同じ人間だからお互いに助け合うために、人道的支援というのがある。ところが、この「お互い」という点を見てみると、たとえば、難民が支援されたとして、生活も経済も安定したら、次の難民のために支援するかと言えば、否。多くの発展途上国からの難民は、リーダが独裁者になるだけではなく、出身者も御身第一でひたすら自分の豊かさを追求していくだけだ。例としては、不法入国した外国人は、入国先で社会保障などで生活が安定しても、同じ出身国からの外国人を助けないで、自らの金儲けのために奴隷化してこき使っている。使われる方は仕組みもわからないから、追い出されないためにボスに従ってるという構図が多いのだ。だから不法入国した外国人ばかり使っている先のボスは、外国人または帰化者がほとんどだ。これはもともとの奴隷制度から学んだことだ。加えるのなら、肌の色で奴隷制度を維持していたのは西洋のみで、アジア圏は身分による奴隷化とまったく違う。見た目で差別している西洋と血統とか人種とかで差別しているアジア圏とは考え方も違う。つまり、肌の色という物理的な条件をなくすために、宗教だとか、貴族によるノブレス オブリージュとかを利用しているだけで、本質の差別意識は変わらない。ならば同じ身分制度があるアジア圏となると、上位身分者が施しをすることで死んだら天国に行けるとかの宗教的価値観は同じだ。日本は古来「えた、非人」という身分が存在した。一説には隣国などから来た外国人を差別するためとか。ほかにも伝染病感染者などを隔離するために村をお出したりもしている。まあ、外国人は見た目も違うし、言葉も通じないとなれば、役にも立たないから、食い扶持まで世話しなくないので追い出すのだろう。見た目じゃなくて、コミュニケーションができないで、村という集団において役に立たないからだ。西洋は貴族であれば下位の身分のものが邪魔したり、攻撃したりすれば即殺せた。日本も切り捨てごめんと侍が殺せるような習慣もあった。どちらも権力と身分があるからできることだ。ならばここに人種差別があるかと言えば、ない。身分さえあれば、いいのであって、見た目が違おうが、言葉が通じないとしてもいいのだ。ゆえに人種から差別するのではなく、習慣から差別するのだ。
誰もが自分が困ってなく、経済的余裕があれば、物乞いに寄付しているかどうか、考えてほしい。多くの人は寄付しないが、クラウドファンドのように目的を明確にして、助けてくれという人には寄付をする。経済的余裕がないのに寄付するような人もいる。どうしてなんだろうか?
地獄への道は善意で舗装されている。
みんな自分が善人になりたいとか、善人にみられたいから、という動機は少なくないはずだ。しかし、その場限りの善意では1週間後には餓死しているかもしれないのだ。根本的な解決ができないで、一時的な支援が善意とは言い難い。急場しのぎで「とっと善行しておこう」という発想はどうなのか。そのまま放置したら餓死するだけなのだから、小さな親切じゃなくて、小さな善行でもいいじゃないのか。キリスト教でサマリタン(善きサマリア人)というのがある。困っている人を助けるサマリア人の話が聖書にあってそこから来た。こういった善行を積み重ねると天国に行けるのだそうだ。反対に善行とか悪行とかの概念を持たないのが神道。そりゃ自然に善悪がなんてないから。仏教も行いで善悪はあるが、最終目的は自己の在り方。一神教だと神が善悪を決め、死後に判断されて天国に行けるか決まる。つまり現世はさほど需要じゃない。仏教も判断する人がいて、天国か地獄かが来まる。神道だけがそういった神だろうが、誰だろうが、死んだらどこに行くとかジャッジされないのだ。ここから日本では「死んだらみな仏」という認識が生まれたと自分は考える。つまり差別が悪とか、誰が判断していて決めたのか。世の中にはどうしても共存できない生き物はたくさんある。たとえば、捕食者と餌になる動物は共存はしているが、そこにはバランスが存在する。このバランスが崩れれば、双方ともに絶命する。ところが人間は欲が深くて、腹が満ちても、なお、餌のために動物を殺傷するし、現代ならさしずめ、自分の金や権力を得るためには他人への施しなんてどうでも良い。選挙が近づけば、急に施しをする政治家とかだ。有名な善行者でノーベル平和賞をもらった人まで、悪人になってしまうのが現代のようだ。昨今、子供が拉致されて売られるのは臓器を取るためとか。ほかにも政治犯やらも臓器を取るなど、告発が続いているのだが、国連をはじめ、世界は沈黙しているままだ。WHOでさえ、沈黙。臓器移植ビジネスと言われるぐらいに怪しいとしても、誰も止められない。何故ならそこには人の命が関与しているからだ。殺される側ではなく、助かる側が大金を払っても欲しいのだ。自分たちが困っている人のために募金をした金はどうなっているのか、これも使途不明なままだ。良心的なところでは、どこに使ったのか公表しているが、大変は感謝するだけで、結果までは公表しない。あと、使われた側も感謝しているのかどうか、わからないのだ。公共で言えば、社会福祉だ。生活保護だけではなく、いろいろな支援金を行政からもらって、どれだけの人が感謝しているのだろうか。その資金は税金だ。来日する外国人たちは、生活保護は貰えて当然であり、もらえないのは非人道的と言う。彼らは日本国に税金すら収めてないのにだ。日本には金のなる木があるから、その実を分けろって感じなんだろう。これっておかしいだろう? しかし、外務省も外務大臣も世界に向けて、「生活保護は日本国民のみが受けられる」と公表しない。また、難民申請も嘘までついて日本に入国しようが、不法滞在しようが、「難民申請中の生活は保障される」と世界に公表しているのだ。この元本は日本国の税金だ。紛争地帯への人道支援の元本も税金だ。だから日本国民がいくら反対しようが使われる。テロリストとそれを支援、支持している人にどうして人道支援なんてやるのか。その物資はテロリストの武器になり、彼らの金銀宝石になるだけなのだ。これを指摘できない有識者たちは、きっとテロリストから金でももらっているのか「かわいそうだ。武器も持たない市民や子供が一方的に殺される」と吹聴する。戦争なら当然だと思うのだが。いくら戦争で一般市民を攻撃してはいけないといっても、ミサイルで破壊される場所が住宅地ないしは、住宅地近郊なら一般市民は巻き添えになる。今回もそれを狙って、病院は学校をアジトとして武器を大量に隠していた。おまけに自分たちとは関係な外国籍の人間を盾にして、要求を突きつける。テロリストを支持する人たちは人質なんてどうなろうが関係なく、自分たちのための国が確保され、生活が安定すればいいのだ。こういった人にどうして人道的支援が必要なのかだ。短絡的な思考しかできないから、感情でしか判断しない。そういった人たちをうまく利用し、金銭を集めるのが人道的支援の募金なのだ。
ただし、自らの望んでボランティアとして働いている人たちもいる。まさサマリタン。日本も海外青年協力隊などが発展途上国などに貢献している。ところが、こういった行為を日本社会は評価しないおかげで、就職時のポイントなどにもならない。そりゃ、自衛隊や警察は暴力装置で悪と騒ぐような人がいるのが日本。で、災害などで困れば、彼らに助けてもらっても、感謝の言葉すらないのだ。こういった人たちには、「暴力装置からの支援は拒否」カードなるもとを作って使ってもらいたい、と説に願う。そうすれば、もっと別な人を助ける時間ができるからだ。これも立派な差別意識なんだが。そういった意味では、自衛隊員や警察官は差別なく誰にでも対応するのがすごい。なかには乱暴者などを対応したり、言葉が通じない暴れる外国人への対応などで、批判されるのだが、彼らだって人間で感情だってある。彼らの動機は「人を守る、人を助けるため」であって、人を殺傷するためではないのだ。それを人殺しと呼ぶ日本人は自らの信念ぐらいつらぬいて「自衛隊や警察からの支援拒否」を実行してほしいだけだ。さしがに火事だけは周辺に影響するから拒否されても対応せざる得ないが。
見返りがない善意を人道支援と定義するのなら、それはどのような理由で動機になるのか、実行する前に考えたい。受ける側も受けたらどうするのか、何を払うのか、考えてほしいものだ。Give and Takeこそが人間社会の土台だからだ。これは人道支援も同じ。災害で困っているから支援しようとするのは何故?まずは友人や親しい人だからとか。自分たちの利益が損なわれるから、とか。反対に支援を要求する人たちは、誰に何のために支援を要求するのか。
今後の世界は食糧や水不足に悩まされる。まず、異常な速度での人口爆発をどこの国も誰も問題として止めようとしてないのだ。巷ではワクチンなんちゃらとか騒いでいるのだが、質問だが、あのウイルスとワクチンによる騒動でどれだけの人が亡くなったのか、その数字を上げてみるといい。現在の世界全体の人口数からすれば、微々たる数でしかないのだ。おまけにどこかの文化ではひたすら子供を作り、飢餓や紛争で死んでいるにも関わらず、世界の人口が増える速度は減速しているとは言いがたい。また旧先進国と呼ばれた国のほぼすべてで出生率が下がり、人口も移民などがいなれば、増えてはないのだ。
さて、食料や水の配給できる量が減れば、どうするしかないのか。この配給基準は一体誰が決めて、分配するのか。貴金属やら石化エネルギーがたくさんあったとしても、まずは生きるためには水と食べ物が必要なんだが。