The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本の経済成長はギャンブルとなった日

2009-08-31 00:36:32 | Weblog
株価下落、円高にはもう誰も歯止めはかられない。
米国でもオバマ大統領への不満の理由は、公約で米国利益ならない海外へのアウトソースを進める企業への課税や外国人労働者を多く雇用する企業への課税を実行しないからだと言う。政府がやらないとなれば、市民の間で外国人への排斥という状況がひしひしと広がっているそうだ。そりゃ自国の人間が解雇され、外国人は雇用されているとなれば、期待していた政治が何もしないとなれば不満は直接外国人に行く。

さて、金融業が望むのは乱上下する株と為替。日本はそれをさせないために経済危機で即効で手を打った。お上が介入した安定を嫌う投資家にとっては政権交代ほどおいしい話しはない。これはギャンブルだ。
このギャンブルで国民および国内企業は決して勝てない。なにせ日本経済の安定を指させる長期対策もなければ、生産性増加もみこめない社会保障の充実のみだ。
だからFTAなんだよ。消費者が金を手にすればどの国も日本というおいしい市場を見逃さない。また、日本がますますデフレになると踏んだ外国企業は撤退をはじめる。だって製品もサービスも売れないだろう? だったら賃金が安い国で作った製品を日本へ輸出した方が利益は大きい。
トヨタやホンダが米国や豪州を撤退しなかったことで、それらの国ではトヨタやホンダを買おうって運動が起きるぐらいなのになぁ。

民主党はマスコミに金を出す約束でもしてたのか? まあ、マスコミに金を出しても国民としては何の利益もない。確かアニメの殿堂を否定してたはずだよなぁ。
ソフトパワーを認めてないくせにマスコミ救済のために金を出すのか?
この日本に新聞やテレビの数が多すぎる。統廃合させることこそ健全なメディアへの道が開けると思うんだけどね。どの国もマスコミの統廃合は進んでいる。

今朝同僚が言った言葉は「つまらない。あきた。これだけで経済回復を止めるような政治を選択する意味は何だよ。」と嘆いてた。それが日本の民主主義って結果だから、悪くはないと思う。成熟した民主主義で成功している国はもうないんじゃないか? 米国ですら一向に経済回復は進まない。雇用率も悪化するばかり。外国人は大量に入国する。ということで国内の治安は悪化するばかりだそうだ。

今年の冬は寒くなければいいが、寒かったりすればそれこそ地獄になる。雇用回復がまったく見えてこない。円高になれば頼れる外需も駄目になる。円高のうちに外貨を買って利子の高い国に貯金する。できるだけ米ドルに引きずられない国の通貨。まあ、EUだってそろそろ息切れになってきたし、どうなることやら。

成果を認めないって文句を言う人は、心にして欲しい。決して実績では誰も評価はしてくれない。市場の気分と言われるのはそうゆう意味だ。どんなにいい製品を適正価格で作ってもヒット商品にならないが、製品は人気があるよ、という煽動で消費者の気分は変わる。そんなものに流されることが悪いのか、と言いたいようだ。
別に悪くはない。だが、いつも誰かのせい、何が悪いと言い続けたところで何も生み出さないから解決はしない。ずっと底で這いずり回るだけだ。
民主主義は自己責任がなによりも重要だって日本では教えない。とにかくみんなと同じなら大丈夫、と言われる。そんな教育じゃ自由という高価な味はわからない。
いつもお上が管理して、お上が命令すればそれに従う、これじゃまるで国家のペットでしかない。だから自分の国って認識もできないし、国家の主権という立場も理解できない。この教育をこれからもっと堂々を続けていくんだろう。
中国に自由がない、と言う中国人がいる。日本だって自由はないんだよ。つまり国民には責任がないから、好き勝手の無法地帯ってことだ。どちらがいいと思うか?と聞いたところ黙った。少なくても国家経済を上昇させ、国民の能力も上昇させるために努力している分、日本よりましだろう。人種差別とかいうが、そもそも違う言語や習慣を持つ人を同じ地域で生活させるなら、不満がでないように工夫をしない限りはどの国だって揉める。それでも文句を言えるだけ中国って国がいかに成長したのかってわかるんじゃないか? 昔なら文句を言うなど恐怖でできなかったはず。また、そういった人間を海外に出すこともしなかったはず。外国人も多く働いているし、ある意味情報操作は簡単ではない。学ぶところは多いなぁ。
まあ、その中国が狙うのは日本の市場か? それとも資源か?

技術開発を支える企業はがんばって資産の技術を守ってくれ。

補足:どこまで円高になるのか?







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戦後はじめて日本国が本当の民主主義なのか、試される選挙

2009-08-29 22:38:21 | Weblog
日本国という国の国民が民主主義をしっかり理解しているのか、まさに問われる選挙だろう。一票を投じる重さと責任を理解しない限り民主主義など成功しない。
言いたい放題、やりたい放題の無政府主義には自由はない。自由には責任がある。
個人のみの利益だけではなく、家族、地域、広くは国に済む民を利益を考える責任だ。だから今だけよければ言いという発想は、民主主義でも自由でもなく我がままな自己中心でしかない。

何故選挙権が成人年齢という年齢限定になっているのが考えて欲しい。
ひとつには子供や青年でも若い年代となると自分の要求以外、感情に流されず論理的に公益とは何かを考えられるかどうか。漠然と平和を維持するには戦争をしなければいい、というだけでは平和など決して実現しない。目的達成にいたる道を明確に考えていけるかどうか。民主党の経済政策が何故不安なのかと言えば、リスク管理も想定しないである金全部ばら撒こうって発想だからだ。
無駄使いとか、公務員を解雇して減らすとか、別な見方をすれば民主主義国家の政府が口にする政策じゃないだろう? そもそも無駄とはどういった定義なのかも見えていない。だから、はじめには行政法人をなくす、とか言い切る。もし行政法人がどれだけ国民へ利益を出している組織が知っているなら「行政法人」という言葉だけで「廃止」と言うことは決してできない。

自民党の政策が間違っているか。確かに郵政民営化が即経済効果に結びつくかと言えば、無理だろう。ただし、赤字をなくす、というだけの理由で民営化した訳だ。
それについて国民は反対しなかった。ゆえにこれは自民党小泉元首相だけの責任ではない。本来国民そのものが郵政の赤字処理が不透明だからもっと説明しろ、という声をあげればよかっただけだと思う。なのに国民は傍観して鳩山元大臣の行動を楽しんでいたのは事実だろう。
規制緩和についても間違っていたと言う人がいる。正直、実施した後に正しいとか間違っていたってレベルの評価しかできないなら、それはすでに意見を述べる人のレベルが低すぎて評価に値しない。規制緩和によって失業率は減った。同時にワーキングプアと呼ばれる低所得層が増えたというが、その数は全労働者数からすればたかが200万人でしかない。そこには外国人労働者の単純労働が含まれているって点を忘れていけない。タクシーの規制緩和によってメリットを受けた消費者はどう考えているのか? 度を越す価格下げ競争は、その業界の労働者を苦しめただけだ。
それは規制緩和のせいではなく、節操がない利益追求しか考えていない業界の責任だろう。同時にそういった業界をサービスや製品を消費している国民も安いからと喜ぶだけで業界の労働者のワーキングプアって状況をどう考えるのか。
国内製品であってもその企業の労働状況が悪く労働者を苦しめるようなら、本来は消費者もいっしょになってそういった企業に対して社会的制裁として不買運動があってもいいんじゃないか? しかし、日本ではそういった運動がない。
大企業の経営陣なんてのは利益の数字ぐらいしか興味ないのだから、そういった人への抗議は労働者だけではなく同じ国民として消費者はNGを示さないと無理だ。
労組もそういった運動もしない。ほとんどが経営者側につく労組だから無理。

民主党が韓国や在日朝鮮韓国団体の支援を受けて彼らの望みを実現する。
この矛盾に疑問を持たないなら、それはすでに国民としての責任を放棄している。
共生を成功させるにはどうするか、そういった開かれた議論をせずに突然外国人参選権だとか外国人の二重国籍とかに話しがジャンプする。二重国籍は、片親が日本国籍保持者の子供、配偶者が日本国籍以外の場合のみ想定できる。外国籍しか持たない人へすべて二重国籍を認めるとなれば話は別だろう。
少なくても永住権いや正確には永住許可については、5年ごとの更新で生活保護適用などの場合には疾病などのやむえない理由以外は取り消しというのを認めるべき。
未来永劫許可ってのは、どの国でもない。そもそも有事発生となれば取り消しできないとなればどこかに隔離するような状況にもなりうる。共同体が実現したとしても強制退去できる部分を残さない限り、内乱となり自国民も死傷者を出すことになる。移民政策は国民保護を考えてからでないと本来は政策は立てられないもんだと思うよ。そうじゃないといつまでも内乱やら暴動が繰り返されることになる。
米国など数年前までは韓国系の暴動とかでロスでは大変だったじゃないか。
差別してはいけない、という理想はわかるが、現実には価値観が違う、見た目が違う人たちが大量に同じ地域で共生していくには、双方共の理解や歩み寄りがない限り信頼は生まれないんだ。そうなれば暴動になる。いいかげん学んで欲しい。
こんな常識も無視した民主党の移民政策や外国人参選権がどれだけ国民に取って不利か。

個々の議員がどんなに地域で貢献したとしても党に所属しているなら、民主党の場合どんなにいい政策を持っていたとしても実現は不可能だろう。なにせ執行部と意見が違うって事実ですら存在しないぐらにみんな同じなんだろう。
自民党は多種多様の意見を持っている議員の集まりだ。だから自党の総裁ですら誰にしようとか選挙戦の間でも議論されているらしい。
それを否定するか? まあ、気分としては結果も出てないのにというのがわかる。
それでもリスク管理としては最悪なシナリオを想定してどう手を打つのか、と一般的な企業や社会では考えるのが常識だろう。それすらできない政党は与党になったところでリスク管理はできないだろし、突発的な災害などの対応は難しいどころができないと言いきれる。

どれだけの国民がどう判断するのか、そういった意味では自民党と民主党の戦いではなく、むしろ主権を持つ国民がどう判断するか、というのが今回の選挙だと思う。国政選挙の投票所で日の丸がないのか? まあ、そういった点も見ものだ。



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障害をもつアムール虎が死んだ。

2009-08-25 18:43:41 | Weblog
生まれたときから障害を持ってたんだが、それでも元気に生きていた虎が死んだ。
アムール虎も希少になっているそうだ。たぶん野生ならとっくに餌も取れず生きていけない。それが自然の掟。わかっていても悲しいなぁ。生きたいって賢明にがんばってたんだが、それでも老いるまでまっとうできない命が消えるときは悲しい。

日本の教育は何故カラーで事故死や戦争で死体がゴロゴロしている映像を見せないんだろうか? 死って現実は衝撃的だが、それを見せないことが問題だと思う。なにせ世界には目の前に血だらけの死体や手足が取れた死体を見て育った子供がたくさんいる。平和運動なんかよりもそういった現実をしっかり見せることが何よりも戦争のむごさを伝える。それは原爆によって壁に焼き付けられた影と同じ。
牛や豚の食肉処理場も生きた動物を殺すところから見学させるべきだとも思う。
自分も牛の食肉処理場で牛が殺されて肉になるまでを見学してから肉を残さず食べるようになったからだ。可哀想だけでは生きていけない自分を知ったからだ。
食肉獣は腹が減ってなければ襲わない。人間よりは欲がない。狙う獲物も闇雲という訳ではなく、弱っている獲物から狙う。これが草食獣の数を維持している。

タイに虎の寺がある。そこに観光に訪れると虎と散歩したりできるんだそうだ。

分相応。なんか人間は奢っているんじゃないか、と感じることが多い。
日本が失くした心って植物や動物に対しての親しみじゃないかと思う。子供もペットも自分のためだけに可愛がる人が多い。食べ物にしても植物や動物が犠牲になっているとは考えもしないで残したり、捨てたりする。植物は鳴かないし文句も言わない。だけど、口にできる植物は種をまけば簡単に育つ訳じゃない。
そういった当たり前な日常に犠牲になってる植物や動物の話しって日本の教育では一切しないんだなぁ。宗教がないからなのか?
金でモノが買えるのも人が集まった社会が存在するからだ。

文句ばかり聞いていると本当に疲れてくる。あんまりあれこれ注文ばかりしていると最後には誰も耳を貸さない状態になると思う。しかし、こういった人ほど手を差し伸べても協調できないんだなぁ。

ストレスがないってのは、少なくても自分の都合や自己中心的な人がいないことだと思う。ないものネダリなんだけどね。それでも毎日こういった人を相手にしないと生活できないってのは、まさに監獄みたいな気がする。



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成果をだしてがんばっても認められない日本国

2009-08-24 18:25:07 | Weblog
自分のことになれば、真剣に口から唾を飛ばしてまで文句を言うくせに、他人の評価を素直にできない人は、できるだけ距離を置きたい。
日頃目立たない、誰もが嫌がることもコツコツを積み重ねて、たかが小さいことで一気に叩く。これはイジメの構図が支えている人間関係の腐敗さを表している。

モンスター化ははじまったのは一体いつからだろうか?
確か金を払っているから文句も注文もつけて当たり前という意見が増えてきた。
そんな客を育てたのは、すべて「お客様は神様」って発想でしかない。実はマーケティングの嘘と言い切れるのは、どんなに店や企業が消費者の文句に真剣に対応したからってその客は二度とその店を利用したり、その企業の製品を購入することはない。むしろクレーマーに近い人たちは「ゴネ得」ができる企業を選別して、そういった企業を大事にしている。これが政治に反映したのが今回の選挙だろう。

首相が金がないなら結婚しない方がいい、と言ったとかでこれまたマスコミが揚げ足を取っている。あたり前のことを言って、なぜ揚げ足を取るんだろうか?
結婚は個人同士の問題ではなく、現実には家同士のつながりの問題って無視をするから、離婚の原因にもなる。かつ母子(父子)家庭が増えるのは何故か考えて欲しい。親の都合で振り回される子供のことを思うなら、結婚も許可制にすればいいとまじめに思う。それぐらいに児童への虐待や殺人が耐えないじゃないか。
この現実をマスコミは自ら報道しているくせに原因を追究すれば政治とせいという。政治が結婚を規制して欲しいとでもいいたいのか?

夫婦別姓を推進する民主党は、背景にフェミニズムの団体などがいるんだろう。しかし、苗字が別だろうが、墓や老後のそれぞれの両親は消えないんだよ。その問題から解決する方法を模索しない限りは何も変わらないんだなぁ。
いっそ、多夫一妻、多妻一夫という結婚制度に代えて、子供を産む、育てる人も増やす、両親の老後の面倒もみんなで見るとかにするか? 一夫多妻のイスラムのように厳しい法で縛ってしまえば、むしろ円満な家庭になるんだと思ったりもする。
どちらにしても結婚って制度が世界的に崩壊してきつつあるのは事実だろう。
なにせ離婚率はどの国も増加はするが、減少はしない。当事者同士でも難しいのにこれに家が介入すれば、それこそ単純じゃないのが結婚だと思う。


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政権交代を実現したい理由

2009-08-23 17:24:07 | Weblog
本当に国民の生活を守るというなら、老人介護をかかえる親との同居や生活支援という税金控除を撤廃するんだろうか? 少子化はすでにはじまっていて、結婚するのはほとんどが一人っ子という背景がある。ここで問題になるのがこの一人っ子同士の結婚は親4人の介護を背負うってことだ。また、生活に関係はないかもしれないが、墓守というのがある。これで離婚した夫婦を何組か知っている。つまり夫婦別姓を進める背景はここにもある。まあ、苗字がどうだろうが、墓守の代金は夫婦それぞれの親を含めれば安くはない。

日本はすでに高齢者社会。それを無視した少子化政策や子育て支援は誰かを犠牲にする強者の理論そのものだ。それを支持する世代とは自分の親はどうするつもりなんだ? 子供にはブランド服を着せ、おけいこに競って通わせる。子供は親の見栄を表す鏡になっているんだなぁ、と驚くばかりだ。
服装と見栄えで人間性が決まるもんじゃない。それでも社会では身なりで人を判断する。自分はブランドの服じゃなかったが、正装を着るという意味をそうゆう価値観で覚えさせられた。子供の頃は馬鹿にしてたが、社会に出ると確かに服装で判断される。まあ、そういった店やホテルは二度と利用はしないが、それでもこれって世界共通の価値観。まあ、必要な時に必要な服装ができればいいだけで、レンタルの正装だってかまわない。まあ、自分としては仕事着は同じデザインと色でいいと思っている。これが対人を重視する職であれば、知人のようにシャツとネクタイのコレクターになるしかないんだろう。これも可笑しな話だ。誰もが無意識に差別しているんだよなぁ。

老人を切り捨てるという政策はやがては姥捨て山政策に繋がる。しかし、これを誰も警告しない。かつて後期医療制度を使って自民党を批判した評論家も誰も警告しない。暗黙で老人を切り捨てろって認めているのか、と疑問を抱く。
そして年金問題についてもついに「解明はできない。」と選挙前に堂々と発表した。年金一元化を実現するためには、解明されては困るんだろうなぁ。
年金問題が発生するような偽登録やらの時代の厚生大臣は誰だったのか?
自民党に年金問題をつきつけて、悪政と言い切ったのも忘れて、今度は堂々と開き直る。まあ、党首が不明者からの献金を受けても開き直るし、それは秘書が勝手にやったとことと、まるで旧自民党の政治家のようなことを口にする。
まさに旧自民党の金権政治を手本としてきた元自民党党員たちだ。
金に汚いとしても高齢者を切り捨てるってことはしなかったけどなぁ。何故なら高齢者が医療機関に落とす金は少なくはない。それを忘れているとは思えないが、



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パンドラの箱の誘惑

2009-08-22 20:14:53 | Weblog
絶望しか見えないから、すべてをゼロとしてまったく違う方向転化を目指すという誘惑に駆られるんだろう。しかし、パンドラの箱の中に最後まで残ったのは希望。
もし、これは駄目だと箱の蓋を閉じて、すべてをゼロと考える方が賢明と考えるなら、それはすでに絶望していることになる。

真実を見つめるとは、自分に取ってよい結果を生まないとして、どんなに逆境でもあきらめない、つまり希望を信じて模索し続けることこそ、勝利を手にできる。
勝利とはあきらめた時点で自分が望む未来への希望も失うことだ。よく災害などで生き残った人の話を聞くとやはり最後まであきらめない、というのが共通している。
神への祈りとは、希望を持つから祈る。すでにあきらめていたら祈りもしない。

ネガティブな小説を読んだ。現代の人類は、かつての恐竜以上の生きるためにカロリーを必要とする。それは発達した脳という機関がカロリーをもっとも消費する。
その脳が栄養を十分に取るためには確実な血流を確保しなくてはいけないために筋肉も発達する。心臓は筋肉の一種し、筋肉運動で血流も確保される。しかし、現代人は便利さを追求するあまりに足腰を使わず筋肉を退化させるため、脳が正常に栄養を摂取できない。それによる異常行動、というトンデモナイ話しだった。
つまり人間は進化するために退化せざるえないという矛盾だ。
奇跡とか超自然的な体験現象の多くが脳内麻薬によるものと言われている。心霊現象とかがその代表だろう。それでも人間は希望を持つから神などの人を超えた何かに頼ろうとする。

政治は宗教じゃない。むしろもっとも現実的で実利的だろう。それでも人は政治に宗教と同じ期待を持つ。これじゃ民主主義が育つ訳がない。
革命で思想や政治主義を変えたところで結果としては腐敗は避けられない。
それでも人は非現実的な理想を信じて、自分のなすべきことを放置して革命という宗教を求める。これってすごく非生産的、かつ非論理的でしかない。
消費財が使えなくなれば、捨てて新しい製品を購入するのがあたり前になった。
古来日本には代々伝わる家具とかを修理して改善して使い続けるという習慣があった。だから民話や伝承に古くから使われる道具にも魂が宿るという話しが多い。
モノを大切にするって姿勢が日本経済を支えたんだと思う。そう、もったいない、というこの言葉と価値観だ。裕福になる消費することが美徳とされるようになってから勿体無い文化は廃れた。

技術的な情報であれば、海外の情報も有益かもしれない。自分と違う価値観を知るためには同じではない思想を知ることも必要かもしれない。しかし、失ってはいけない価値観を忘れてはいけない。自虐的国家の歴史を植えつけられてきた世代にすれば歴史と聞くだけで避けたい衝動に駆られる。おまけに外国からは何十年過ぎても過去を穿り返される。一体なんど詫びて、金を払えば済むのか、と文句を言ったところでこの仕打ちは永遠に続く。そういった背景が絶望感を生じている。
不景気が続くと言ったところで昨年の経済危機まではさほど影響はない。少なくても外国のように餓死、ホームレスが人口の10%という訳でもない。単に贅沢三昧の生活ができなくなっただけでの不満を不景気に摩り替えているだけだ。
日本国はすでに十分に豊かな国、国民の生活だって気付かない。清貧って言葉が流行したと思えば、今度はプロレタリアとかいう。どこまで馬鹿なのか。
比較した価値観など何も生まない。だから文化が停滞する。それも日本国だけではなく世界中が停滞している。

生きていけるための食を毎日摂取できること、寒さや雨をしのげる住まいがあること、それがどんなに幸いなのかと気付かないのか? 明日どうなるか、わずらうなと聖書にある。

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日の丸という国旗を改造したのは間違いなく民主党という事実

2009-08-22 00:01:02 | Weblog
国旗改造を指摘されて、それが誹謗中傷と言い放った民主党。これが国政を背負う政党の党首の言葉だ。国旗とは国家、国民の象徴であり、それを資金不足で自党の旗を用意できないという理由で改造した国旗を飾るなど、それこそ右翼と変わらないぐらいにレベルが低い。
共産党は、少なくても日本国の国政に責任を負うという立場をしっかり持っている。
若干は反日的策もない訳ではないが、こんな非常識なことはしない。常識は持ってる。社民党と言えば、旧社会党はもともと日教組が支持する団体だから国旗や国歌を否定してきている政党。そんな政党が数十年も存在しているのだから、まあ日本って国の政治は不思議と言わざる得ない。それでも昔はまだ連合の力の方が強かったと思うけどなぁ。とにかく企業の経営者は利益を社員に還元してないとか、まあ、経営者でもないのによく叫んでいた記憶はある。おかげで労働組合には一度も加入したことはない。それでもメーデーに参加したからお金も弁当がもらえるから出たら、という甘い誘惑は幾度ももらった。
民主主義ですら数の理論で、サイレントマジョリティーを美徳とする日本人気質には合わないと感じてた。そんな意識が変わったのは「選挙に参加しないと罰金」という話しを聞いてからだ。確かに選挙は国民の義務。たかが選挙と言えばそうなんだが、実はこの票が後に自分の生活に大きく影響があると気付いたのはわりと最近だ。大半の国民はアンケート感覚で候補者を選択する。地方選挙なら政党よりも地域に貢献した人かどうかと判断もできる。しかし、国政となるとそれこそ数の理論。小さい政党や無所属の候補者を選択したところで自分が望むような方向になる可能性はほとんどない。あるいは、当選後、無所属からどこかに入党したり、連携したりということもある。だから無所属は選択するのが難しい。

まあ、選挙運動として戦略だとか戦術だとかに踊らされるのも嫌だなぁ。
別にマスコミやメディアがどんなことを報道しようとしても、一番重視したいのが数は足りないとしても最後まであきらめずに戦い抜くという情熱と気合をどれだけ持っているかだと思う。ベテランになればなるほど、この情熱が見えてこない。
しかし、大臣とや役職につかないでも地味であっても委員会などで活躍している人はいる。それは一切報道もされない。福田元首相は首相を辞任したあとでも中国などへ外国で出向いている。森元首相もインドとの絆でかなり貢献している。
勿論、安倍元首相は豪州などとの安保締結。直接国民の生活に関係ないのか?
少なくても日本国を守るという戦略は実行されてきたってことだろう。

特に森元首相は日教組に対してNG発言をしている。確かに日教組教師に教育を受けた世代としては、是非、まともな教師を学校へ送って欲しいと強く望む。
日本国の国旗や国歌を外国人は抵抗があるから掲揚も歌うこともしないのが自由というなら、自由とは好き勝手を許すことになる。スポーツで他国のチームに加わって、そのチームのオーナー国の国旗を掲揚しないとかすれば即解雇される。
組織に従うことは、悪でもないし、非民主主義でもない。それを自由という作り上げた定義を子供に押し付けた結果が自分勝手な大人を生産した理由だろう。
おまけに教師が政治活動するという。会社勤務で勤務時間に政治活動を許されている労働組合といい、とてもじゃないがそんな奴らのために給与を払う会社をいくら法律上認められると言っても社員としては許したくない。同じく教師に対してもだ。やるなら、公休を取ってやれよ。それでも授業を放棄してやるというなら、教師など止めて自由な塾の講師をすればいい。もし彼らを許せるというなら、組合に加入してない社員が政治活動しても会社は給与を支払うという法を作ってはじめて平等になる。こうゆうことを日教組は子供に教えているんだよなぁ。

少なくてもメディアやマスコミがどう報道したところで事実は変わらない。
つまり日教組や労働組合がやっていることを知っているなら、とてもじゃないがそんな団体が支援している政党などに国政に参加してもらいたくないってことだ。
おまけに外国人団体の支援もだ。国民の声、民意というが、日本国民にはいろいろいる。しかし、問題なのは人気アンケートのノリで候補者を選択するリスクを教育で教えないことだろう。民主主義というなら、選挙というのがどれだけ重要かつ精勤がある行動かを先ずは教えることからはじめるしかない。それをしないでは社会主義が強くなり、形式だけの選挙となりかねない。

常識もなくなり、自由という定義は好き勝手を許すようになれば民主主義として崩壊していくように感じる。民主主義とは個々が責任を持つことからはじまる。その個々が集まって地域、国を作るんじゃないのか?
社会保障とは、がんばった人には手を差し伸べるという定義でいいと思う。問題はその適用者の選別方法だろう。それを明確に規定し、自立できそうな人には自立できるように支援することが社会保障なんじゃないのか? 自立とは国家のペットではなく、主権国民として国家を運営する政治家を選択する権利を有する国民だ。
そういった意味ではスポーツの推進ってのが一番いいと思う。なにせルールは絶対だし、ルールに従う重要性、勝敗ということを学べる。勝者は敗者にどう接するのか、敗者は次に勝つためにはどうするのかという前向きな思考を持たない限り、勝てない。向き不向きも勿論ある。好きと適正は別と理解もできる。実力の世界で平等とか競争は無用という理論は通用しない。ゲームでも同じだし、今では身体に不自由があってもある程度の運動もできる。平等とはルールを順守してはじめて実施できること。しかし、実社会には不平等、不条理なんてたくさんある。それにいちいち不満を感じていてはとてもじゃないが生きてはいけない。逆にそれは人間が存在していくためのシステム上必要とする矛盾だとも思う。

常識は明文化されてない。だから騙されやすいかもしれないんだが、少なくてもその人の価値観だけは明確に行動から読み取れる。常識が外れることが重要でないというなら、国家のリーダーが国民が常識と感じる点を無視するという行動はある意味国民の声や意向も聞こえないってことになると思う。
間違いを認め、侘び、それを訂正する正直な人と、無視して話しをずらす人とどちらを信頼できるのだろうか?

それとある方向性を決めて実施した結果、大きな問題も生じてないのに何故評価しないのだろうか。個人ががんばって成果を上げたと思っているのとは違う。変化は緩やかに実施されているから感じないのか? それとも数字で表される借金の額が増えたから文句を言うのか? ならばその借金をせずに社会保障を削減すれば満足だったのか? 企業だって倒産する訳にいかない。倒産すれば社員すべてが失業するだけではなく関連会社や工場も倒産する。ここに資金を投入したところで生産調整をするためにはある程度の人員解雇はしかたがない。そのために失業保険をかけている。その保険をかけてないとなれば、それは自分が雇われている直接の会社の責任だろう。そういった問題点も何も改善されないうちに派遣雇用禁止となった。
せめて直接雇用以外の派遣労働禁止として欲しかったなぁ。直接雇用なら企業に保険などの責任を追わせられるし、福利厚生費として住宅も安く住めるだろうし、賃金だって中間搾取がない分、あがる。そういった改善をしてもよかったと思う。
労組の発想ではなく、どうか労働者の立場で雇用条件や雇用禁止とか決めて欲しい。

官僚の数が多いというなら、それこそ民営化して、国家が契約すればいいだろう。
国家機密に関わる部分は官僚で運営するとして、それ以外を民営化した別会社で経営および運営させればいい。ただし、行政法人などは採算性が難しいところは、ある意味国家が契約して保護する必要もある。特に技術開発などは見通しは難しい。せめて技術経験者が判断しないと資金運用などは無理だろう。まあ、民間の技術会社の経営者とかをトップにするしかない。同時に国家戦略という意味では政治家も経営者に加わるとかだろうか? 半官半民しか無理なのか?

こんな改革をたかが数年でできるとは思わない。失敗すれば国家戦略として技術開発がゼロになるからだ。資源がない日本国で食うために必要なのは農業、漁業の生産だけではなく、それを支える開発と工業技術開発だ。そのためには特定国に拘らずに広く浅くお客様となる国との友好を開発しないと駄目だと思う。
だからこそしっかりした国家戦略に基づく、柔軟な外交政策を持ってもらわないと3年後の日本が背負う借金は現在の倍に膨れ上がる。消費税をあげたところで間に合わない。

いっそ政治家は、裁判官と同じにすべての国民が交代で実施するとかにした方がいいようにも思えてくる。それとも政治家はある一定年数以上、継続してはいけないとかだろうか。しかし、理解できないのがどうして官僚が悪いって意見が出るのか?誰がはじめに官僚を悪玉にしたんだろう? 天下りもそうだが、税金の無駄使いというわめく政治家への給料の方がうんと無駄だと思うよ。政治家は官僚の監視役をするって職業だったのか? 必要ならそういった機関を作り2年交代とかで雇用した人材で運営すればいい。できればそういった機関は国政だけではなく地方政治の予算も監査すればいいんじゃないのか? いや、政治家の給料じゃ高いから、安い給料で仕事させるって発想だけなんだけどね。別に難しいことじゃない。
組織が癒着しないように切り離せばいいだけだ。確かこんなような政策出してたような気もするんだけどね。

政党よりも当選したら審議をさぼって自党のために選挙運動するとか、自分の健康のために休むとかしない人を選択したい。それだけ高給取りなのだから、覚悟して欲しい。同時に審議に休む人の名前は毎回理由とともにHPなどに出欠を発表するべきだろう。それこそが国民のための政治だと思うけどね。こんなこともできないなんてやっぱ政治はガラス張りじゃない。なにせ死人から献金しても当たり前と開き直れる人たちだもんな。

国民だって生活は日々苦しくそれでもがんばっている。
候補者も最後まであきらめずに自分の目指す道をしっかり信じてがんばって欲しい。その情熱が続かなければ、勝利の女神は見放すんだなぁ。それじゃ困るのは自分たちだから、あきらめずに最後まで戦え!日本国のために。



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日本の夏、しかし8月は一番嫌いな季節

2009-08-21 21:33:12 | Weblog
政権交代したからって国家が崩壊するような選挙は大抵はクーデターやらで阻止される。先進国ですら、政権交代したからって国民が自国の未来を不安など感じない。
何故、日本国だけがこんなに不安なんだろうか?
生まれてからこんな危機がやってくるなんて誰も信じてなかったと思う。
お盆で帰国した在外組は「なんでこんなことになっているんだ?」と訳がわからない状態だったようだった。日本でリストラされて生活保護も受けられず、アジアに職を求めたおじさん組は「政治ごときじゃ変わらない。」と言ってた。
確かに政治がどう変わろうが、根本の国民が自国を支えようって気がないんだから、仕方がない。それでも企業には不景気を全社員で乗り切ろうとがんばっているところも数社ある。賞与もなく、残業もなくなり、それでもみんな景気回復を待ってがんばっている。不思議にそういった人たちはネガティブじゃないんだなぁ。リストラで企業を憎み恨み、文句しか言ってないような人は、哀れでしかない。
別に大企業の正社員だろうが、バイトだろうが、飯が食えればいいだけだ。まあ、優遇されて企業の名前を背負うっていることが唯一のステータスだったんだろう。

おじさんの話しは心を癒してくれた。もともとアジアの中でもそこそこの経済国となれば、あんまり経済危機の影響はないらしい。むしろ、出稼ぎから家族とか帰ってきたりして、日々パーティー状態なんだそうだ。粗食のおかげで体重も減少したし、交通網が整備されてないから、自転車やバイクという生活で足腰も丈夫になったと言ってた。寂しいのは、楽しみが酒と女のギャンブルだけってのが不満らしい。毎日それじゃあきると言ってたなぁ。なにせネットもテレビも充実しないから、仕事が終わると暇だそうだ。おじさんが嘆いた言葉は「日本国はなくなるんだろうか。」だった。もし、そうならいつか帰国なんてことも考えたくないと言う。

春の桜、秋には山々が燃えるように日々色が変わり、秋刀魚、茄子をはじめ旬な食材が豊富にある。夏の花火、秋の祭りってのは日本人に取っては重要なイベント。
自分は8月が一番嫌いな季節。どこに行っても人ばかりだし、ノンビリなどできない。また夏休みで疲れが残っている状態で仕事となるから、これもまたドッと疲れる。そんなときに「怪談」の話しをいくつか教えてくれと言われた。日本の怪談と言えば、そりゃ四谷怪談、番町更屋敷か? 小泉八雲の怪談も含めて、ふっと気付いたことがある。どうも日本人が好きな怪談って何故かすごく人間臭い。西洋の怪談話しとなれば真っ先にハムレットを思い出す。日本の幽霊って大抵は女性。それも恨みを晴らすために幽霊になって復讐するパターンた多い。弱者の代表。
まあ、大人の童話みたいなもんかもしれない。恐怖というなら、そうだな、目に見えるような幽霊とか怪物だとなんとか倒せそうな気もするが、目に見えない敵はどうにもできないもんだ。確かに日本で真夏のキャンプとかならせいぜい幽霊とか火の玉とかを怖がる程度だが、これが外国となるとホラー映画に代表されるように狂気の人間とかの方が数倍も恐ろしい。相手が狂気に溢れていればいるだけ手に負えない。自分が一番恐ろしいと感じるのはゾンビだったりもする。だから外国で夜の墓には絶対に近づきたくない。中国だとキョンシーだけど、札があれば対抗できるんだが、ゾンビは対抗できないからなぁ。あ、日本の怪談で好きなのが鍋島の化け猫騒動だ。これなんか結構外国人に受ける。なにせ猫が化けるって強そうじゃないのに怖いのか?と言われる。そんなこと言ったら蝦蟇だっているんだぞ、と教えてたところ何故か忍者のマスターとか言い出す始末。どうも日本の幽霊は西洋の幽霊や怪物に比べると凶暴そうじゃないようだ。やっぱ怪談って文化は外国人には理解できないようだ。怖いのは姿だけじゃなくてその怨念なんだと説明してもピンとこないようだ。

雷に臍を取られるってのも日本独特らしい。風神とか雷神の絵を見ると可愛いと喜ぶ女性もいる。それでも驚いたのが日本の絵巻が漫画のはじまりとか言う話だ。
確かに絵巻は物語になっているものもあるが、漫画の始まりって鳥獣擬人画じゃなかったけ? まあ、どちらにしても日本では漫画は芸術作品の扱いをされない。
それってSFが文学じゃないって言う文学者と同じレベルでしかない。
でも商業的には純文学より稼ぐのか、とたずねたところ、村上春樹著「1Q89」の売り上げ部数がすごいらしい。純文学か? なんかKafuka on the shoreでも読んでみようか、と引っ張り出した。他人を馬鹿にする人は自分も誰かに馬鹿にされていると言う。まあ、所詮自分中心でしか価値観が設定できない時点でレベルがしれる。

アジアにいるおじさんが「日本にいるとあたり前と思っていたところがあたり前じゃないって気付くことが多い。買い物をして釣りを間違えるというか、がめる。それをさせないためにはこちらでつりはいくらと要求しないと駄目。」と言ってた。確かに日本にいるとあたり前というか、空気だと思っていた習慣がたくさんある。国家に飼いならされているって感じないか?、と疑問を持ったら外に出よう。

渦中に巻き込まれない位置から観察しないと見えないこともある。






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日本の目指す未来とは何か

2009-08-20 20:30:33 | Weblog
いつまでも卑下していじけている限りは、本当に自立した日本国になれない。
過去は過去。それに拘るなら、それはまさに執着だろう。
諸行無常。少なくても政治も経済も文化も変化し続けている。それは望んでなくてもだ。ずっと同じ状態のままというのは自然ではない。だから、力技で変化させる必要はない。成すがまま。

ならば一体どこで意思を持って変化しなければいけないのか。
個人の価値観だろう。自分だけよければいい、というのは結果として自分に取って利益を産まない。つまり目先はよくても長くは続かない上に、誰かが足をひっぱるようないつも疑心暗鬼で不安な日々を生き抜かなければいけないようになる。

そもそも日本って国は歴史からすれば、大半が農業や漁業、商人と人のつながりがある社会で構成されている。数からすれば宗教家とか学者などは少ない。お上と言えば、民から税を徴収して生活している。日本国は外国から侵略される戦争を経験してない国でありながら、敗戦を体験しているという珍しい国でもある。
その戦争で誰もが「戦争なんか何も生まない。」と学習したからこそ、経済大国になりながら軍を持たないできた。外国の学者が言うには「侵略された経験がないのに敗戦した体験」を持つからこそ戦争を嫌うんだろう、ということだ。
名誉や誇りなんてもんじゃ飯が食えない。戦争で飯が食えるかと言えば、戦争は生産せずに消費するだけだ、と誰もが知っている。領地に無断で侵入すればさすがに警告ぐらいは発表するが、外国から何を言われたとしてもあんまり気にもしない。
それが経済大国へ成功した秘訣だと言う人もいる。つまりビジネスはビジネスとして対等にどの国とも取り引きをした結果だ。別に米国だけで経済を支えている訳じゃない。むしろ、日本がどれだけ米国の貿易赤字を減らすために貢献したのかと考えるなら、米国なんか相手に貿易しない方がいいと思う。

やっとどの国とも対等、かつ堂々とNOとも言える国として外交を進めてきたにも関わらず、日本国民はその成果を評価しない。不景気にしたのが自民党というが、バブルが崩壊して政府が手を打たなければ、米国並みのひどい状況になったという現実も今では忘れているんだろう。派遣労働を規制緩和したのも、そのまま規制をすれば企業に取っては人件費もあがり生産コストもあがる。労働者も景気が悪く雇用も悪化している状況だった。生活保護が増えるとなればおのずと借金に手を出さざる得ない。だから、規制緩和という策で成功したんだろう。それでもバブルはいろんな業界で発生しては弾け続けている。国民の借金を増やしたというが、ならば同じ国民が餓死したり、暴動を起こす方が借金を増やすよりいいって根拠は何だ?
現実に生活保護受給者の数は増大している。雇用状況も一向に回復しないというか、経済団体とか労組とか雇用に対しての規制緩和を欲してない。
生産性と均等な賃金が前提なら、そりゃもう雇用状況は簡単に回復はしない。
国家の借金を減らすなんてそれこそ社会保障費をなくし、企業税や消費税を上げればいいだけだ。おまけにかつての贅沢税も復活すればいい。海外で消費させないためには海外旅行や海外製品購入に税をかければいい。難しいことじゃない。
それをしないのは、借金と呼ばれる額以上に現状の経済回復を支援するために使った方が借金返済は早くなるからだろう。労働させれば税収も見込めるだろうが、無職じゃ消費税を上げたところで生活が苦しくなる人も増えるから意味がない。

日本の底力とは、国民が持つ生産能力、経済活動の消費共まだまだ十分ってことだろう。経済大国を中国に譲ったとしても内需拡大で、国内産業による経済がどこかで淀まない限りは生活はできる。むしろ外国からあれこれ買え、金出せと言われない分楽だ。経済活動や技術という外交を中国に対して取ればいいだけだ。
輸出じゃなくて、共同開発。中国は米国籍の保有額が日本を抜いているからなぁ。
日本は米国籍を手放したりすれば、中国と米国から攻撃されるだろう。
それをやろうと平然と言ったのが政権交代の政党だ。おまけにこの政党は元を貿易の機軸にするなんて言っている。あれだけの国民をかかえて、いる国がどこまで経済を成長させ続けるのかだ。大半は外国企業の製造を受けているだけだ。自国産業が自立できるにはまだまだ時間もかかる。もし、外国企業が撤退したらどうなるのか?

特定の国だけとの協力ってのは、誰に取っても不幸でしかない。大きな利益を一部で独占するのではなく、多くの民で公平に手にするのが一番いい。競争は必要だが、格差があっては駄目ってことだ。急激な成長は土台がもろく崩れやすい。
だから日本がリーダシップをとったとしても日本だけが利益を得るって策はどの国も真剣に協力などしない。しかし、日本国民を犠牲にして外国に媚を売って、一部の人だけが利益を得るってのは阻止したいなぁ。

経済危機から脱出して、安定経済を維持する国に一番最初に日本国であって欲しい。実績があれば他国への説得も真実味も帯びるし、そうなればアジア全体での経済成長という大きな方向性を実現できる。特定国だけが牛耳るならば、それは米国と同じで経済という力でねじ伏せているのでしかない。それじゃ内乱は絶えないし、平和が遠のくだけだ。
正攻法は効果が出るには時間もかかるし、成果も小さい。しかし、急激に無理をすれば例えば公害、それによる汚染の結果が農業にまで及ぶ。こうなれば回復は簡単ではなく、その間民はまた苦しむことになる。
日本国には金の成る木はないんだ。だからそれを維持するための金を生産する国民がしっかりしない限りは経済回復も平和もない。政治家は経済安定も平和を与えてくれないって知って欲しい。世界経済が不況で日本の貿易にも影響がある。
そう、貿易に依存しないでも生き延びている状態で、これ以上日本国民にストレスを外国が与えるなら、国民は窮鼠の状態になるかもしれない。武力だけではなくても国内の治安悪化がその例だ。それこそ外国人を国外一斉退去だってありうる。
責めるなら準備もなく外国人をむやみに招聘した経済団体を構成する大企業に文句を言うべきだ。日本人だけではなく外国人もだ。

国内需要を満たせるだけの製造業でいいんだ。それを国民が支え、適正価格のいい製品を供給してもらえばいいんだ。安いけど品質が落ちるとか修理もできない製品で買い替えなんて環境に反するだけではなく、資源なしの国としてはリサイクルというより高価な資源を生み出すだけだ。消費庁なんかなくても消費者が賢くなるのが日本経済をよくするし、国民の生活もよくするんだ。
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一国に依存する経済のリスク管理

2009-08-19 23:35:09 | Weblog
たかが米国の投資会社の倒産から、この経済危機がはじまった。
さて、話題のインフルエンザと金融危機とどちらの方が広がる影響は早かったんだろうか?という話した出た。
まあ、ネットじゃインフルエンザに感染することはないだろうが、それでも手洗いとうがいだけは守っている。つまり誰もが保菌者となり病原菌を拡散させるホストになるからだ。帰宅したら先ずは殺菌石鹸で手洗いとうがい。

ところで大小企業の規模に限らずに経済危機の影響が広がる速度と影響をシュミレーションしてみると、やはり投資会社に行き着くんだそうだ。その理由は年金や退職金運用ということだ。まあ、保険会社のロイドに行き着くらしいし、投資も同じなのか? こりゃ自分でしっかり老後の年金運用は自立してがんばらないとどうなるかはわからない。少なくても年齢が若いなら再度の金融危機発生に出会う確立は高くなるだろう。米国依存がなくなって、さて、どの国に依存したとしても、その国は永遠に安定した経済を持っている保証はない。
中国、インドが抜き出たとしても、その後には南米やアフリカ、アジアと続く。

食料供給率だけではなく、ある意味自国で内需拡大してそこに必要な産業を保護して残さないと輸入や輸出に頼る経済では簡単に影響を受けるんだろう。それでも資源は輸入しかないから、これもまた不安定要素だろうなぁ。

不確定要素の市場の気分や好みってのはどうやって定義するんだろうか?
経済危機で損した人もいるんだろうが、絶対に儲けている人もいる。なにせ損し金は消えてなくなる訳じゃないからなぁ。誰が儲けたのか知りたい。
だって世界規模の損失が必ずどこかに儲けで動いているんだから、その金額はすごい額だろう? さて、一体いくらになるんだろうか?




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