憲法9条をはじめ、戦争放棄をして軍備を持たなければ他国から武力攻撃されない、という信仰は、一般世間でいう迷信よりもあり得ない話。まして、日本が世界を救済なんてできるはずがないのです。ならばどうしてODAとか、新興国への経済支援、技術支援をやっているのだろうか。
昨今ではシリア難民問題で欧州が混乱し、ドイツの自動車会社による不正ディーゼルエンジン排ガス値。まあ、ドイツにしてみると、善幸として難民を受け入れたのに、どうしてこうなるのか、という気分らしい。まあ、排ガス値については、ドイツばかりを責めてはいけないと思う。なにせ、韓国の自動車会社だって、立派な詐欺値を表明していたぐらいなのだ。日本と言えば、国内外で消費燃料の計測値が実際とかけ離れていると昔から騒いでいる。まあ、そもそも計測時の値が違って当然なんだけどね。
日本と言えば、排ガスによる公害で首都圏は死にかけたおかげで、排ガス規制には世界でも厳しい国になった。ディーゼルエンジンの特許数を調べてみるとわかるだろうが、世界でもトップクラス。こういった背景には資源がない国で、過去に幾度も高くて厚い壁で苦しんでいるからだ。だから化石燃料以外の水素、電池による駆動という試みをやめない。世界標準になれば、製品も売れ、単価あたりのコストも下がり、競争力もます。しかし、水素エンジン車とか、電池車を必要とする国がどれだけあるか、となると日本ぐらいしかないだろう。理由は水素を作り出すためのプラント、輸送手段を新たにシステム化するには相当のコストがかかるからだ。ならば、太陽電池を屋根に設置し、そこから電池を充電できるのならコストも安くなるのだが、今度は走っている途中でのエネルギー補充が難しい。それこそ、昨今、実験していた太陽光から電気を地球外で生成し、地上へ電波で飛ばすような技術なら走りながらでもどこでも充電できそうだ。砂漠などを走る場合には便利で安全なエネルギ補給となるかもしれない。日本をガラパゴスというが、世界には日本と同じに資源もなく、ポツンと存在している小さい国はたくさんある。
さて、インドネシアでの高速電車システムを日本ではなく、中国を選ばれたと騒いでいる。別にいいと思う。残念かどうか。どちらにしても地震が増えている現在、高速鉄道に乗るというのは飛行機事故より出会う可能性は高いだろうし、地震の規模のよっては助からないだろう。これは日本国内だって同じ。それを心配していたらきりがない。品質を上げて、コストがかさむのは当然。だからお客様側がコスト重視となれば、それはある意味お客様によう選択の自由でいいのだ。これからは自動運転の車とかも世界で開発競争になるだろう。これはこれでなかなかスリルがある。なぜなら人間に制御させないで、AIやプログラムに依存するからだ。自分ならご免こうむりたい。自分のミスで死ぬなら諦めもつくが、他人の作った制御プログラムのバグで死ぬのは嫌だからだ。
利便性の追求には、当初のリスクを負ってくれる犠牲があってこそ、実用化できる。どんな製品でも初期ロットだけは避ける、という原則も同じ。日本の利点は奇抜性より、安定した安全性を重視する姿勢。これこそ日本ブランド。だから、他国のように安全や安定より奇抜性の方が好まれるのも事実。実際に消費者だって同じ。新製品が出るとまっさきに群がるのは日本人か中国人と言われている。そして、こういった人たちが初期ロットのバグを見出して、修正した製品が世界の市場に流れていくのだろう。
今、世界で武力衝突している場所や民を見てみると、経済的に安定しているような場所ではない。むしろ、日々の食べ物すら安定して供給できるのか、という疑問すらあるような地域もある。しかし、それぞれの政府は自国民に安定した食料を供給するために、他国から食料を奪うための戦争という訳じゃない。領土を取り合いしたところで、どんなメリットがあるのだろうか。これは日本国、中国や韓国にも言える。いっそ、こういった問題があるような地域は世界中立地帯として制定し、国連で管理でもできればいい、と誰だかが言ってた。だが、現在の国連をみるとわかるように、まるで前政権だった日本のように破滅への道を進んでいる状態なのだ。こういった場合にどうトップリーダを変えられるのか。つまりリコールだ。日本でも安保法制可決に賛成した議員を落選させよう戦略が公表されている。民主主義システムの欠点をついた作戦とも言えるし、単なる衆愚政治化としか言えない。こうなると、もう阻止する方法は独裁者による統治しかない。
現政権与党の政治家たちは、地方政治家たちをどう統一していけるのか。それとも政党政治をやめるのか。
いっそ、政府公報にもっと予算をかけて、独自に情報の発信をしていくのが一番いいと思う。一つには実績だ。そして、実績による成果もきちんと報告する。状況によっては見直し、再度実行していくような手順も重要だ。
少なくても日本国内の治安を維持するためにも、政治運動として日本政府倒閣を訴えるような外国人を放置していおいていいはずがない。特に敵国相当の工作員の可能性もゼロではない。こういった外国人を利用する団体や組織についても、まずはビザで取り締まりを強化して頂きたい。観光以外にビザなし来日なんて許されてないのだから。こういった違法来日者には入国制限を徹底する。関与した組織、団体への処罰も罰金だけではなく、逮捕まで視野に入れて法整備して頂きたい。なにせ国家治安維持に関わるのだから。
さて、言論の自由として、誰々を殺せ、などは立派な脅迫になるのだが。先の国会における女性議員への暴力行為としい、現政府は本当に日本国内治安を良くしようと目指しているのだろうか。女性活用ばかり主張するのだが、現実には家庭内暴力DVによる被害者は年々増えている。こういった点ももっとやれることがあるはずだ。警察も児童虐待やDVによる被害を予想できるのなら、なんらかの法的処置が取れるように法律を改善する必要もある。移民が増えれば、こういった性的問題も増えてくる。つまり、労働上でも女性というだけで制限される。
世界の女性を見てみると、現代女性は男性と力を使う職業において、差別がない。いい例が軍だ。上限値は違うとしても標準的に必要なレベルは同じだそうだ。子供を産む自由もあれば、子供を産まない自由もあってよい。少子化を加速させる、という意見には賛成できない。別に自分の子供でなくても、それこそ世界から養子を迎えるという方法もある。自らの子供しか認めないのは、まさに血統主義そのものだ。それと結婚する年齢も教育する年数が長期化するため、結婚して子供を産むという従来の価値観が変わってきている。それこそ、学生時代の若い時期に子供を産んでおく、というシステムだってあっていい。同性婚が認められるようになれば、家族という定義に血統というのがなくなるかもしれない。
従来のシステムは機能していた。だが、未来に向けて、それが有効だとは言い難い。極論すれば、国という単位すら、百年後はなくなるかもしれない。地球という星で一つの組織になるかもしれないのだ。年寄りはこういった未来を信じたくないのだろう。だが、百年前の地球にあるそれぞれの国がどう変化したのか、歴史を直視するのであれば、誰かが望もうが、望まなかろうが、変化はする。paradigm shiftを必要としているのは、地球であり人類全体なのかもしれない。檻の中で安全に餌を与えられ生きるのが幸せ、と感じるのならそれもよいだろう。だが、それは本当に人間として生きていると言えるのか。同じ種どうして殺し合いするよりも、そろそろ迫り来る人類存続の危機に対応しようと考えないのだろうか。異常気象は事実だ。なにせ太陽系そのものが銀河系内で移動しているのだから、従来と同じような状況のままの訳がない。おまけに地球上には毎年の人口数を見てみると恐ろしい早さで増えている。食料、水が足りないのも事実。
難民で騒いでいて、世界中の人々が忘れているのが人口増。特に貧困地帯と言われているところほど、出生率も高い。この問題はいつのまにかどのメディアも有識者も口にしなくなったが、決して解決されている訳じゃない。シリア難民問題を政局に利用する団体や組織を誰も支持できない。何故なら彼らは安全保障に対して、安保法制の必要な理由すら明確に定義せず、反対しているからだ。こういった人たちが本当に人道的な支援をやる、とは、自分は信じられない。
現政府は難民受け入れよりも、現在、予算不足で環境も悪化する難民キャンプへの支援を重視するといった。
まさか、日本国政府として、難民を受け入れる準備ができてないから受け入れるのは難しいとは言えないのだろう。
昨今ではシリア難民問題で欧州が混乱し、ドイツの自動車会社による不正ディーゼルエンジン排ガス値。まあ、ドイツにしてみると、善幸として難民を受け入れたのに、どうしてこうなるのか、という気分らしい。まあ、排ガス値については、ドイツばかりを責めてはいけないと思う。なにせ、韓国の自動車会社だって、立派な詐欺値を表明していたぐらいなのだ。日本と言えば、国内外で消費燃料の計測値が実際とかけ離れていると昔から騒いでいる。まあ、そもそも計測時の値が違って当然なんだけどね。
日本と言えば、排ガスによる公害で首都圏は死にかけたおかげで、排ガス規制には世界でも厳しい国になった。ディーゼルエンジンの特許数を調べてみるとわかるだろうが、世界でもトップクラス。こういった背景には資源がない国で、過去に幾度も高くて厚い壁で苦しんでいるからだ。だから化石燃料以外の水素、電池による駆動という試みをやめない。世界標準になれば、製品も売れ、単価あたりのコストも下がり、競争力もます。しかし、水素エンジン車とか、電池車を必要とする国がどれだけあるか、となると日本ぐらいしかないだろう。理由は水素を作り出すためのプラント、輸送手段を新たにシステム化するには相当のコストがかかるからだ。ならば、太陽電池を屋根に設置し、そこから電池を充電できるのならコストも安くなるのだが、今度は走っている途中でのエネルギー補充が難しい。それこそ、昨今、実験していた太陽光から電気を地球外で生成し、地上へ電波で飛ばすような技術なら走りながらでもどこでも充電できそうだ。砂漠などを走る場合には便利で安全なエネルギ補給となるかもしれない。日本をガラパゴスというが、世界には日本と同じに資源もなく、ポツンと存在している小さい国はたくさんある。
さて、インドネシアでの高速電車システムを日本ではなく、中国を選ばれたと騒いでいる。別にいいと思う。残念かどうか。どちらにしても地震が増えている現在、高速鉄道に乗るというのは飛行機事故より出会う可能性は高いだろうし、地震の規模のよっては助からないだろう。これは日本国内だって同じ。それを心配していたらきりがない。品質を上げて、コストがかさむのは当然。だからお客様側がコスト重視となれば、それはある意味お客様によう選択の自由でいいのだ。これからは自動運転の車とかも世界で開発競争になるだろう。これはこれでなかなかスリルがある。なぜなら人間に制御させないで、AIやプログラムに依存するからだ。自分ならご免こうむりたい。自分のミスで死ぬなら諦めもつくが、他人の作った制御プログラムのバグで死ぬのは嫌だからだ。
利便性の追求には、当初のリスクを負ってくれる犠牲があってこそ、実用化できる。どんな製品でも初期ロットだけは避ける、という原則も同じ。日本の利点は奇抜性より、安定した安全性を重視する姿勢。これこそ日本ブランド。だから、他国のように安全や安定より奇抜性の方が好まれるのも事実。実際に消費者だって同じ。新製品が出るとまっさきに群がるのは日本人か中国人と言われている。そして、こういった人たちが初期ロットのバグを見出して、修正した製品が世界の市場に流れていくのだろう。
今、世界で武力衝突している場所や民を見てみると、経済的に安定しているような場所ではない。むしろ、日々の食べ物すら安定して供給できるのか、という疑問すらあるような地域もある。しかし、それぞれの政府は自国民に安定した食料を供給するために、他国から食料を奪うための戦争という訳じゃない。領土を取り合いしたところで、どんなメリットがあるのだろうか。これは日本国、中国や韓国にも言える。いっそ、こういった問題があるような地域は世界中立地帯として制定し、国連で管理でもできればいい、と誰だかが言ってた。だが、現在の国連をみるとわかるように、まるで前政権だった日本のように破滅への道を進んでいる状態なのだ。こういった場合にどうトップリーダを変えられるのか。つまりリコールだ。日本でも安保法制可決に賛成した議員を落選させよう戦略が公表されている。民主主義システムの欠点をついた作戦とも言えるし、単なる衆愚政治化としか言えない。こうなると、もう阻止する方法は独裁者による統治しかない。
現政権与党の政治家たちは、地方政治家たちをどう統一していけるのか。それとも政党政治をやめるのか。
いっそ、政府公報にもっと予算をかけて、独自に情報の発信をしていくのが一番いいと思う。一つには実績だ。そして、実績による成果もきちんと報告する。状況によっては見直し、再度実行していくような手順も重要だ。
少なくても日本国内の治安を維持するためにも、政治運動として日本政府倒閣を訴えるような外国人を放置していおいていいはずがない。特に敵国相当の工作員の可能性もゼロではない。こういった外国人を利用する団体や組織についても、まずはビザで取り締まりを強化して頂きたい。観光以外にビザなし来日なんて許されてないのだから。こういった違法来日者には入国制限を徹底する。関与した組織、団体への処罰も罰金だけではなく、逮捕まで視野に入れて法整備して頂きたい。なにせ国家治安維持に関わるのだから。
さて、言論の自由として、誰々を殺せ、などは立派な脅迫になるのだが。先の国会における女性議員への暴力行為としい、現政府は本当に日本国内治安を良くしようと目指しているのだろうか。女性活用ばかり主張するのだが、現実には家庭内暴力DVによる被害者は年々増えている。こういった点ももっとやれることがあるはずだ。警察も児童虐待やDVによる被害を予想できるのなら、なんらかの法的処置が取れるように法律を改善する必要もある。移民が増えれば、こういった性的問題も増えてくる。つまり、労働上でも女性というだけで制限される。
世界の女性を見てみると、現代女性は男性と力を使う職業において、差別がない。いい例が軍だ。上限値は違うとしても標準的に必要なレベルは同じだそうだ。子供を産む自由もあれば、子供を産まない自由もあってよい。少子化を加速させる、という意見には賛成できない。別に自分の子供でなくても、それこそ世界から養子を迎えるという方法もある。自らの子供しか認めないのは、まさに血統主義そのものだ。それと結婚する年齢も教育する年数が長期化するため、結婚して子供を産むという従来の価値観が変わってきている。それこそ、学生時代の若い時期に子供を産んでおく、というシステムだってあっていい。同性婚が認められるようになれば、家族という定義に血統というのがなくなるかもしれない。
従来のシステムは機能していた。だが、未来に向けて、それが有効だとは言い難い。極論すれば、国という単位すら、百年後はなくなるかもしれない。地球という星で一つの組織になるかもしれないのだ。年寄りはこういった未来を信じたくないのだろう。だが、百年前の地球にあるそれぞれの国がどう変化したのか、歴史を直視するのであれば、誰かが望もうが、望まなかろうが、変化はする。paradigm shiftを必要としているのは、地球であり人類全体なのかもしれない。檻の中で安全に餌を与えられ生きるのが幸せ、と感じるのならそれもよいだろう。だが、それは本当に人間として生きていると言えるのか。同じ種どうして殺し合いするよりも、そろそろ迫り来る人類存続の危機に対応しようと考えないのだろうか。異常気象は事実だ。なにせ太陽系そのものが銀河系内で移動しているのだから、従来と同じような状況のままの訳がない。おまけに地球上には毎年の人口数を見てみると恐ろしい早さで増えている。食料、水が足りないのも事実。
難民で騒いでいて、世界中の人々が忘れているのが人口増。特に貧困地帯と言われているところほど、出生率も高い。この問題はいつのまにかどのメディアも有識者も口にしなくなったが、決して解決されている訳じゃない。シリア難民問題を政局に利用する団体や組織を誰も支持できない。何故なら彼らは安全保障に対して、安保法制の必要な理由すら明確に定義せず、反対しているからだ。こういった人たちが本当に人道的な支援をやる、とは、自分は信じられない。
現政府は難民受け入れよりも、現在、予算不足で環境も悪化する難民キャンプへの支援を重視するといった。
まさか、日本国政府として、難民を受け入れる準備ができてないから受け入れるのは難しいとは言えないのだろう。