本来審議すべく法案を放置してまで守る政治資金不正か、と大きなる疑問がある。なにせ、政治資金疑惑のデパートだった野党が追求するという矛盾に、何か裏があるのでは、とさえ考えてしまう。
それほど審議したくない法案がたくさんある、という読みまでメディアや有識者が語るところを見ると、まんざら外れてないのだろう。
こういった政治家の政治資金疑惑や汚職の追求は国会という貴重な時間を費やしての追求ではなく、法的処理でいいような方向を作るべきだろう。特に外国との関わりとなる外国人からの献金や外国人団体からの献金については、別途安全保障委員会などでの追求も必須だろう。
しかし、政治家の不正よりもっと深刻で急をなす審議を放置してまで騒ぐような政党は、日本国および日本国民を守る政治とは言い難い。テロ資金うんぬん、より政治資金不正なのか?
おまけにエボラなどのシビアな感染症対策について、法的整備を早急にしていかないと、島国の日本は簡単に汚染される。人間だけではなく、家畜の病でさえ、きちんとした公衆衛生処理が法的に決まってないから莫大な被害を受けた。疑わしき外国人からの訪問でさえ、対処できないような法整備がいかに危険か、忘れたわけではあるまい。主権を持つ自国の国民の安全性を確保するより、経済だとか自国民以外の人権優先というとんでもない民主主義政治家は、日本には不要だと自分は考える。民主主義とは、そもそも主権である国民による成立であり、国民以外の人権だとか、人道的うんぬんのために自国民を犠牲にして成立するものか。もし、そうであれば、国だとか、イデオロギーによる区別された敷居は意味を持たないのだから、武力なりで政略したい集団の望む国となるだろう。自国民の安全性より他国民の安全性だとか経済性を優先する国家リーダは、どう考えても裏になんらかの自己利益があって決断したとしか考えにくい。この姿勢が、まさに現在頭を悩ませる慰安婦問題を育てた。
自ら幸福、経済安定ができてないのなら、他人を救うために手を差し伸べるべきではない、と自分は思う。もちろん、家族も友人もないのなら、自己犠牲で他人を救っても構わない。しかし、守るべき家族や友人がいるのなら、見ず知らずの他人を救うために家族や友人を犠牲にしても当然という思考こそ、社会をおかしくする思考だと自分は思う。本来は自分が帰属するテリトリーがあり、そこには帰属する人間関係もあり、自らの次に優先するのはこういった自分の周囲だろう。
これが正しく形成できなければ、大きな社会も組織もまともに形成などできるはずもない。
知人が疑問を持ったこと。それは難民でありながら最新のiPhone6を持ち、音楽も聴いてゲームも楽しむことだ。反面、一般の労働者では、なかなか最新のスマホを手にして最新の音楽やゲームを常時楽しむことが経済的理由で難しい。ほかにも服だとか食べ物とか、難民たちの生活が本当に貧困かと疑問が出るようなことがたくさんある。ここに育っているのは、嫉妬や恨みの感情かもしれない。つまり、国連が実行する難民政策の問題点がここにある。本当に難民たちのことを考えるのなら、既存社会にいる人たちの目や気持ちをもっとよく考えた方がいい。また、難民認定にしてもボートピープルのような横入りをした人は後回しとし、ある程度の罰則を強化しないと、本来難民として助けてあげなければいけない人を助けるのが遅れるだけだ。こういった問題点を放置している国連という組織は、今こそ、改革するか、解散するか、決する時期かもしれない。日本は難民支援に現物支給として、衣服やリネン、薬品の提供に徹して、金の支援は減らして欲しいものだ。これはODAも同じで、メンテナンスができない国への高度技術や高度インフラ提供はやめる。それともメンテナンス10年込みにするなどの方法も必要だろう。
朝鮮半島は放置して、できるだけ関わらないのが日本国民のためでもある。しかし、中国は違う。
できるだけ武力衝突するよりも友好関係を維持した方が得な関係を模索するべきだろう。そのためには経済的に豊かな高所得層への投資ビザ(条件を満たす限り、永住許可)を検討したい。条件とは、資産の額、毎年の生活するための経済自立資金の額を決めて、これが満たせない場合はビザ執行とする。そのためには毎年の税金深刻を必須とする。また、健康保険や年金は民間加入を必須とし、国の保険や年金は将来帰化しても利用しない前提とする。また、世代にビザは引き継ぎできない。反面、メリットとしては、特区内以外での居住も許可などだろう。まあ、特区を定めた場合、特区の市民税は高くして、警察、消防、および救急車の有料化などが必要だろう。
たぶん、現政権の内閣はどうもチームワークがよくない。これをどう束ねるのか、その役目が誰で、チームワーク破壊したいのか、さっさと対処していかないと、国家危機が発生したときには、もっと悲惨な状況になりかねない。期限までしっかり勤め上げて成果を示して、選挙をするなら、日本国や日本国民に不要な政治家は抹消されていくだろう、と信じたいものだ。
それほど審議したくない法案がたくさんある、という読みまでメディアや有識者が語るところを見ると、まんざら外れてないのだろう。
こういった政治家の政治資金疑惑や汚職の追求は国会という貴重な時間を費やしての追求ではなく、法的処理でいいような方向を作るべきだろう。特に外国との関わりとなる外国人からの献金や外国人団体からの献金については、別途安全保障委員会などでの追求も必須だろう。
しかし、政治家の不正よりもっと深刻で急をなす審議を放置してまで騒ぐような政党は、日本国および日本国民を守る政治とは言い難い。テロ資金うんぬん、より政治資金不正なのか?
おまけにエボラなどのシビアな感染症対策について、法的整備を早急にしていかないと、島国の日本は簡単に汚染される。人間だけではなく、家畜の病でさえ、きちんとした公衆衛生処理が法的に決まってないから莫大な被害を受けた。疑わしき外国人からの訪問でさえ、対処できないような法整備がいかに危険か、忘れたわけではあるまい。主権を持つ自国の国民の安全性を確保するより、経済だとか自国民以外の人権優先というとんでもない民主主義政治家は、日本には不要だと自分は考える。民主主義とは、そもそも主権である国民による成立であり、国民以外の人権だとか、人道的うんぬんのために自国民を犠牲にして成立するものか。もし、そうであれば、国だとか、イデオロギーによる区別された敷居は意味を持たないのだから、武力なりで政略したい集団の望む国となるだろう。自国民の安全性より他国民の安全性だとか経済性を優先する国家リーダは、どう考えても裏になんらかの自己利益があって決断したとしか考えにくい。この姿勢が、まさに現在頭を悩ませる慰安婦問題を育てた。
自ら幸福、経済安定ができてないのなら、他人を救うために手を差し伸べるべきではない、と自分は思う。もちろん、家族も友人もないのなら、自己犠牲で他人を救っても構わない。しかし、守るべき家族や友人がいるのなら、見ず知らずの他人を救うために家族や友人を犠牲にしても当然という思考こそ、社会をおかしくする思考だと自分は思う。本来は自分が帰属するテリトリーがあり、そこには帰属する人間関係もあり、自らの次に優先するのはこういった自分の周囲だろう。
これが正しく形成できなければ、大きな社会も組織もまともに形成などできるはずもない。
知人が疑問を持ったこと。それは難民でありながら最新のiPhone6を持ち、音楽も聴いてゲームも楽しむことだ。反面、一般の労働者では、なかなか最新のスマホを手にして最新の音楽やゲームを常時楽しむことが経済的理由で難しい。ほかにも服だとか食べ物とか、難民たちの生活が本当に貧困かと疑問が出るようなことがたくさんある。ここに育っているのは、嫉妬や恨みの感情かもしれない。つまり、国連が実行する難民政策の問題点がここにある。本当に難民たちのことを考えるのなら、既存社会にいる人たちの目や気持ちをもっとよく考えた方がいい。また、難民認定にしてもボートピープルのような横入りをした人は後回しとし、ある程度の罰則を強化しないと、本来難民として助けてあげなければいけない人を助けるのが遅れるだけだ。こういった問題点を放置している国連という組織は、今こそ、改革するか、解散するか、決する時期かもしれない。日本は難民支援に現物支給として、衣服やリネン、薬品の提供に徹して、金の支援は減らして欲しいものだ。これはODAも同じで、メンテナンスができない国への高度技術や高度インフラ提供はやめる。それともメンテナンス10年込みにするなどの方法も必要だろう。
朝鮮半島は放置して、できるだけ関わらないのが日本国民のためでもある。しかし、中国は違う。
できるだけ武力衝突するよりも友好関係を維持した方が得な関係を模索するべきだろう。そのためには経済的に豊かな高所得層への投資ビザ(条件を満たす限り、永住許可)を検討したい。条件とは、資産の額、毎年の生活するための経済自立資金の額を決めて、これが満たせない場合はビザ執行とする。そのためには毎年の税金深刻を必須とする。また、健康保険や年金は民間加入を必須とし、国の保険や年金は将来帰化しても利用しない前提とする。また、世代にビザは引き継ぎできない。反面、メリットとしては、特区内以外での居住も許可などだろう。まあ、特区を定めた場合、特区の市民税は高くして、警察、消防、および救急車の有料化などが必要だろう。
たぶん、現政権の内閣はどうもチームワークがよくない。これをどう束ねるのか、その役目が誰で、チームワーク破壊したいのか、さっさと対処していかないと、国家危機が発生したときには、もっと悲惨な状況になりかねない。期限までしっかり勤め上げて成果を示して、選挙をするなら、日本国や日本国民に不要な政治家は抹消されていくだろう、と信じたいものだ。