北朝鮮のミサイルに伴う経済的損失も大きい。しかし、経済団体をはじめ、日本国のすべての政治家、有識者が目の前の危機に対して、何の意見もないのだ。日本国民は自殺したいのか、と問いたい。何もできないからではなく、どうすればよいのか、それを議論するのが国会であり、結果として速やかな対応をして成果を出すのが政治だ。この責任を放棄し、どうでもよい内容でグデグデやっている国会に対して、日本国民はどうして沈黙しているのだろうか。
まず、憲法云々というが、日本領海内にミサイルが落ちないとしても、近くならあきらかな武力威圧とみなすのが当然だ。まさか、領海じゃないから武力威圧でもないし、攻撃するはずもない、というのなら、そういった意見の根拠を示してから言って欲しい。そもそも敵国側はあきらかに日本国土への攻撃を幾度も公言し、かつ目標としても定めている飛行路だ。それを攻撃するはずがない、という人は、まさに日本の危機にはヒーロがやってきて助けてくれると言っているような怪しい人たちでしかない。平和のために私は戦わないと公言する人もいるが、別にその本人が死のうがどうなろうがどうでもよい。大切なのは自分の家族や友人であり、そう言った人たちが生活しているこの日本を守ろうという意識だ。だから、戦うのが単なる武器という短絡的な思考しかできないような日本人ならいらない。むしろ、外国人で自国が生活できないから日本という国の安全とビジネスチャンスを求めて来た外国人の方が、守る気概があるのだ。つまり国が国民を守るという姿勢が明確でないから、国民もそんな国を守る気がないのだ。これは日本も同じで、甘やかし放題で育てた日本人にはわからない。武器がなくても社会に出れば、競争は当然だし、競争に負ければ生活を守ることすらできない場合もあるのだ。こういった現実を義務教育で教えない教育に問題がある。
スポーツの良さは、勝利者は明らかな結果により決まり、例え、ビリでも最後までやり抜く選手の努力は応援者たちに認められる。ゆえに単なる勝敗だけじゃない。だが、勝つという目標がなければ誰も限界を超えてまで戦おうなんてしない。ビジネスでも同じで、競争があるからサービスや製品の品質、適正価格が維持できるとも言える。この延長線上に安全保障がある。
まず、日本国民は敵という認識を定義しなければいけないだろう。その上でどう扱うのか。敵国人であろうが、諸手を挙げて歓迎なんてありえないのだ。ならばどうして未だにビザなし来日が認められているのか。たぶん、観光客による経済効果なんだろうか。金のために安全を犠牲にする姿勢は、いかにも日本人と言えるかもしれない。かつて、命を犠牲にしてもより成果を出すような武器開発をした日本。戦時中の日本軍を批判する人たちは多いが、武器開発で使用者の安全よりもコストを選んだ産業側への批判は少ない。仕方がないから、という理由なんだろう。自分はこれに腹がたつ。仕方がない、という言い訳をやめないと日本は決して中国や韓国に勝てないだろう。
ライバルはひたすら目標達成のみを目指すからだ。優先順位というのなら、そもそも戦争そのものが自国を守るためであるなら、自国民の命を犠牲にしても良い訳がない。だって国民を守るのだから。この視点がないから、日本は未だに日本国民から国そのものが信頼されないのだ。
核兵器よりもっとも強い武器は金であり、経済だ。その武器のおかげで戦後の日本は二度と他国との戦争がない。だが、小さい武力衝突はある。その自衛隊が他国のPKのために海外で働くことも、自分は反対だ。代わりに日本はもっと技術や医療支援、農業や漁業の基礎教育をすればよい。そこで日本人の未経験者もいっしょに経験させればよい。この中に自衛隊経験者による土木支援や教育を含めればよい。ゆえに非武装地帯のみの参加でよい。こういったやりとりができないのが日本政府の問題。世界に門を開くのは良いが、敵国相当の国を定義し、そういった国への問はきちんとしたビザなりで査証を確認できるようにしてもらいたい。少なくても米国などに従うのなら、個人認証はしっかりやるようにするのば先だ。ビザなし訪問についても、敵国相当の近隣諸国からははずす理由もある。犯罪者数が多い国からのビザは復活させる。また、雇用についても、過去の犯罪歴、政治的思想などによってはビザを認めない。こういった変化は日本国および他国への良い影響を生み出す。特に近隣諸国と問題がある国としては、歓迎するだろう。敵国であろうが、歓迎なんて言っているのは、日本ぐらいなものだ。
まず、憲法云々というが、日本領海内にミサイルが落ちないとしても、近くならあきらかな武力威圧とみなすのが当然だ。まさか、領海じゃないから武力威圧でもないし、攻撃するはずもない、というのなら、そういった意見の根拠を示してから言って欲しい。そもそも敵国側はあきらかに日本国土への攻撃を幾度も公言し、かつ目標としても定めている飛行路だ。それを攻撃するはずがない、という人は、まさに日本の危機にはヒーロがやってきて助けてくれると言っているような怪しい人たちでしかない。平和のために私は戦わないと公言する人もいるが、別にその本人が死のうがどうなろうがどうでもよい。大切なのは自分の家族や友人であり、そう言った人たちが生活しているこの日本を守ろうという意識だ。だから、戦うのが単なる武器という短絡的な思考しかできないような日本人ならいらない。むしろ、外国人で自国が生活できないから日本という国の安全とビジネスチャンスを求めて来た外国人の方が、守る気概があるのだ。つまり国が国民を守るという姿勢が明確でないから、国民もそんな国を守る気がないのだ。これは日本も同じで、甘やかし放題で育てた日本人にはわからない。武器がなくても社会に出れば、競争は当然だし、競争に負ければ生活を守ることすらできない場合もあるのだ。こういった現実を義務教育で教えない教育に問題がある。
スポーツの良さは、勝利者は明らかな結果により決まり、例え、ビリでも最後までやり抜く選手の努力は応援者たちに認められる。ゆえに単なる勝敗だけじゃない。だが、勝つという目標がなければ誰も限界を超えてまで戦おうなんてしない。ビジネスでも同じで、競争があるからサービスや製品の品質、適正価格が維持できるとも言える。この延長線上に安全保障がある。
まず、日本国民は敵という認識を定義しなければいけないだろう。その上でどう扱うのか。敵国人であろうが、諸手を挙げて歓迎なんてありえないのだ。ならばどうして未だにビザなし来日が認められているのか。たぶん、観光客による経済効果なんだろうか。金のために安全を犠牲にする姿勢は、いかにも日本人と言えるかもしれない。かつて、命を犠牲にしてもより成果を出すような武器開発をした日本。戦時中の日本軍を批判する人たちは多いが、武器開発で使用者の安全よりもコストを選んだ産業側への批判は少ない。仕方がないから、という理由なんだろう。自分はこれに腹がたつ。仕方がない、という言い訳をやめないと日本は決して中国や韓国に勝てないだろう。
ライバルはひたすら目標達成のみを目指すからだ。優先順位というのなら、そもそも戦争そのものが自国を守るためであるなら、自国民の命を犠牲にしても良い訳がない。だって国民を守るのだから。この視点がないから、日本は未だに日本国民から国そのものが信頼されないのだ。
核兵器よりもっとも強い武器は金であり、経済だ。その武器のおかげで戦後の日本は二度と他国との戦争がない。だが、小さい武力衝突はある。その自衛隊が他国のPKのために海外で働くことも、自分は反対だ。代わりに日本はもっと技術や医療支援、農業や漁業の基礎教育をすればよい。そこで日本人の未経験者もいっしょに経験させればよい。この中に自衛隊経験者による土木支援や教育を含めればよい。ゆえに非武装地帯のみの参加でよい。こういったやりとりができないのが日本政府の問題。世界に門を開くのは良いが、敵国相当の国を定義し、そういった国への問はきちんとしたビザなりで査証を確認できるようにしてもらいたい。少なくても米国などに従うのなら、個人認証はしっかりやるようにするのば先だ。ビザなし訪問についても、敵国相当の近隣諸国からははずす理由もある。犯罪者数が多い国からのビザは復活させる。また、雇用についても、過去の犯罪歴、政治的思想などによってはビザを認めない。こういった変化は日本国および他国への良い影響を生み出す。特に近隣諸国と問題がある国としては、歓迎するだろう。敵国であろうが、歓迎なんて言っているのは、日本ぐらいなものだ。