The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

スポーツの偽善正当化をやめよう

2018-01-27 06:09:33 | Weblog
一部の日本メディアによれば、日本国はオリンピックを政治から切り離して、フェアを守るために日本国首相が開会式に出席するのが当然という論調がある。まず、オリンピックのどこがフェアなのか、と問いたい。だいたい、国同士でそれぞれの国民を使った単なる代理戦争とも感じられるような仕組みなので、自分は興味すらない。そう、国どうしで争わせる。選手も競技に参加したいがため、国籍を変える。こういった状況のどこがフェアと言えるんだろうか。おまけに今回は明らかに開催国の都合で統一チームなんてものまで認めるオリンピック委員会も如何なものか。考えて頂きたい。世界を相手に好き放題の暴挙を繰り返し、世界共通の財産である海にゴミを捨て続ける国もどきの北朝鮮。そこと変わらないのが南朝鮮。この南北は、統一しようが、しなかろうが、日本国の敵国なのは変わらない。しかし、現日本政府は、未だに南北朝鮮による正式な大使館や領事館とは別な日本国の政治に関与する団体に対して、何もしてないのだ。何よりも先に、南北朝鮮出身者に対して、優遇措置となるようなすべてを廃止するのが先だ。留学、雇用について、他国の国籍保持者と同等にする。そう、特別永住許可は廃止し、生活保護の適用も他国の外国人を含めて、適用基準を改正する。少なくても60際以上で年金を納めてない人には生活保護は適用しない。生活保護の意味とは、国民の生活を保護する目的であり、外国人の生活を保護することではない。ゆえに憲法でも外国人適用を認めてない。憲法改正を反対する人たちは、外国人への生活保護も憲法で記載しろ、とどうして騒がないのだろうか。

すべては南北朝鮮半島出身者を日本から帰国させるためだ。そのためには、日本国内で日本の政治に関与させるような団体や組織を認めない。これを自由を阻害するというのなら、外国人には日本国の行方をどうするのか、という責任はない。むしろ、外国人の国に有利になるように日本国の政治を動かすことを目的とするしか、存在価値はないのだ。外国人の生活が日本国で上昇すれば、日本人の生活もよくなるような意見があるが、そんなものはまやかしだ。民主主義の国民は、国民それぞれが国を作る責任を担う。ゆえに国民が利益を得るような政策であって、他国を利するような政策を認めさせることはありえない。日本国民の大多数が高齢化という現実があるからこそ、他国の移民を受け入れるのも一つの政策だろうが、南北朝鮮だけは受け入れないで頂きたい。彼らの発端は、何なのか、今こそメディアは記事で日本社会に事実を伝えるべきだろう。産業にしても、同じパクリと言われても、中国は独自の製品はサービスをどんどん世界に進出させているのだ。科学や技術、医療の論文数も日本は負けている。さて、南北朝鮮と言えば、こういった競争でも価値があるかと言えば、ない。

スポーツは人類にとって、健康を維持するためには不可欠だ。だが、それをわざわざオリンピックという名目で大金をかけてまでやる必要があるのだろうか、と考えるには、今回の冬季オリンピックは最適だろう。

日本国首相が訪問して会談したり、開会式に出席することに対して、防衛大臣はどう考えているのだろうか。もし、首相および付き添いの日本人や日本人選手たちに何かあったとしても、自衛隊は救済するために韓国領土内には入れないのだ。有事でなくても、こういった危機が発生する可能性は高いにも関わらず、日本国首相を訪韓させることなどできるはずがない。最悪な状況を予想すれば、日本対朝鮮半島との有事すら可能性はありえるのだ。日本国首相も会談するのなら、領土ではなく、海上の米国をはじめとする日韓以外の空母を会談場所にするなど、いくらでも方法はある。開会式に参加するのも、日本国首相の命をかけてまで、メリットがあるのか。

東京オリンピックを成功させるため、といいながら、実はオリンピック委員会から恫喝されて、参加する可能性とかなんだろうか。
それほど、日本国にとって、現時点での日本国首相の韓国オリンピック開会式への参加が何の利益もないのだ。

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日本政府は冬季オリンピックへの参加を国として取り消しせよ

2018-01-13 05:57:36 | Weblog
せまりくる冬季オリンピックだが、北朝鮮が韓国によってオリンピック参加時に経済的な支援を受けるのであれば、これは日本政府としても強い決断は必要だ。つまり、日本国としてのオリンピック参加を見合わせる、と。
よく選手がなんたらという人がいるが、そもそもスポーツがオリンピックのため、というする姿勢がおかしい。運動能力を評価するのに、いろいろな競技会がある。ところがオリンピックせ優勝しないと評価しない、という世間がおかしいとも言える。音楽も同じで、優勝しないと能力を評価しない。こういった能力評価こそ、見直す必要はある。特にオリンピックには毎回ドラック汚染疑惑が伴う。そこまでしても優勝しなければいけない、という姿勢もおかしい。正々堂々と云々と、宣言して置きながらだ。何がフェアマンシップなんだろうか。

まあ、どうしてもある種の選手として参加したいから、自国を捨てて、他国籍になって参加する選手もいる。ある意味、こういった選手こそ、素晴らしいと自分は思う。だって、国籍なんてどうでもよくて、自分が優勝を目指して参加するため、としても国籍だからだ。オリンピック以外にも国際競技会なんて、ほぼどれも同じ。理由は国という所属によって、出場選手が決められるからだ。それなのに、未だにオリンピックは国同士によるスポーツ大会となっている不思議さ。むしろ、民族的な身体特徴の差をどうやって克服して、優勝するか、という問題を考えると、ドーピングはなくならないと思う。しかし、これを公平として扱う不思議さ。

商業的な経済効果としてのみ、オリンピックは存在すると自分は思う。ゆえに日本政府は今回は冬季オリンピックに日本国民を参加させない、という判断をして頂きたい。なにせ、開催国で一度有事が発生しても、日本国の自衛隊は自国民を救済するための活動すらできないのだ。そんな国に日本国民を行かせる日本国政府に自分は疑問を抱く。本当に日本国民の安全を守るつもりなのか、と。自由はいいが、それは決められた枠の中での話であって、日本国政府管轄外となるような場所での日本国政府の国民保護義務はなくても当然、とするための方法を考えて実行するのが先だ。つまり、自己責任なので、国からの救済や支援は一切不要という宣誓をしてから韓国や北緒戦のような国へ出国してもらう。パスポートに宣言をスタンプしてもらって、そこにサインでもいい。人質になっても日本政府は一切関与しない、と。人質の価値もないとなれば、少しは拿捕や拉致される被害は減るだろう。

それにしても、未だにビザなし来日が認められるというのがおかしいのだが、日本政府は本当に韓国への制裁をやる気なんだろうか。まあ、南北朝鮮が統一されれば、日本に合法で居住している朝鮮半島出身者は強制帰国してもらえばいいだけだ。問題は帰化者。これをどう取り消しするか。こういった処理を徹底していかない限り、日本の移民政策は改善できない。まあ、政治的、思想的に反日運動や活動利益がある外国人を帰化させる方がおかしい。言論の自由もある枠組みの中でのみ、存在するのだ。昨今、アフリカ系米国人が日本のコメディ番組でアフリカ系米国人が演じている役を真似したことで、差別だと世界に騒いで広めている。こういった人こそ、差別をいつまでも継続させ、助長させているのだと自分は思う。まず、肌の色、身体的特徴を笑いとするのが差別とする文化は、肌の色が違う移民を抱えた国での問題であり、日本のように日本人と呼ばれる人でない限りは、すべて外国人とする文化的習慣を理解してない。こういった習慣を差別というのなら、日本から出て行って、差別がない国で暮らしてもらいたい。インドも未だにカースト制度が残っている。これは文化的な土台から生じている限り、その文化が消滅しない限り、なくならないだろう。日本の宗教、神道には人種を定義した話は一切ない。ところが、世界でも信者が多いキリスト教、イスラム教の場合、聖書そのものに民族が記録され、それぞれの民族が何をしてきたのかまで書かれている。ましてや言語の統一を試みた多民族が神へ挑戦を試みて、罰せられるとか。平等だとか、人権を訴えている人たちは、自分たち以外の多様な文化、価値観を学ぼうともせずに一方的に差別だと騒ぐ。これじゃ、異文化同士の友好がうまくいくはずはない。

ならば日本人はどうやって多文化共生を実現しようと考えるのか。一つには住み分けがあるのだが、お互いに共通する最低限の基準として、その国の法律がある。これはどのような民族だろうが、宗教だろうが、必ず法律の下に存在することを意識させるような法的な宣誓が必要だ。例え、帰化しないとしても、永住しないとしても、留学生や労働者以外の観光客も日本国土内にいる限りは、日本の法律の下だという認識を徹底させる。これに不満なら日本に入国してもらわないでもいい。こういった日本の認識を変えようとすること自体が、固有文化への内政干渉であり、文化侵略だ。それぞれの国が違った文化を継承するから意味がある。将来、どの文化が長く継続するのか、その文化こそが人類の文化を代表するのか、こういった使命を考えると、むやみに他国の文化への狭い認識でやるような外国人は世界からみて、有害としか言えない。常識もそれぞれの文化背景からすれば違って当然。あとはどこで折り合いをつけるかだろう。つまり、お互いに譲り合いができないようなら、双方で関係するのは敵意や嫌悪を含めたネガティブな感情しか生み出せないのだ。もし、経済的利益があるというのなら、それも敵意や嫌悪より重要か、と比較した上で判断すればいい。どちらんしても固有の文化を狭い価値観で押し付ける国連人権なんちゃらのような態度を良しとする方がおかしい。経済大国が小さい国への文化干渉するのも同じで、文化破壊を認めることこそ、人権なんちゃらは守るべきだろう。

日本国には日本国の憲法下における表現の自由がある。昨今は、なんでも差別、ハラスメントと騒ぐのは、社会への不満の現れなのかもしれない。身体的特徴を悪口ととるのか、「違うのは固有の個性」として、それを認識できない人こそおかしいと無視するかだ。集団で一方的にどちらかを攻めるのは、どんな理由があろうが、あきらかにイジメ。ゆえに個人が不快を感じて、それをSNSで表現するも自由だし、その権利もある。ところが、これがプロのジャーナリストとして自らの職業を利用して広めるとなると、文化侵略へのパワハラとしか感じない。ジャーナリストであれば、古来からの日本文化を学び、戦後、日本がはじめて迎えたアフリカ系米国人を差別しないでおもてなしした話の多くをどう捉えるのか、そこを分析した上で、自らの不快を訴えて頂きたい。当然ながら、日本の文化を改善する以前に、自らが快適になるために、日本を去る自由も権利もある点にも触れて欲しいものだ。

日本人として、差別的な言動をいろいろなところで受けてきた。でも、そこに自分が存在しているのには、ビジネスやら留学やらと目的があるから、別に暴力など物理的に生活を阻害しない限りは、ほっておく。そもそも人種も国籍も自ら選択して生まれてきた訳じゃないからだ。そんなことであれこれ言われたって、対応する方法はない。だから、目的が完了したら、さっさと退却し、二度と関わらない。それでも、親しい友人はできるので、そういった人とは人間として楽しく関係を維持している。例えば、朝鮮半島出身者の友人とは政治的話で、日韓関係には一切触れない。なにせ、どちらも自国への選挙権がある訳で、他国が正しく、自国が謝りなんて言えるはずもないからだ。選挙権とは自らの意見を反映させる手段ではあるが、結果が出たら結果を受け止めるのも民主主義だ。確かに抗議デモに参加する手段もあるが、古来、抗議デモがあるから政策が変わったという歴史的事実はない。せいぜい、反政策を支持している政治家を喜ばせるだけだ。でも、自国の政治家へ声を上げ続ける必要はある。


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