The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

次は日本の未来をどうするのかを決める選挙

2019-06-17 05:13:55 | Weblog
憲法9条は平和を謳っているわけではなく、自国民をいけにえにし、かつ同盟国を犠牲にした上での似非平和を維持しているだけだ。よく考えて頂きたい。憲法9条を持つ日本は、他国との間で武力を持って問題を解決しないとしているだけで、他国側は同じような憲法を持っている訳ではない。ゆえに、他国側からはいつでも、日本へ武力を持って攻撃ができるのだ。この点を無視して憲法改正はありえない。

自国民を犠牲とは、北朝鮮に自国民が拉致されたと発覚しても、武力を持って解決しない、という憲法のおかげで自国民を救済することすらできないのだ。これを日本人はどう考えているのだろうか。まさか、同盟国である米国が日本のために、武力を持って拉致された日本人を奪回するから、憲法9条はそのままでいい、という人がいるのだろうか? ならば、独立国における憲法とは何なのか、何故、独立国は自国の防衛のために軍備を持つのか。

法律だけで憲法改正を論じるからおかしくなる。独立国として憲法がどのような役割を果たしているのか、そこから論じて欲しいものだ。

武力を悪とするのはいいが、先日のように市民を守っている警官が何の理由もなく、暴漢に包丁で刺されて死に面した事件がある。もし、この警官が自らの身を守るために所持している拳銃を使えるのなら、どうだったのだろうか。また、何のために警官は拳銃を所持しているのか。自分すら守れないような警官は、本当に一般市民が武器を持つ暴漢から守れるのだろうか。

また、ホルムズ海峡で日本国関連のタンカーが爆撃された。自国の海軍に相当する海上自衛隊は米国軍といっしょに調査できるとしても、自国の商船を守るために商船に同行できるのかどうか。日本国における石油の備蓄量を考えると、こういった議論もまじめにやらないと、戦前のようにエネルギー補給への影響は免れない。そうなってから他国へ攻撃をするよりも、事前に自国のエネルギー補給路の安全を確保するために、自国の軍隊を出動させるのは、軍隊を保持する意味でもあるのだが、そういった議論を日本の政治家たちはやらないのだ。だから、尖閣諸島に喜んで中国から船がやってくる。なにせ、毅然とした対応をとれない日本なのだから。

そろそろ戦争だとか、軍隊を悪とするステレオタイプを改善したいものだ。例え、独裁国家であろうが、軍隊そのものが悪という訳ではない。つまり悪かどうかは、軍隊そのものをコントロールする政治家でもある独裁者や政治のトップなのだ。そして、民主主義ならば、そのトップを選ぶのは主権を持つ国民なのだ。そういった仕組みを決めているのが憲法。ゆえに憲法は一定時期ごとに見直し、修正も必要になる。何故なら世界情勢は時代によって変わっているからだ。

戦争を回避するために軍備は不要とか、どれだけ理論的に矛盾しているのか。

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