内閣改造の発表があったようだ。最期まできっちり仕事してくれれば文句はない。
そもそも選挙だけの政策やパフォーマンスなんか現実の世界では不要だ。やるべきことをやっていただければ自分はそれでいい。結果がどうかは、仕事が終わるまでは批判なんかできないからだ。弱肉強食は地球上の生物にとっては真理だからだ。
生き残るかどうかは、自分たちで努力するしかない、というのは筋だし、それを批判していつまでも国家から金をしゃぶるという国民ばかりなら日本に未来はない。
なんせ手をつないで運動会でゴールする、なんて共産主義でも社会主義でもおめにかかれない理屈を正当化する国民だ。都合の悪いことはなんでも文句をいい、政治や誰かのせいにする。その姿勢や態度がこのような現状を産んでいることすら気づかない。
いっそ選挙権も年齢比例でポイント制とかにしたらいいと思う。人口比がどうしても年寄りに傾くということは、未来なんかどうでもいい人たちの意見が優勢ってことにも成り得る。国民に主権というが、そんな人たちの意見ばかり通るようなら、自分はやはり日本という国に魅力を感じることはできない。決してゆとり教育もいいとは思わない。少なくても世界で通用する力とはたかが英語ができて、有名大学を卒業するだけではないってことだ。
勿論、大工、畳屋、車の修理工場、バイク屋、町工場には、60歳過ぎても現役のスーパーじい様たちがたくさんいる。何がすごいかといえば、職人という言葉が相応しい仕事をする人たちだ。旋盤ひとつでもコンピュータ制御もかなわないぐらいに精密に使いこなすような人たちだよ。こういった素晴らしい人材は何故か金持ちにならない。でも、いい仕事をするから不景気でも仕事は耐えないはずだった。
何故、仕事が続けられないのか? ひとつは客が価値を理解できない。ふたつめは金の投資がない。文化の保護といいながらこういった人たちの技術を保護しない。
近代化して、道具も豊富になりある程度は誰でもそれなりの仕事ができるようになった。しかし、それでも職人の技術が必要な場面はたくさんある。飛行機や車の整備だってじい様たちの仕事はまさに完璧だったんだよ。ブラックボックスが増えてきてもそれでもどこが悪いのか不思議なくらいに見極める。そんな姿を子供時代から見てきた自分からすれば、今はなんといいかげんかと思うときが多々ある。勿論、自分もだ。
このじい様たちから学んだことはなによりも「最後の最期まで手を抜くな。」ということだ。コンピュータや事務なんて失敗したところで誰かの命を直接奪うこともない。しかし、飛行機や車の整備は螺子のゆるみひとつで多くの人命が失われるということだ。飛行機事故が発生したときのじい様はそれこそ、すごい顔してテレビを見てた。「なんでもかんでもマニュアルばかりで、自分がどれだけ責任のある仕事をしているかわかってない。」と怒ってたこともある。人間だからミスもする、なんてことは許されない仕事もある。医者も同じだ。職人はプロを越えていると自分は思っている。プロは金相当の仕事をすればいいだけだが、職人は金、つまり報酬を越える。
政治に職人を求めない。しかし、プロとして報酬相当の成果だけはあげるように仕事をして欲しいもんだ。それは決して現国民のみの利益ではなく、国家の利益を優先してという意味だ。外野が何を言おうが、結果は10年、30年後に出る。
最後の最期まで手を緩めないでがんばりぬいて遣り通して欲しい。
改革、革命なんて派手はことではないだろうが、確実に時代の流れで変わっていかなければ生き残れない。だかこそ、今、ここで変わっていく決心をしたのであれば、後はないのだから、最期まで志を忘れることなるがんばれ!
野党も同じだ。選挙のための政策ではなく、本当に日本の未来のために与党と戦いどちらの路線に未来の方向が決まるか、しっかり戦ってくれ。
自分たちのようなまだ30年、50年以上も未来がある世代は、この戦いをしっかり見て自分はどちらの方向を望むのか考える必要もある。同情や感情ではなく、冷静にしっかり考えてだ。弱者救済が可能なのは余力があるときのこと。石油という資源が枯渇した今、どこの国も余力はない。新しいエネルギを開発したもの勝ちともいえる。
だからこそ、開発をやめることはできない。同じように防衛も絵の餅の平和を信じるエセ宗教であってはならない。現実に即した防衛を元に議論を進めるべきだ。
さて、自分たちは外国人到来による職を失わないために自己啓発して、スキルをつけよう。通信教育でも夜学でも勉強はできる。毎日の努力をしないよりはした方がいい。継続は力だ。あきらめたものは負けるしかないが、最期まで努力すれば何らかの価値を自らの手で絶対に勝ち取れる。じい様やひいじい様の時代にできたことが、自分たちだってできないなんてことはない。
そもそも選挙だけの政策やパフォーマンスなんか現実の世界では不要だ。やるべきことをやっていただければ自分はそれでいい。結果がどうかは、仕事が終わるまでは批判なんかできないからだ。弱肉強食は地球上の生物にとっては真理だからだ。
生き残るかどうかは、自分たちで努力するしかない、というのは筋だし、それを批判していつまでも国家から金をしゃぶるという国民ばかりなら日本に未来はない。
なんせ手をつないで運動会でゴールする、なんて共産主義でも社会主義でもおめにかかれない理屈を正当化する国民だ。都合の悪いことはなんでも文句をいい、政治や誰かのせいにする。その姿勢や態度がこのような現状を産んでいることすら気づかない。
いっそ選挙権も年齢比例でポイント制とかにしたらいいと思う。人口比がどうしても年寄りに傾くということは、未来なんかどうでもいい人たちの意見が優勢ってことにも成り得る。国民に主権というが、そんな人たちの意見ばかり通るようなら、自分はやはり日本という国に魅力を感じることはできない。決してゆとり教育もいいとは思わない。少なくても世界で通用する力とはたかが英語ができて、有名大学を卒業するだけではないってことだ。
勿論、大工、畳屋、車の修理工場、バイク屋、町工場には、60歳過ぎても現役のスーパーじい様たちがたくさんいる。何がすごいかといえば、職人という言葉が相応しい仕事をする人たちだ。旋盤ひとつでもコンピュータ制御もかなわないぐらいに精密に使いこなすような人たちだよ。こういった素晴らしい人材は何故か金持ちにならない。でも、いい仕事をするから不景気でも仕事は耐えないはずだった。
何故、仕事が続けられないのか? ひとつは客が価値を理解できない。ふたつめは金の投資がない。文化の保護といいながらこういった人たちの技術を保護しない。
近代化して、道具も豊富になりある程度は誰でもそれなりの仕事ができるようになった。しかし、それでも職人の技術が必要な場面はたくさんある。飛行機や車の整備だってじい様たちの仕事はまさに完璧だったんだよ。ブラックボックスが増えてきてもそれでもどこが悪いのか不思議なくらいに見極める。そんな姿を子供時代から見てきた自分からすれば、今はなんといいかげんかと思うときが多々ある。勿論、自分もだ。
このじい様たちから学んだことはなによりも「最後の最期まで手を抜くな。」ということだ。コンピュータや事務なんて失敗したところで誰かの命を直接奪うこともない。しかし、飛行機や車の整備は螺子のゆるみひとつで多くの人命が失われるということだ。飛行機事故が発生したときのじい様はそれこそ、すごい顔してテレビを見てた。「なんでもかんでもマニュアルばかりで、自分がどれだけ責任のある仕事をしているかわかってない。」と怒ってたこともある。人間だからミスもする、なんてことは許されない仕事もある。医者も同じだ。職人はプロを越えていると自分は思っている。プロは金相当の仕事をすればいいだけだが、職人は金、つまり報酬を越える。
政治に職人を求めない。しかし、プロとして報酬相当の成果だけはあげるように仕事をして欲しいもんだ。それは決して現国民のみの利益ではなく、国家の利益を優先してという意味だ。外野が何を言おうが、結果は10年、30年後に出る。
最後の最期まで手を緩めないでがんばりぬいて遣り通して欲しい。
改革、革命なんて派手はことではないだろうが、確実に時代の流れで変わっていかなければ生き残れない。だかこそ、今、ここで変わっていく決心をしたのであれば、後はないのだから、最期まで志を忘れることなるがんばれ!
野党も同じだ。選挙のための政策ではなく、本当に日本の未来のために与党と戦いどちらの路線に未来の方向が決まるか、しっかり戦ってくれ。
自分たちのようなまだ30年、50年以上も未来がある世代は、この戦いをしっかり見て自分はどちらの方向を望むのか考える必要もある。同情や感情ではなく、冷静にしっかり考えてだ。弱者救済が可能なのは余力があるときのこと。石油という資源が枯渇した今、どこの国も余力はない。新しいエネルギを開発したもの勝ちともいえる。
だからこそ、開発をやめることはできない。同じように防衛も絵の餅の平和を信じるエセ宗教であってはならない。現実に即した防衛を元に議論を進めるべきだ。
さて、自分たちは外国人到来による職を失わないために自己啓発して、スキルをつけよう。通信教育でも夜学でも勉強はできる。毎日の努力をしないよりはした方がいい。継続は力だ。あきらめたものは負けるしかないが、最期まで努力すれば何らかの価値を自らの手で絶対に勝ち取れる。じい様やひいじい様の時代にできたことが、自分たちだってできないなんてことはない。