The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

Happy Birthday to my best love

2008-01-12 05:41:00 | Weblog
これから社会に出て、自分のことは自分で責任を持たなくてはいけない立場になります。
何が一番大切なのかと言えば、「考える」ことです。
何かを決めるにも行動をする前に、その行動の結果を考えることです。

考えないで行動するとそれはあたかも自分の責任ではないように勘違いします。
しかし、行動するのは自分自身なので、結果は自分の行動によって生じた現象なのです。

金より愛が大切だとは言いません。現実は、金がなければ愛も守れないからです。
実現できないことを考えるのは夢ではありません。単なる想像、空想です。
これが小説家とかであれば、その内容で飯が食えるかもしれません。
しかし、クリエイターという職業でなければ、何よりも現実を把握し、考える、という行動が一番重要なのです。

結果がどうであれ、自分で考えて決断して行動したのであれば、それは自分の責任においてと納得もいくでしょう? 失敗したら原因を分析して、2度目はより成功に近づく方法や手順を考えるのです。こんな簡単なことを実行するかどうかで、人生は決まります。

多くの人の意見に耳を貸したとしても、決して自分の考えを失ってはいけません。
自分の意見がはっきりしているからこそ、他人の意見、異なる意見にも耳を傾けることができます。異なる意見であればなおさら、何が違うのか、はっきりとポイントを絞って分析することで、相手との違い、相手との同意が見えてきます。

社会に出ると、自分と違う意見や敵との遭遇は頻繁です。逃げるというのも1つの解決策かもしれません。しかし、似たような敵に遭遇するたびに逃げるという手しか対策がないというのは、賢いとはいえません。逃げる手を取るか、相手を説得するか、相手をだますか、相手をたたきつぶすか、いろんな手を持つことが人生を生き抜くコツです。

つまり、考えること。

同じように重要なのは、自分に対しては絶対に嘘をつかないこと。
他人や親しい人に嘘をつくことがたくさんあります。これは集団の中で生活するためには必要な行動です。しかし、自分にだけは決して嘘をついてはいけません。
嫌なことを我慢してやらないといけないとしても、「嫌なことだけど、生活しないといけないからやろう。」のように動機をはっきりしましょう。
法に触れない範囲であれば、仕事を首にならないなら、とか嫌なことを拒否する行動を取るのなら、その影響も考えましょう。
そして、拒否する行動と、しかたなく受け入れる行動のどちらが自分にとって、得か利益があるか、考えます。

難しいのは、拒否する行動をした場合、影響をどの程度と尺度を決めるかです。
まず、法に触れることだけは避けるのが賢明です。代償が大きいからです。
例えば、赤信号で、誰も見てない、車もこない場合、あなたは信号無視をして道路を渡りますか? その場合、あなたの取った行動はどのような影響をあなたに与えますか? たかが信号無視であって、あなたへの影響は必ずあります。
つまり、信号を守ると決められたルールを自分の都合、待っているのが嫌という理由で破るという結果です。ルールは破ってもいいのでしょうか?
あなたはAさんの持っている物がほしいです。ルールを破ってAさんの持っている物を略奪しました。この行動の結果は、あなたにどのような影響をあたえますか?
あなた自身、あなたを取り巻く周囲、あなたが存在している社会にどのような影響を与えますか?

まあ、社会で平穏無事に生活したいのならば、社会のルールである法や暗黙の決め事は破らない法がいいかもしれません。だけど、もし、そのルールや決め事を破ったら、自分や自分の周囲にどのような影響を与えるのかを考えることを一度は実行してください。

情けは人のためならず。

この言葉の意味を考えてみてください。これが社会における人同士の関係をうまくいかせるコツを表現しているからです。

あなたの望む、探している幸福の青い鳥は、この世に必ず存在しています。
ただ、それをあなたは見つけることができないだけです。
現実を見つめ、自分の幸福とは何かを見つけてください。
夢とは、その幸福の青い鳥を追いかけて、実現することです。
他人ができるなら、あなた自身にも必ずできます。同じ人間です。
違うのは、どうやって実現するかを考え、行動するかだけです。
どんなに賢いとしても行動しない限り、結果を手にはできません。
失敗しても大丈夫です。冷静に失敗するまでの経過を分析して、何が原因なのかを考えるだけで、次はより成功に近づけます。いや、成功するかもしれません。
あきらめたら、失敗という結果のままで終わりです。

Never Give up! Get your Dream comes true!



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未来はわが手に

2008-01-11 22:27:31 | Weblog
最近の噂では、人類の月への旅は嘘であるというのがある。
40年程前には人類が地球の周りを回ったってのは嘘じゃないのか?
それも人間が計算した時代だから。。。
ただし、日本や中国ではじめての月観測衛星を打ち上げて成功という話もある。
過去がどうであれ、月へ火星へと人類の旅は可能になると自分は信じている。

人類が素晴らしいからというのではなく、人も動物であり、進化とともに未知への旅を欲する好奇心の強い生物だからだと考える。

ドーキングの書いた本に、人もただの遺伝子の器という表現があった。確かにそうかもしれない。遺伝子はより進化をするために、冒険、好奇心を生きていくモチベーションとするようにプログラムしているのかもしれない。

人類が地球外へ出ることが可能になれば、いかに地球が素晴らしいのかもっと考える日がくると思う。まあ、これは現代の人間が生きる環境を前提としてだが。。。
太陽系自体が宇宙の中で移動している訳だから、やがては現在の環境からはるかに厳しい環境へ変わるに違いないだろう。

最近 Super commetというTV番組を見た。彗星が地球に近づいて、多くの隕石が落ちが来るとどうなるかという話である。しかし、何らかの生物は生き残り進化するに違いない。それはウイルスだったりもするのかもしれない。

こう考えると今自分たちが生きているというのは、本当に幸福なんだ、と感じる。
人類の寿命が延びて、老人が増えることが問題なのか? そもそも人類だけが増えることが問題なのかもしれない。自然のバランスからすれば食物連鎖でバランスを保つはずが、人類がこのバランスを崩しているともいえる。

アニメやSFの話は単なるファンタジーではない部分もある。
人口増加のスピードが増せば、やがて地上には人があふれて、食料がなくなり、争いはより増えるだろう。その前に新天地を求めての旅、と考えるのは当然だろう。
どうしてそんなにまでして人類は種の保存を望むのだろうか?
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法案を作成するのは政治家であれば、道徳教育が必要だ

2008-01-08 21:13:54 | Weblog
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008010802077931.html

3人の幼い子供が水死した。酩酊状態でないにもかかわらず、その子供を助けることもせずに、保身を考えていたそうだ。最高刑で7年6月の刑務所暮らし。
このご時世に住まいと食が7年6月も保障されるわけだから、職の心配などしなくても大丈夫だろうに(これは嫌味のつもり)。

政治家が例の捕鯨問題で「名前をつけて可愛がる」という行為を理解できないと発言した。では、理解できなからどうだというのか。
そもそも日本国の政治家はほんとうに慇懃無礼な人がたくさんいる。
国が違えば、風俗、習慣、文化が違う訳で、日本など他国からの批判にはこの手の弁解をよくするくせに、他国に対しては相手国の調査もせずに、ポロと発言する。
外国の亡国の代表も「日本には文化がない。」みたなことを発言して、日本からいろいろ言われていたが、まあ、この亡代表と同じようなもんだと思う。

政治家、医師、弁護士は高等教育を受けているはずが、知識だけで人間としての基本的な教育は親からも受けてないと思われる。

自分が嫌なことは相手にしない、というのは基本ではないのか?

こんな人たちに自分は不信感をつのらせ、不安もたくさんある。ましては子供や次世代の若者も不信感や不安を感じているのではないだろうか?
だから、イジメもなくならないし、弱いモノへの虐待もなくならないのではないか?
まるで小さい檻に閉じ込めて、過大なストレスを与えると凶暴になり、共食いをするラットみたいで胸が痛くなる。

理科嫌いというが、そもそも科学っていうのは、真実を追究するために実験などで検証して結果がでる過程を証明していく。これが楽しい。地球という星がどうして自分たちが生きていける環境を維持しているのかという仕組みは本当にすばらしい。
神はみたことないし、存在するという科学的根拠もないが、素晴らしい仕組みをありがとう、と素直に感謝の気持ちになったことがある。

自分にとっては本当にいいことがなく、両親の死などで暗い気持ちだったときに、満開の桜は、本当に美しい花吹雪と甘酸っぱい香りを体験させてくれて、感謝したこともある。
自然にはあまり強くない自分だが、日々、小さな出来事で感謝する心をたくさん知った。これは自分が今いるこの場所の文化、習慣のおかげだと考えている。

モノを大切にする。人の気持ちを大切にする。こんな簡単なことを誰もが忘れているのか、知っていても面倒だから無視するのか、ということで心が腐っていく。

いじめたりしても、何も変わらない。むしろ、自分の心が腐るだけ、いいことない。
捕鯨反対と言われるなら、捕鯨をする理由をしっかり論理的に説明するしかないだろう。証拠をだして、きっちりと説明しないのが問題であろう。それとも説明できないのか? 鯨は捨てるところがないぐらいにすべてを利用したのは、数十年前までだろう。現在では鯨のひげでゼンマイは作らないだろうし、定規も作らない。もし、自然に優しい道具というなら、それこそ、こういった日本での鯨に関しての歴史を説明し、肉にしても牛や豚よりどのような栄養があり、いいのかを説明するべきだろう。
http://www.simetani.com/kouyou.htm
自分は腸が細く長いため、動物肉を消化できないため、鯨肉で栄養失調から救われた。政治的に危ない牛を買うよりは、鯨肉がいいのは知っている。

だが、問題なのは反対する国に対して、子供みたいなことを発言しては何も進展しないという点なのだ。現在ではサプリメントが豊富なので昔のように鯨肉でなければ栄養が取れないということもない。しかし、人口増加から考えると牛や豚よりも鯨を養殖することの方が効率いいのであればそれは未来への希望とならないのか?

捕鯨の反対理由は、科学調査という名目で鯨を捕獲して、その肉を商業目的にすることだってわかっているくせに、認めない日本の姿勢だと思うのだが。。

まあ、日本沈没の中で受け入れを拒否された国、オーストラリアだからって訳じゃないとは思うのだが(苦笑)。現実に拒否される日はくるかもしれない。

中国、韓国を含めて、本当に他国と国交する努力をしないと日本は孤島になるかもしれない。これは日本経済が下降である今こそ真剣に考えていかないと未来はラットの檻のような孤島になりかねないと自分は時々不安になる。
日本民族は混血であり、小さい島で他国の文化から自分たち琉の文化を造った。
かつては経済大国とまでなって、今は下降している国。

だから、いいかげんに目を覚まし、自給自足にて自国を維持できる仕組みを考えよう。車やハイテク製品では飢えはしのげない。海の資源も無限ではない。
同時に他国との友好もカッコつけないでしっかりやっていこう。国が駄目ならまずは自分から実行すればいい。



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捕鯨という誤った科学調査

2008-01-07 22:32:09 | Weblog
捕鯨に対して、オーストラリアが監視船を出すそうだ。それを不満に感じている人がYouTubeにかなりFackingな映像をアップしたようだ。

腐っているのは、オーストラリアではなくたかが監視船に対して不満だからといって、殺されたカンガルーや人種差別の映像を流して何を訴えたいのだろうか?
そもそも日本国自体がオーストラリアの監視船に対してコメントしてないのだから、国間では問題ないだろう。税金で捕鯨探索なんてことは現時点では適切ではないと自分は思う。そのコストを必要とする年金問題や薬害肝炎などあるのではないのか?
そもそもどちらも予算がないといいながら、無駄な捕鯨に金を投じる日本国が腐ってるとしか思えない。

魚は健康にいいとしながら、魚より肉を好む若い世代の日本人。せいぜい金があまっている裕福な老人層の日本人が鯨を食べるぐらいだろうに。。。
確かに昔は肉よりも赤み肉を栄養および肝油を鯨から取っていた。せいぜい40代までの世代だろう。捕鯨が本当に必要か?そのコストはどこから産出するのか?

都合の悪いことは無視するというのが日本の習慣だとすれば、それは決して文化の違う人は理解できない。不信感が増すだけではないのか?
いや、本当は頑固に自分の都合だけで遣り通すという文化の国ってことかもしれない。それは他国を侵略したにもかかわらず、貢献したといいはるご都合主義の国ということを証明しているにすぎないのかもしれない。

そもそも日本国の都合主義は、他国だけではなく自国民に対しても騙して他国へ移民させ、状況が悪くなったにもかかわらず、見捨てたにもかかわらず国に対して誰も不信感を持たないという不思議な文化、思想の国でもある。

鯨の研究などするよりは、まずは自国の未来のために金も人も使って欲しいもんだ。
世界から孤立しつつあるのであれば、なおさら、食料事情もいつまでも輸入に頼るってのは大問題だと思うのだが。。。。。

追記:
混乱しているときは、渦中から離れて冷静に観察することが必要だと学んだ。
つまり、目の前にある現実に対して、あらゆる方面からの検討をするために、いろいろな意見に耳を傾け、検証することである。
怒りの感情だけで反論しても、決して他人に理解されない、という基本を忘れてはいけないと改めて自分は実感した。

憎しみは復讐を生み、復讐からは何も生まない。これを実現したから日本は奇跡と呼ばれるほどの経済復興をしたのではないのか?
小さい島国で資源もあまりない国が世界の一部として未来に存在するためには、何をすればいいのか、それを考えることが緊急に必要だということだ。
もし、日本の歴史うんぬんを言うのであれば、日本という国は大陸から分離して、複数の民族の混血で成り立つ日本民族であり、文化は大陸から学んだということを忘れているのではないのか? そして、今も輸入に食料、エネルギーは依存しており、やがて輸出による利益もなくなったときに、どうするのだろうか。

まさか、鯨を主食にするって訳じゃないよなぁ(苦笑)。


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ダカールラリー2008年 治安悪化のため中止

2008-01-05 18:38:49 | Weblog
http://www.dakar.com/indexus.html
ケニアといい、アフリカで何が起こっているのだろうか?
自分たちは、本当にアフリカをどれだけ知っているのだろうか?
ラリーなんて先進国のスポーツであり、現地では車でレースなんてできるはずもない。
自然を守ろうとする人々ですら、捕鯨に抗議する割りになんでアフリカのラリーに抗議しないんだろうか?
そもそも近代スポーツは環境破壊した環境でないと実施できないと思うのだが。。

自分は環境を守ろうとする側ではなく、普通に環境破壊の恩恵により利益を得ている側だと思う。ゆえに都市にしか生活はできない。虫とか、動物とか、数が多いとちょっと遠慮して欲しいと本心で望むからである。蛙や蜘蛛を可愛いとは到底思えないが、理由もなく殺したいとも思えない。せいぜい、住居内に進入しないように策を考えるってぐらいだが、それでもかなりの虫が死ぬことになる。

蚊ごときに刺されて、そのあとが10円玉より大きく膨れて痛くなるため、虫除けの線香を焚いている。素材はラベンダーと檜だかのくずを固めたもので、一切のケミカルはない。確かに蚊には利くのだが、毛虫にはまったく駄目のようだ。

人は自分のために虫を殺し、動物も植物も殺す。本当に自己中心的な生き物だ。
これが人同士であっても、自分のために人も殺す。自己満足のために発展途上国に援助して、それが彼らにとってどんな影響があるかなんて考えもしない。

自分は今回の中止を残念に感じていたんだが、やっぱ現地の人のことを考えるとこのままずっと中止がいいのかもしれないと思った。経済効果とはいうが、効果があるのは背広を着る人だけで、ブッシュマンには効果はないと思うんだが。。。

地球温暖化と騒ぐ割に誰も本質に触れようとしてないと考える。
そもそも文明が環境を破壊するのだから、便利な機械を捨てて、回帰するしかないように思う。しかし、現実には戻ることはできないってのが大きな問題であり、それを誰も提唱はしない。石油と電気がなくなったら、それでも斧や槍で戦争するのだろうか? 
「ツバル:外務省」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tuvalu/index.html
「水没」
http://tuvalu.site.ne.jp/problem/tuvalu.html

確か日本にも助けて欲しいと声をあげていたはずだが、日本では何の反応もない。
今、ツバルの人々の避難先はニュージランドだそうだ。





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今年の目標;自分や他人を責める前に原因を分析して、解決策を考える

2008-01-03 21:50:40 | Weblog
UFOとか超能力とか、確かな根拠もなる社会的責任のある人が言葉にする話題ではない。日本には言霊という考えかたがある。しかし、腹や頭で考えることは、実現するように無意識で行動するという意見もある。責任を取らない大人を見て、子供はどう考えるのだろうか? 戦後60年以上経過して、いろんな膿が出てきている。嘘はいけないことじゃないのか? 戦争で死んだ人は嘘のきれいごとを喜ぶとでも思うのか?
死んだなら先は天国も地獄もないし、魂もないと自分は信じているが、一般の日本文化では、死んだ人には魂があることを前提になっている。これも一種の宗教というか、まあ、能のよさは、現実にはない何かを題材にしたお話だからそれなりに面白い。
そう、お話だからである。

責任のある大人なら「社会」、「制度」なんてもののせいにして文句をいうのは、なさけない。誰もが制限があって、なかなか自分の思うようにいかないことが人生において多々ある。そこで仕方ないとあきらめるか、それともなんとか先に進もうと踏ん張り続けるか、どちらだろうか? 決してカッコなんてよくないかもしれない。
だけど、人生において今はもう二度とない時間であり、自分の人生においての戦いに負けることになればそれはなんらかの形で心の傷になるのではないのか?

他人からの評価の恥より、自分は自分の心に恥ないような生き方を続けたい。
悪態をついたり、やつあたりしたこともたくさんあるが、経験からすればそれでいい結果を手にしたことは一度もない。また、自身の心もすさむだけでいいことがない。

仕事において、他人を責めたことこも多々ある。しかし、責めても解決にならない。
生活においても同じだ。そう、まずは自分や他人を責める前に原因を分析して、解決策を考えることができることが、責任ある大人の振る舞いだなぁ。

3日坊主に終わるかぁ(苦笑)。

状況は逼迫しているし、決して楽じゃないのはわかっているが、嘆いていても何も変わらない。行動して間違えていてはなんて恐れているより、動けるうちに動き、自分ができるだけのことをして、それで駄目ならそれは自分の限界を知ることになるだけ。他人をあてにしないが、自分だけではどうにもならないことを忘れてはいけない。人間は集団の中でしか生きていけない。孤独は集団の中でのみ味わえる。世界で自分だけになれば生きている希望はなくなるに違いない。
なんて考えていたら映画のI AM Legendというのがあったなぁ。

生きていく目的を知らなければ、生きる楽しみも知らず、四面楚歌の状況を乗り切るパワーも出てこない。だから、考えることが大切なんだと思う。
未来は誰もわからない。しかし、自分で作ることはできる。それがどんなことでも自分が作る目的を持てば絶対に不可能ではない。わずか数十年前に実現しなかった技術が今実用化されている。

Be Positive!


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腐っているのはあなたの心

2008-01-02 23:43:57 | Weblog
「天国へのビザ」というブログを読んだ感想。

1.医師は科学者だが、命に対してどう考えているのだろうか。患者が高年齢の痴呆症であっても、命が延びるための治療を考えるもんではないのか?
勿論、それには金がかかるのであれば患者の家族に伝えるしかないだろうし、それを「あきらめてください。」とは言葉がでないほど、呆れた。

2.制度のせい、とか「ここではそれしかできない。」とか、本当に科学者なのか?

一般の企業であれば苦情やクレームになる。百歩譲って、医師が過労働だとしても、それでもプロなら、患者の家族へのコミュニケーションは医師の義務であり「あきらめてください。」という言葉はいかがなもんだろうか。

自分の母も難病で息を引き取った。目の前で死ぬ様を医師や看護婦がいっしょに見ていたんだが、彼らの目には涙でいっぱいだった。自分は延命措置を拒否した。理由は回復はしないことを知っていたからだ。
涙はでなかった。医師や看護婦の気持ちがわかったから、泣けなかった。

そもそも過労働で疲れていたからって腹の中に術具を忘れたり、注射を間違えるってのは言い訳にならないだろう。制度というなら、同じような境遇でもがんばっている医師や看護婦はたくさんいる。まあ、企業であれば採算が取れないようなら経費削減ってのは当たり前だし、それが不満なら辞めればいいだろう。

医師や看護婦が不足して困るのは自分たちだが、嫌々仕事をされるよりも、「仕方ない」とあきらめたつく。技術者として、できないときの悔しさは本当に言葉にならない。無茶苦茶な要求をする客に対して「そりゃ無理です、あきらめてください。」なんていったら仕事にならない。いかにお客様が無理難題を言っているのかわからせるもの仕事なんだがなぁ。。。確かにキレルときもある。

まあ、医師や看護婦、弁護士も人であるから、本音を言いたいのはわかるが、命に対しての姿勢は誰であっても同じだと思う。自分がベストを尽くしたとしても、それを患者や患者の家族に伝えることが一番重要なんだじゃないのか?
弁護士にしても本音をいいたいとしても、言葉が誤解招くようなら軽々しく言うべきではないだろう。

社会的な地位を考えて、意見をいうべき職種の人たちが、思いやりもない言葉で本音を暴露することに問題がある。それを出版する会社も儲けしか考えていない。
フィクションは娯楽かもしれないが、小説という形態で自分のせいじゃないといいたいだけのような気がしてならない。

追記:決して医師の心だけが腐っていると言いたい訳ではありません。しかし、医師は治療のみ与えるだけでサービス業でないからという理由だけで患者およびその家族のメンタルケアを忘れているように感じる。意見は自由としても、命の存続に対して年老いているからあきらめるなんて考えているような医師は自分としては表面だけいい子でいるような恐ろしさにぞっとした。
今読んでいるグロテクスのキャラクターたちより現実な分だけ恐ろしい。

命、それは人間だけではなく動物や植物でさえ、やむえない事情がなければむやみに奪っていいものではないと自分は考える。老人だから寿命という根拠は何なのか?90歳でも回復して元気な老人もいる。科学者でありながら確かな根拠もなく、「あきらめ」という言葉を出す医師に対して、自分は大変恐怖と不快を感じただけである。






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