どう考えてもやる気がないとしか思えない。
すべての優先順位が御身第一だから、本来やるべきことの順位があがってこない。日本国ほど日本人が住みやすい国はない。それが今、なくなろうとしている危機感をどれだけの日本人が感じているのだろうか。
経済が安定することこそ、何よりも最優先。