The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

核の安全性とは何か。

2008-08-26 01:59:04 | Weblog
原子炉が危険だとか、いろいろ言われている。危険かといえば危険だろう。
だが、問題なのは危険だから利用しないではなくて、どう利用すれば危険はできるだけ回避できるか、という点だ。
文明の発達と共に電気の使用量は増してきた。それを支える手段として原子力発電が注目されたのだが、ひとたび事故を起こすと現在の技術力では収集がつかなくなる。だから、危険なので利用しない、というのはいかがなものだろうか?

兵器としても制御できない破壊力を持つ核。なのに人類はこの核を兵器以外にどう利用するかまじめに考えることをしない。だから、原子力利用については、本当にいいかげんというか、危険なものという前提での安全性を検討しないで上辺だけの安全性で建設されるという点を誰も指摘できない。

求人募集で原子炉設計者の募集があった。給与は驚くほど安い。それと専門は電気とか?そういえば、核物理学は勉強しても儲からないと言ってたことを思い出した。まったくもって危険な核を扱うというのに専門家がいないというか、ほとんど人材不足ってことなんだろう。米国でも同じで内燃機関系技術者の方が核物理学を学んだものよりずっと収入がいいといってたなぁ。軍事兵器としての船ですらまともな設計がされているとも言いがたいのは、コスト削減の結果なんだろうか?

予算は重要だろうが、こういった危険なモノに対して、安全対策や稼動までのシュミレーションに事故対策などという点はそれほど重視されていない。そのいい例があのNASAですらロケット事故が単純なヒューマンエラーというのが多々ある。
同じように原子力を動力とした船や発電所だって同じかもしれない。
日本は地震国でもある。それと領土も狭い。これだけ原子炉にとって立地条件が悪い要素がありながらそれでも増え続ける電力の使用量をまかなうために原子炉を使わざる得ない。便利を取るか、安全と取るか‥‥。
安全性を重視して、未来は電気を使わない生活をするのか?それとも危険な核をいかに安全に使うのかをまじめに研究、開発して取り組むのか? コスト削減もいいが、いいかげんに金を使う部分と無駄な部分の違いを認識しないと本当に人類にとって有益な技術がどんどんなくなっていく。
技術は金を使う。しかし、コストをかけても得る結果がどれだけ重要かなんていうのは、技術者以外には理解されない。経営者がコスト削減を実行するのにどれだけ開発時のコストを重要視しているかでできあがった製品の品質が決まる。
少なくても人の命にかかわる部分としてであればコスト削減による製品の欠陥はむしろその後の対応にかかるコストより多くはないはず。旅客機ですらコンピュータ上のシュミレーションに時間をかけて実際のテストは最少に抑えることでコストを削減するという。車も同じだそうだ。技術の進歩は早いとしても、新しい製品開発のサイクルが早過ぎるのか、それともコスト削減がこういった安全性にかかわる部分にまで影響するためか、昨今の製品の質は落ちてきている。それは人類に取って決してプラスではない。この理論を危険な核にまで反映するとどうなるか?

製品のライフサイクルというような考え方で原子炉設計も考えること自体に無理がある。核が危険だから使わないってのは、自分は反対だ。危険ならそれをどう扱えば危険が回避できるのか考えるのが人間だし、全体に安全となるまで対策を考えるのも人間だ。それまで使わないというのなら、その間人類は電気の極力使わない生活をしなければならなくなる。核兵器撤廃だけじゃなくて核をいかに安全に利用するかについてももっと考える必要はあるんじゃないだろうか?
新しい技術が開発されることはいいのだが、その安全性については当初は騒がれるが製品が市場に出てくると便利さでみんな危険な部分を忘れてしまう。
核だけじゃない。遺伝子工学も同じだ。十分な検証をしないでさきに利益だけ考えて利用するリスク。しかし、リスクに対して十分な予算を当てての研究開発は積極的には行われない。湯水のように金を出せと言うのではない。おいしい部分だけに注目するのではなく、リスクの部分にもちゃんと金を出せというだけだ。

まとまんないなぁ。あまりになんでもコスト削減という弊害が多すぎる。
それが結果として自分たち自身の首を絞めているとわかっていてもそれでもコスト削減を叫ぶってのは、自滅したいだけのようにしか思えない。
技術者は、もっとおいしい部分だけの説明ではなくちゃんとリスクも声高に言うべきだ。それで予算が取れないなら、おいしい部分とリスクをちゃんと数字で計算できる人間を金を出す側に置くような動きをするしかない。
兵器開発には金を出せども、平和利用には金は出さないかぁ。。。



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Command the Morning by Pearl Buck

2008-08-23 23:46:12 | Weblog
まあ、8月だから許そうと思うんだが、それでもいいかげん勘弁して欲しい。
そう思っても目の前にプレゼントされた本を読まないってのは、贈ってくれた人の気持ちをふみじることになるので読んで驚いた。なんと作者はあの「大地」のパールバックだったからだ。そして今年広島を訪問したジョアン・ヒントン女史の話だ。

感動はしたが、より鬱になった。もし、トルーマンが原爆投下を命令しなかたら人類は核を兵器ではなく、新世紀の新しいエネルギーとして立派に制御していたかもしれないからだ。日本が当時テロ国家と言われていたとしてもあきらかに敗戦がわかっている状態での原爆投下は、実験としか考えられない。破壊力のすごさが後の核兵器による世界の均衡へと導いたのはあきらかだ。核をどう利用するかなんてことは政治家なんかには理解できる技術じゃなかったとしても、2発目の投下は何故だ?

政治は国という集団単位を管理するためには必要な仕組みだとは思うが、この愚かさが人類の進化にどれだけ悪影響を与えているのかと思うと嫌気がまたぶりかえす。米国だけではない。どこの国でも同じだ。これをなくすことはできないだろうが、核も同じで危険だからこそいかに正しく扱うかで自分たちの利益になる。
政治家も同じかもしれない。自分にとっては国の管理というロールを実行するだけの人たちであって、技術者や科学者より社会に貢献しているとは思わない。
官僚も同じである。国、つまり国民へのサービスを提供する人であり、国民から給与をもらっている人たちである。
だから、国民は給与を誰に払うのか誰を首にするかをしっかり決断できる権利も有しているんじゃないだろうか? ということで、さっさと公務員法を改善して国民投票で首にもできるようにして欲しいもんだ。それとサービスを提供しているので、対応の悪い公務員は国家も地方もさっさと首にできるようサービスを利用している民のアンケートなどで点数制で評価するという項目も加えて欲しい。

どちらにしても現在の政党政治じゃ、こんなこと発想もしないだろう。何故なら選挙公約を守らないでも犯罪さえ起こさなければ、議員を首にもならないんだから。
しかし、誤った判断は日本国だけではなく地球に住む多くの人々への影響場合もあると考えると、本当に選挙は真剣に選択して投票する義務があると感じる。

国民が望む最低生活レベルの保障も実現できない政治家や首相、大臣であれば首にできるように本当の民主主義であれば国民投票なりで実現できなければ変じゃないのか? もう口先三寸に騙されても、数ヶ月たっても公約を実行しないなら、首を実現できる法案を作ろう! 政党同士で手を結んだり、足のひっぱり合いだけしかしない政治家を捨てて、国政を正しく実現することに情熱を持つ政治家を探し出そう。それは日本国だけでなく人類全体への責任になるし、自分たちの未来を守ることにもなる。

さて、党に従うだけの従順な政治家は駄目ってことになるんだろうか?
自分の意見と異なるならさっさと離党して自分の政治ポリシーによる政策論を発表して欲しい。それが国民の望むものであれば国民がみんなで支援すればいい。
自己利益のみ優先する政党につぶされないよう、国民が支援すれば勝てる。
それが民主主義じゃないのか? 

ホームレスやワーキングプア対策として企業の理論ではなく民の生活保障を主とした政策を出して欲しい。人材活用も外国人ではなく国民を最大活用するような政策を出して欲しい。自国の安全を守れる規模の自己防衛をまじめに考えて政策を出して欲しい。まじめとは他国に依存するのではなく、自国で守れるような仕組みだ。
消費庁なんて無駄なもの作るコストがあるなら、食料自給率を検討する省庁を作るなど国民の利益になる官僚を考えて欲しい。そして、それは場合によっては現在機能しない省庁を廃止して新たに作るって意味も含めている。
外交政策も現在の外務省ではなく、どこの国とも対等に交渉できる人材、つまり世界に通用する人材を育成できるように新規に作る直すような政策もたのむ。
土台から立て直さないと日本はますます沈む。精神論は興味ないし、役だ立たない。だから、現実の数字と実現計画の月日をしっかり国民と公約できる、キミを待っているだけだ。
自分に任せてもらっても使えない大臣、官僚を首にする法案を出して、金を巻いても強制的に法案通すと思うので、無理だなぁ(笑。それぐらいに腐った林檎は捨てない限りは変革は難しいんだと思ってる。
だからこそ、国民の支援が重要だ。だが、目先の甘い誘惑に国民も騙されるほどみんな馬鹿じゃない。しっかり目を開き、考える世代もいるということを忘れて欲しくない。その声はインターネットだけじゃなくて草の根で広がる。

今回の本は日本語訳も出ているらしい。小説ではあるが現実の話に基づいているのでドキュメンタリーとまではいかないまでも、まあ、読む価値はある。
原爆投下がどれだけ人類に取って利益を損なったかである。技術を開発する側は、大量虐殺兵器として使われるなどとは考えなかった。純粋兵器である道具も戦争のためではなく狩猟などの生活のためでの発明だ。それが武器や兵器として進化することを許したのは誰なのか? 勝負は勝つことが目的だが、戦争も同じだろうか?
では、勝つとは何か? 大量虐殺で敵国が降伏すればいいだけか?

米国はベトナム戦争でこりたんじゃなかったのか? それでもたかがビル2個と数箇所のテロで未だに戦争をやめない。宗教戦争をやめない国に、敵国の宗教へ改宗しろってレベルと同じぐらいに意味のない戦争だ。核兵器も同じだ。使えば、敵国だけではなく報復で世界が滅ぶ。米国が核兵器放棄しない限りはどこの国も放棄できない。日本はより大きな声で米国に対してさっさと安保捨てて、核兵器廃絶を要求できるように自国防衛の仕組みを作るって考えよう。
そのためには車やらなんやらを米国に売るのではなく、もっと他国への貿易として魅力ある商品を生産すればいいだけじゃないのか? 日本は米国とは違い学習しているのだから、二度と軍事大国となり他国を侵略しないと公言すればいい。
そのためにはアジア諸国に対して地震対策や公害対策、地球に優しい家電製品とかいろいろ輸出すればいいだけだ。まあ、製品じゃなくても技術でもいい。米国だけが客じゃない。おまけには牛肉は米国から買わないようにしよう。石油がもらえないなら、もらえる国と直接交渉するなり努力すればいい。いいかげんに安保という幽霊を放置しないでさっさと処理してしまわない限り亡霊に悩まされるぞ。

追記:
米国が嫌いとかじゃなくて、安保という亡霊が嫌なだけだ。結婚だって崩壊したら離婚するんだから、日本もさっさと米国の愛人をやめて新しい恋人となるべくアジア諸国に目を向けるべきだ。

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民主といいながら実は独裁者を作る政治

2008-08-23 10:34:01 | Weblog
ある党は自由民主を謳いながらも、選挙をしないで代表を決めるそうだ。
新しい民主主義の方法なんだろうか? 正にこれこそが日本の政治を代表する論理。

鶏と卵じゃないが、政権を取れば日本を変えられるとでも言いたいらしいが、民主主義ではなく独裁または君主政治に変えるってのか? 馬鹿らしい。
選挙で選ぶ側の国民が馬鹿だからこんな手で簡単に騙せるとでも考えているんだろう。どこの政党も似たようなもんで、政党政治の崩壊だと思う。
そもそも政党は何故生まれたのか、ということを考えると連立というのは創設時の党の方向性に反してないか? せめて政策ごとの協調路線でいいんじゃないのか?

同じ言語、同じ民族と言われている日本だが、内情はこうやってバラバラに崩壊しているだけじゃないのか? だったら他民族国家で気づかれた国の方が「One」という言葉をキーワードで結束をキャンペーンしている方がまとものように感じる。
今の日本はまるでアジアのどこかの国のように文句ばかり言う国民と口うるさい国民をいかに煙に巻くかに勢力を注ぐ政府みたいなもんだ。これじゃ日本がよくなるなんてことはありえない。政治に正義や倫理を持ち込むこと自体が馬鹿気ているんだが、それ以上に自分の不満ばかり言う国民もあきれる。
結局日本人は、君主的な政治を望んでいるんじゃないかと思う。なんでも他人と同じでないと差別する習慣や陰で文句をいい、足をひっぱりあうイジメ構造を文化としているのは、政府が官僚主義で民は出された政策に従えばいい、という構図が原因のように感じる。だから、国民も不満を口にしても大規模な抗議デモも起こさないという不思議な現象となる。決して日本民族は大人しい訳じゃない。過去にはテロ活動と言われた国家、また赤軍派などがある。なのにこれだけ不満を持っても抗議デモではけが人も出さないという誠に礼儀正しい民族のように報道されている。

あれだけ騒がれたワーキングプア対策だって効果はない。それは日雇い派遣だけに注目しているだけで本当のワーキングプアが大半の国民の職業を支えるホワイトカラー層に対しての対策ではないからだ。数からすれば自分で独立して収入を得る人よりも会社なりから給料をもらう人の方が多いにもかかわらず、政府の対策ってのはピントが外れている。これは野党も同じだ。最低賃金については、春の労働闘争時において政府から賃金を上げるようにと言われても無視できる大企業やその下請けがワーキングプアを促進しているんじゃないのか?
リストラは決してワーキングプアを促進する手順ではない。生産性が低い社員をなくして、生産性をあげることで企業の利益も上げ、それを賃金に反映させる手順の一工程なんだがなぁ。まあ、経営者や管理職自体が自己防衛のみ考えていて、企業本来の社会的利益を考えてないともいえる。企業利益を増すことは税金収入も増すことになる。失業保険だってあれだけの金額を徴収しながら、恩恵はすずめの涙より少ない。リストラされる側にしても1年間の収入保証があれば本来は新しいスキルを学べる機会でもあり、次の仕事でよりスキルが向上するのでステップアップした職種を選択できる、というこういった構図ができていれば誰もリストラを恐れない。職業訓練といいながらビジネス上要求されるスキルを手につけることはほとんどない。それが問題だ。

政策なんてこんな部分までは考慮しないで選挙の票だけのために考えているから何も変わらない。ワーキングプアとは労働者側の問題ではなく、企業の社会の問題。
だから、そこから変革しない限りは変わらない。受け皿であるセーフネットを装備したところで、ワーキングプアである労働者が増えれば、受け皿は溢れる。
現政府にしても役に立たない経団連の人間をブレインにして、結局企業に圧力をかけるどころが、企業有利な政策しか考えてないように思える。だから、日雇い労働者のみ禁止にして、最低賃金に対しては法的な強制力を考えていない。

民主主義や憲法では、国民に主権があるらしいが、主権は企業や経済界にあって国民にない政治はいったい何主義なんだろうか?
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がんばればいいってもんじゃない。

2008-08-23 01:38:04 | Weblog
結果があってナンボのもんだ。だからがんばっても結果が駄目なら駄目でしかない。
それが勝負の世界だし、ビジネスも同じ。それをどんなに美辞麗句を並べても、駄目なものは駄目。それをちゃんと自分の目で見ていながら、結果を評価するのが常識なのにどうしてちゃんと結果を把握できないのか自分には不思議でしょうがない。

スポーツは勝負。だから、負けは負け以外のなにものでもない。それをしっかり受け止めない限りは絶対に勝てない。
スポーツ以外も同じである。価値観なんて人によって違う。だから他人がなんと言おうとそんなものはどうでもいい。しかし、負けたことを認めるかどうかで次の目標が決まる。だから、自分の負けを認識できない人は勝てない。
また、どんなに努力しても勝てない勝負もある。己を知ることこそ、勝負に勝つことである、と誰だったも言ってた。

その昔は、無垢の心とか言ってたもんだが、勝負事はやはり勝つというはっきりした目標がなければ勝てないもんだ、と自分の経験からも思う。それを世間では美辞麗句ばかりで嫌になる。だから、いろんな意味で負けを認めないからいつまでも進化できない、改善できないことであふれている。

だからといって、負けたからって最低の人間とか、才能がないとか自分を責める必要もない。勝負は勝負であって人生そのものじゃない。仕事がすべて、○○がすべてという人がいるが、人間ってそんな単純な生物ではないだろう?
欲望が限りないように人間にはいろいろな才能がある。たかがひとつの才能が駄目だとしてもほかがある。それを見つけられるかどうかで個々の人生は変わる。
それと素直であること。才能も素質もないことをがんばって無駄だってことが理解できれば新しい自分の才能を開発できるのだが、それを理解できないと空回りして消耗するだけだ。みんなができるからって自分もできると考えるか、みんなができるから自分もやらなきゃいけない、と考えるか、どちらのタイプか?
もし、やらなきゃいけない、と考えるなら、先ずは自分自身を知っているかを自分に問うことが重要だ。
がんばっても駄目なもんは駄目だ。それを誰も指摘してくれないから気づかないだけじゃないのか? 愚痴を言っていても何も変わらない。変えないなら、先ずは自分からだろう? そのためには自分を知ること。これが何よりも勝つ第一歩だ。

最後に他人が言ったことを何を考えないでうのみにするってのは、自分の考えや人生に責任を持っていないことになる。自分と同じ意見であれば、何故、その人が自分と同じことを言うのか、そこまで考えよう。違う点があれば、その違いがあっても最後に導き出される結論が同じかという道のりを考えよう。
それからがんばればいい。がんばるだけで、大切な人生を楽しまないで苦しむ必要はない。しつこいようだが、がんばっても駄目なものは駄目だから。

自分が嫌いなことは、がんばる、努力って言葉だ。結果が伴わないがんばりは無駄。失敗は成功の母という言葉は大好きだ。失敗だけじゃなくても負けも勝利の父になる。だから、ちゃんと駄目という評価は自分で受け止めてから努力でもがんばるでもすればいい。それをしない限りは絶対に勝てないよ。


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Dream Teamの試合と掛け率は?

2008-08-19 23:03:31 | Weblog
Australia vs USのバスケの試合だ。さて、何よりもUSのチームは見ものだよね。
こんなチームはそうそう観られない。まあ、Australiaはさほどバスケは強くないとしても、それなりの試合は見れるんじゃないか、とちょっと期待している。

テニスは残念ながらフェドラは今年不調とやらでまあ、思った通りの試合だったんだなぁ。馬術、フェンシングそれとアーチェリーはあまりテレビ放映しないから、こんなときは「やっぱケーブルテレビだ。」ということになる。
http://www.bookmaker.com/sportsbook.aspx
いや、これはもう賭けにならないって試合ってことなんだろうか?
AUは-31だ。日本が相手ならどのくらいの数字になるんだろうか(笑。
ちなみに女子サッカーは日本が450、ドイツは-250となっている。うむ。

そもそもスポーツは純粋だとか日本では言われているんだが、世界ではBookMaker。
この女子サッカーでかなり儲けた友人もいるんだが、まさか女子サッカーがここまでがんばるとは大穴だったそうだ。そりゃもうみんな力が入って誰も仕事しないはずだってよくわかった。
日本ではこういった賭けは法律上できない。無粋なもんだ。他国ではそりゃもうこういった大きなスポーツがあるとみんな試合中はメールに返事すらなかなか返ってこない。その理由がこれだったとはなぁ。ちょっとうらやましい。

ついでにF1のチャンピオンシップでなんとAlonsoは+20000かよ。1ドル賭けても2万ドル。日本でなければかけられるというなら、いっそ夏休みにしっかり賭けておくべきだったと後悔している。

楽しいのはなんと米国の政治で副大統領があるんだが、思わす「え?」と思って探したヒルトン女史は‥‥。まあ、なんでも賭けにするってまったくもってこのOddsの出し方がすごく気になる。

日本の選挙だってそりゃまあ、賭けみたいなもんだしなぁ。これを不真面目という輩に言いたいのは、個人の賭けじゃなくて、国民の未来を賭けているって点をよーく考えて欲しい。金だけの損失どころじゃなんだよ。

ということで、今夜はさっさと寝よう。
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魚の需要は低迷しているらしいが、何故?

2008-08-18 01:32:15 | Weblog
イオングループが市場を通さないで直接漁業協同組合から買うことで、新鮮な魚をスーパーで売るそうだが、心配は魚の需要低迷とコメントがあった。
さて、魚が高いから食べないのか、それとも肉中心の食生活にシフトしているのか?

生産地から小売店までの流通経路をシンプルにすることで、生産者も消費者も利益が生まれる。しかし、こういった試みをここまでやらなかったのは何故なのか?
流通経路の簡素化は、中間マージンを減らせるというメリットもある。リスクといえば、消費者が本当にその製品を購入する意欲がない場合、小売店にかかるってことだ。

実は魚といえば、外国ではFish Oilがどれだけ人間の健康に必要かと訴えて、ひたすら魚を食べるようにあの米国ですらキャンペーンをしているぐらいだ。なのに日本じゃ魚を食べないって? 価格が高いってのはわかる。確かに塩鯖や鯵の開きなんか今では輸入牛肉のステーキよりも高くなる。米ですら日本人は食べないそうで、まったくもって食生活の変化は従来の日本人の健康管理からすれば危機じゃないか、という指摘も外国からされているぐらいに変わっているようだ。

米といえば、日本の米がちゃんと外国で日本米ブランドで売っているんだが、価格がなっと日本で買うより安い! 味だって決して悪くないのに何故か?
カルフォルニア米や豪州米は、日本人が指導して日本米で作っているから味は悪くない。むしろ、日本の古古米よりはずっとうまい。それでも日本への輸入はほとんどない。それと酒もカルフォルニアも豪州もちゃんと日本酒を造いて日本へ輸出している。高級米なんかほとんど食べたことないから価値はわからない。だけど、日常の主食としてなら、外国産の米レベルでも十分なんだなぁ。ブランド米を生産して輸出するのは、手間も同じにかかるのに売り上げ利益がないからこういった米を作らないのか、わからないなぁ。まあ、どっちにしても小麦なんかより手間はうんとかかるからコスト高ってのはわかる。昨今の健康ブームで米人気も外国では高い。それなのに日本人が日本の米を食べないで、魚も食べないってのは変だよな。

自分は日本食が好きじゃない。理由は炭水化物をたくさん取る食事だからだ。
だが、日本で肉や野菜だけを腹いっぱいに食べるってのは、それこそ贅沢な食事になるので、栄養が偏るような食事をすることになる。野菜も果物も高い。サプリメントなんかで栄養補給しないでもいいように必須ビタミンやミネラルぐらい毎回食事で取りたいもんだ。これが最低レベルの食だろう。もし、腹を満たすだけなら、こんにゃくだっていい。栄養はないが、そのこんにゃくだって外国ではダイエットヌードルとして人気だそうだ。確かに一度に食べる量が日本人とは違うからコンニャクダイエットってのはアイデア商品なんだろう。確かダイエット手術で胃に風船を入れて、一度に食べる量を減らすなんてにもあるぐらいだからなぁ。

日本に住んでいて、Fish Oilをサプリメントで補給しなくてはいけない食生活ってやはり何かが間違っているような気がする。
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Terminator: The Sarah Connor Chronicles シーズン1

2008-08-17 00:44:03 | Weblog
毎度思うことは、こんな強い母さんがいたら、子供は非行にも走らずにしっかり生きるだろう。母とは、子供のためにこんなに人生をかけるもんなんだろうか?
Star Warsが父子の物語なら、Terminatorは母子の物語だ。

どちらも共通しているのは、敵がどんなに強くてもあきらめないってこと。
逃げられるなら逃げてもいいんだろうが、逃げられないなら戦うしかない。どんな状況でもあきらめないで最後まで自分を信じて戦うってことだ。そのためには日頃、体力と知力を鍛えておくしかないってのも同じ。
敵とは、人生において目に見えない場合も多い。あきらめたらその瞬間に負ける。

さて、ロボットが世界を支配して、人間を抹消するという話なんだが、AIが自分で進化するってプログラムができたとしても、機械を発明して進化するってことはできないと思う。人間ができるのは、抽象的概念やらをいろいろな体験に基づいて解釈できるならであって、プログラムとしてそんなことできるんだろうか?

ひらめきとは、蓄積された記憶や経験から生まれるものであって、まったく知識がなければひらめきなどできる訳がない。ならば、AIプログラムも蓄積されるデータがあったとして、経験やら感情やらがない分、判断はアルゴリズムに従うしかないと思うんだが‥‥。SFのお約束というか、機械がいつも人間というバイオコンピュータより優秀だって位置づけは、納得できないなぁ。
むしろ、ミュータント(超能力は別)とか、バイオロイドの方が人類の敵って方がしっくりする。

自分が気に入ったのは、Terminatorが可愛い女の子という点だ。料理、掃除や洗濯もできるなら一台欲しい。これが従来のロボットだとちょっと料理とか掃除をさせると滅茶苦茶にされそうだからなぁ。

昨今のアニメよりはずっと楽しめた。
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8月15日 終戦記念日ではなく、正しくは敗戦記念日

2008-08-15 22:56:40 | Weblog
連合軍に負けたから敗戦記念日というのではなく、開戦時代が無謀で負けるとわかっていての戦争だから、敗戦記念日だ。連合軍側では勝利記念日だ。
米国の軍で働く人に「お前は中国人か韓国人か」と聞かれた。胸はって「日本人だ。」と答えたときに彼はすごく気まずい顔をした。それは今日は勝利記念日でみんな酒で騒いでいるからだ。自分は一言「戦争は過去のことだから今の自分には関係ない。」とはっきり言った。まさに、50年以上も前のことを今更ああだのこうだの言ったところで、何が変わるっていうのか? いいかげんにして欲しい、というのが本音だ。何故ならそもそも開戦したことがどれだけ無茶だったのかって事実を誰も論じないままだからだ。

数日前のニュースで東條氏の手記が出たと発表があった。今更、それを発表したからって何が変わる? あの当時であれば彼が考えていることは正統だと思う。
なにせ、国民すべてが玉砕しても聖戦に勝つっていってた時代だからだ。それを現代に当てはめて評価すること事態が馬鹿馬鹿しい。もし、日本が勝っていたなら、彼は英雄だったんだろうなぁ。戦争ってもんは勝利側で歴史が記録される。
だから、勝利すればどんなことも許されるというか、原爆でさえ正当化される。

米国人が自分に言ったもうひとつの言葉は「日本に行ったことあるんだが、小さい国だよね。あの国が米国だけじゃなくて連合軍相手によく戦争したもんだ。今の日本を見ると信じられない。」。確かに連合軍相手に国民総数だって今より少ない状態でよくもまあ勝てると思ったもんだ。彼に自分がいった言葉は「その時代、米国だって黒人差別があったんだろう。今の米国からは信じられないのと同じさ。」。
それだけ60年という年月は文化も習慣も変わったんだ。だが、この変化を受け入れられない人もまだたくさんいる。日本だけじゃない。いつまでもこの亡霊に取り付かれたままでいる寂しい人たち。

戦争は悲惨で、みじめなもんだろう。しかし、それでも自分たちの独立や自由のために選択する人たちもいる。日本人には理解できないのかもしれない。何故なら戦争に負けたにもかかわらず、一部の島だけが外国領土になっただけで本土はそのまま日本国の統治ですんでいるからだ。韓国が何故あれだけ外国に対して声を大きく上げるのかといえば、日本の領土だった時代があるからだ、と韓国人は言う。
台湾も中国も同じだ。また中国、韓国および日本はこれまた誇りをなによりも重要と考える民族だからなおさら面倒だ。自分からすれば誇りやプライドだけで飯食えるならそりゃ貴族が横行した時代だけで現代では金があるかどうかだろう、と思うんだがなぁ。それでも誇りらしい。建国がわずか数百年の米国、カナダや豪州でさえ、○○家とか自慢げに話す。どちらの国も元はEUからの移民でできているから家柄ってのがそれなりに大事という家庭もある。まるで犬猫や馬の血統書みたいで、家柄とか祖先が何とかの話は、自分は嫌いだ。すべてはイブと呼ばれるアフリカから人類は生まれたそうだ。ずっと遠い先祖はみな同じってことなんだが、それでも人種、宗教で今だにあれこれ争う人類って本当に学習能力がないとしか思えない?

まあ、それだけ人間って飯よりも大事な自由だとか誇りのようだが、自分は飯だ。
いつぞやの法務大臣が「日本人は潔い死を尊ぶ」とのたまわってたが、それは年寄りだけの話じゃないのか? 自分は尊い死より醜い生を選ぶ。誰だって自分が死ぬことを望むなんてことはありえない。自殺だって四面楚歌で未来も同じに苦しむのが嫌で逃げるだけであり、尊ぶから死ぬのではない。死を美化する法務大臣なんてさっさと辞めてもらいたいぐらいだ。
戦争だって同じだろうと思う。いくら家族や国を守るためといっても、喜んで死ぬなんてのは当事者じゃない誰かが作った嘘としか思えない。それこそ洗脳されているとしか思えない。人間として自然なら誰もがなんとかしても生き延びたいと望むものなんじゃないのか? 戦争で死んだ人たちの死を美化することだけは自分は大変不快に感じる。絶対に死は美ではなく、ただの死体という物体になることだ。
たった一人で世界を変えるとか、国を救えるなんてのは、映画やアニメの話で現実では在り得ない。だからこそ、戦争は最期の最後まで避ける努力をしない政府の方が問題なんだ。最悪戦争になったら自分は卑怯者と言われてもさっさと逃げ出すつもりだ。家族が入れば家族を連れて逃げる。国を捨てることをなんとも思わないのかと言われてもなんとも思わない。何故なら国民も守れない国といっしょに死ぬのは嫌だからだ。自分の友人が戦争で亡くなった。彼は新婚で妻の腹には子供がいた。彼の戦死を聞いた妻は「国のためじゃなくて私と子供のために生きて欲しかった。」と泣いて言った言葉を周囲は非難したが自分は彼女の言葉は本音だと思ってずっと手を握っているだけだった。当事者以外には他人事なんだよ。

戦争による犠牲を払っても国が得る利益が大きいというんだろうか?
国民の命より大切なのが自由とか民族の誇りなんだろうか?
親友の子供は軍人にはならなかったというか、母親が大反対した。人殺しを職業にするなら絶縁すると言ったそうだ。彼女は今だに反戦活動をがんばっている。
その彼女からの今年の言葉は「人類の子供はすべての民族の子孫だと思わない?」という意味。まあ、そうかもしれないんだが、まだまだ差別はあるんだけどなぁ。

戦争は反対だが、自衛ための軍備は必要という考えは変わらない。戦争に負けるってことも美化して欲しくない。沖縄で何があったのか忘れてはいけない。無抵抗だから殺されないって保証はない。ならせめても生き残る可能性として抵抗できるだけの軍備は必要なんじゃないのか?

なんでもかんでも美化すればいいってもんじゃない。道徳は生きるためのルールかもしれないが、自己犠牲をなによりも美化しすぎるのも問題だろう。それが戦前どうだったのか、決して忘れてはいけない。誰もが生きたいし、平和で過ごしたいからこそ、無謀な進入に備えて家に鍵をかける。鍵がなくても安全だというのは、もはやファンタジーの話だってことをしっかり認識する必要があるとだけ言いたい。
国のために戦った多くの人々には、敬意を持って感謝の意と共に今ある平和を維持するために最大の努力をすることを誓う。だが、それは国民全てが国のために死を選択することを美化する理論と同じではない。国以前に国民である人々が生きられる状態を選択することこそが本当に国民のリーダーだと思う。国民がなくては国は存在する意味を持たない。平和が本当に国民に取って利益があるなら、軍備を持たないではなく、平和を維持するためにはどの手段が一番有効か、という点から憲法改正や自国防衛の軍備を論じるべきだ、と言いたいだけだ。


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グルジアといえば、映画ターミナルを思い出す

2008-08-12 20:54:03 | Weblog
ターミナルは自分も好きな映画だ。ある日自分の国がどうなるかって恐怖は島国の日本では感じないかもしれないが、EUのようにいつ内戦が起こり突然自分の知っている国がなくなるって可能性は本当にある。それが今回のグルジア戦争も同じだ。

日本は歴史の中で外国から攻められて統治国が変わるというのは、沖縄や千島ぐらいしかなかった。だからあまり他国から攻められるという感覚がないというか、平和ボケのまま戦後戦争とは関係なく過ごしてきたと思う。

誰も戦争は望まない。本当にそうだろうか? 米国のイラク戦争だって、はじめは米国民は911の復讐として、国民が望むようにイラクへの攻撃を望んだんじゃないのか? 軍を持たないから今回だってチベットと中国の問題だって大きくならなかっただけで、もし、金があり波乱できるだけの武器を手にしていたら内戦どころじゃなかったのかもしれない。だからといって、島国の日本が武器も持たずにどこからも侵略されないという保証は一切ない。おまけに外交は戦前からまったく駄目な日本だし、外交交渉で解決なんかできるなんて信じているのは、それこそ宇宙から隕石が降って人類全滅するという終末論を唱える宗教と同じように自分は感じる。

軍備のもうひとつのメリットは産業でもある。ハイテクの武器、これは産業になる。人道的に兵器産業を否定するのは個人の自由だろうが、現実的には軍事兵器を利用しているメリットの方が自分たちには多いことを考えるべきだろう?
GPSははじめに軍事目的で開発されて、現在も利用している。その一部も各国が利用させてもらっている。しかし、このGPSは車だけではなく航空、船舶など従来の航行に比べたらどれだけ安全に確実に旅ができるようになったのか考えて欲しい。

また、アニメじゃないがモビールスーツやパワードスーツ、リモート航行が可能な飛行機や戦車など現実として開発されている。何故なのか? 戦争の被害を最少にとどめるための知恵である。そもそも歴史からみて人類が戦わないということはありえない。人間だけじゃなく動物すべてがなんらかの形で日夜戦いに出会う。
戦争を悪とするのは勝手だが、人類の性を否定したところで何もはじまらない。

武器を持っても戦争をしない国もある。あくまで自衛という理由だ。ところがこの自衛も解釈次第では自国の利益のために戦争もする。例えば、かつてのサッチャーがフォークランド紛争時に言ったのは「領土は国家であり、国家を守らなければその国民の安全も守ることはできない。」みたいな内容だったと思う。さすが大英帝国、と感心したのを覚えている。しかし、戦艦だったか旗艦だったの室内には骨董品の宝のような家具ばかりあったため火事で大変だったって話もあったと記憶している。まったくもって戦争をゲームみたいに感じているだろうか?と不思議でならなかった。日本のように領土もなく、どこかの領土にもならなかった国には考えても理解できない話かもしれない。だが、実際には世界ってのは、日本のように温室育ちのボンボンには理解できない理論で動いているってことだけは忘れてはいけないと思う。

金と軍事力は国の評価をする目安にもなる。だからGDPうんぬんには名前も出ない北朝鮮がどうしてこれだけ世界が注目するかといえば、軍事力があるってことだ。
パキスタンやインドだって核兵器を持つ。貧しい兵器の代表であるB兵器ではなくA兵器をだ。そしてそういった国では貧困に苦しむ人々もいる。なのに、コストの高いA兵器を維持する。核兵器廃絶をどんなにうたったところで、米国ですら廃絶できない。この現実を無視して、平和だとか核兵器撤廃を簡単に唱えることはできない。もし、そんなことを言う政治家や評論家がいるとしたら、それこそ詐欺師かDoreamerと呼ばれるような人々でしかない。

ターミナルという映画は、そんな背景や違法就労者の現実を考えさせてくれる。
あの映画を見てから、税関を通過して空港から出る瞬間「日本人でよかった。」としみじみ感じる。世界のどこでも日本人という理由で税関や通関で留められることはほとんどない(ビザが正しくないとか、申告しない品物を持っていれば別だが)。これは日本国の今までのおかげだと思う。心から感謝したい。
だからできればこれからもどの国とも友好関係を維持して、平和に関係を維持して欲しいと望む。だからこそ、他国から簡単に侵略されないだけの軍事力と経済力を維持するしかないと思うんだがなぁ。






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高齢者をどう扱うか、日本は世界から注目されている。

2008-08-10 04:25:59 | Weblog
先ず日本が先に高齢者の人口比が高くなり、かつ経済活動も鈍化してどう彼らに対応するのか、EUなどが注目しているそうだ。
税金を収入の半分程を納めて、福祉国家になった国では、若者や高齢者の自殺者は多い。何故か? 若者の気持ちは働いても税金を収めるためだけで生活は向上しない。しかし、最低生活はできる。高齢者も同じだが、国が面倒みるおかげで家族の絆は細くなり孤独感で生きていたくない、とか思うんだそうだ。それでも現在では自殺対策でカウンセリングやらが進みかつEUという共同体になってからはずいぶん変わったという。

日本も同じような社会を目指したいんだろうか? ワーキングプアといっても、決して餓死するとかじゃない。住むところもある。ならどうして貧しいというのか?
他人に比べて貧しいってことじゃないのか?

20年以上前から日本は立派な格差社会だったし、ワーキングプアも存在した。
収入と共に生活が贅沢になったと自分は思う。何故なら子供の頃には、自動車は一般家庭ではまだまだ高値の花で、せいぜい軽自動車が変えるぐらいだった。それと一軒家なんか、それこそ、ローンの利子だけ返すのでせいいっぱいで公務員とかじゃないと金を借りるのも簡単ではなかったと親は言ってた。
だから、日本はもともと福祉国家じゃなかったんじゃないのか?
ならどうしてみんな生活していたかってことなんだが、祖父や祖母は本当に質素な生活だったと思う。なにせ、テレビもないし、暖房器具だってコタツだけだったしなぁ。貧乏というより節約のためにそうしていたんだそうだ。確かに犬と猫もいたんだが、立派にドッグフードやキャットフード食べさせていたし、貧乏だったとは思えない。祖父は死ぬまで仕事をしていた。まあ、それも職種によるんだろうが、ボケはしなかったなぁ。

ハワイにいる日系2世のおばあさんやおじいさんも働いてた。金があるとかないとかではなく、生きて身体が動く限りは働くもんだ、と考えている世代だからだ、と彼らの子供たちは言ってた。それが日本人は勤勉だ、と言われる理由なんだろう。

ところで憲法には義務として労働がある。高齢で労働しない場合は義務を果たさないことになるんだろうか? そうなら選挙権についても年齢制限があってもいいんじゃないだろうか? 人口比率が高齢者が多くなるならば、これはマジに考えて欲しい政策だ。もし、国の未来は高齢者に適した対応だけを優先するならば、その国は滅びる。何故なら生産が減り、消費が増えることになるからだ。
いい例が今の日本がまさにこれでしょ?

政治家はそもそも中高年どころじゃない年齢が大半なので、どうしても対策が年寄り中心になると思う。教育だってそうだ。なんちゃって教師ばかりで質は落ちる上にゆとり教育とか平等教育とか檻の中の動物を育てたおかげで役に立たないような人材しか産まない。これじゃ世界的な競争に勝てる訳ないだろうが?
なのにまた大事に温室で育てるような規制やら法案やらで、どうなることか。。。
誇りは高く、自分の手を汚さない素晴らしい若者があふれているってことだ。
しかし、数も少ない。彼らは、自分たちが未来を明るくしようではなく、明るい未来を造って欲しい、と言う。何か変じゃないのか? 

弱肉強食は生き物にとっては自然界のルールだ。これを平等にしようとする試みはいいが、すべてを平等にしようってのは無理がある。だから、宗教があるんじゃないのか? せめて宗教だけは貧富の差もなく死を平等に迎えるようにってことで存在しているように思うんだが。。。。
世間で貧しいという人にたずねたいが、本当にあなたは貧しいのか? 餓死するほど食料も買えず、雨風が防げない住まいに居住するのか? タバコも酒もたしなむ余裕はないのか? 月に2000円も寄付できる余裕もないのか? でも、酒や娯楽に金は使うんだよね? それで貧しいって言うのか? 服に穴が開いたら繕って着てますか? トイレの紙も買えないで新聞紙ですか? 
これらの質問は日本より貧しい国の人たちに質問されたことです。
今だにトイレの紙で新聞紙というか、食べ物を包んだ紙とか、場合によって手で拭くんだそうだ。インドも同じで左手で尻を拭くから、必ず右手で飯を食う。

まあ、高齢者というか定年後の年齢の人たちだけじゃなくて、やがて人材も足りなくなるんだから、さっさと雇用条件から年齢差別を撤廃したらどうなんだろうか?
それとフルタイムではなく週3日勤務とかの形態も取り入れることで働く人は増えてくる。例えば、派遣であっても2人を1人分の賃金で雇うなどすればいいだけで、残るは最低賃金だなぁ。勿論、それに足りない場合は、なんらかの援助を考える必要がでてくるので税金割合は増やすしかない。だからこそ、高齢者にも働いてもらって収入から税を納めてもらう必要がある。消費税は生活必需品である食料も米、塩、砂糖には無税、加工品は最低の3%、水、ガス、電気には無税、公団住宅は無税とかで収入が低い人でも最低限の生活ができるような環境を整えての増税をするしかない。特に住居については、共同トイレ、風呂、洗濯場があるアパートなどでコストを安くすることで家賃も低くて住むような住宅を数多い作れば、ホームレスは減る。残りは仕事だが、これも職種と人材条件(体力が必要とか、専門技能が必要とか)の洗い出しをして、雇用可能な人数を出す。それに対して、現在の人材に技能研修してさっさと働かせる、なんてぐらいにしないとニートやホームレスは減らない。同じように高齢者も年金で生活ができない、かつ身体も動く人を対象に労働してもらう。勿論、年金分は課税しない。労働した分、贅沢もできるってことだ。
身体が動かない人に対しては最低保証の生活保護による介護だなぁ。そのためには税金をたくさん納めないといけないだろう? 企業税を減らすというが、企業が日本国内に存在するなら日本の福祉政策に対して社員数および労働者数に比例した税を納めてもらえばいい。それが不満なら日本から出て行ってもらっていい。
中小、零細企業が残れば、雇用は減らないだろう? 勿論、こういった小さい会社の税はできるだけ安くし、かつ社員数も50人未満などは技能研修については国から補助するなどの政策をすることで人材活用を十分にすれば生産されるモノだって大企業に劣らない。

政治をいくら改革したって本当に改革しなくてはいけないのは産業構造だろう。
大企業中心ではなく、小さい会社同士が共同体として生産できるような構造だ。
産業界の団体なんてほとんど役に立たないから、新しい協同組合のような団体を中心に商取引を自由にできるようなルールを作るなどすることで小さい会社でも十分な競争力を持てるようにする。大企業だって事業部ごとで売り上げ計上するぐらいだから、小さい会社通しでもできないことではない。
こういった発想ができないというか、議論ができないのが日本の産業界の欠点じゃないのだろうか? 
食料自給率を40%まで引き上げるというが、そのためには輸入品に対して、消費税率を変えるなどして国産品を有利にする対策が必要だ。関税は確かに難しいんだろうが、輸入品は例えば、品質(安全)検査税とか作ればいい。国民の安全を優先という名目であれば他国から何を言われようと筋だけは通る。このぐらい頭を使って国産品との差別化をしない限りは国民は食料の自給率なんて危機は理解できないと思う。農業にしても専業農家ではなく人材として農業を手伝うような職種も作ればいい。給与制にするとしても残業代とか休日出勤代は出せないと思うんだが、その分税金控除額を増やせばいいだろうし、雇用保険や疾病に対しての援助や補助制度も作ればいい。そしたら外国人や日本人の若者も働くかもしれない。

大体こんなところが自分が思っていることで、ある北欧の大学教授に聞かれた「日本人として君は高齢者対策をどう考えるか。」っての回答だなぁ。
あとは検証用の参考資料やら探すだけだ。無謀といえばそうなんだが、はじめからこれも駄目、あれも駄目じゃなにも発想できないから、先ずは考えている案から取り出して、ひとつづつ検証してつぶすだけだ。宿題しよう。


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