大森将平の試合を最初に見たのは、新人王トーナメントのどの試合だったか、記憶が定かではありません。
後のスケールの大きな強打者のイメージと違い、やたら下肢が柔軟で「ふにゃふにゃ」しているなあ、とさえ見えたのが印象的でした。
動きが柔らかく、リーチが長く、相手にしたらやりにくい選手だろう、と。
それが全日本新人王獲得後に見た数試合では、抜群の体格を生かした、迫力あるロングレンジのパンチャーになっていました。
下肢は程良く柔軟、動いて外し、サウスポーから左の強打を上下に打ち分け、右アッパーやフックの「返し」も出る。
神戸のリングでフィリピンのアルバート・アルコイを初回ストップした試合や、京都でクリスチャン・エスキベルや見高文太を倒した試合を直に見て、これは日本タイトル、或いはその先も、という期待が高まりましたが、益田健太郎に圧勝しての戴冠で、その評価は全国区のものになりました。
しかし、この試合を最後に、初防衛の向井寛史戦以降、下肢の柔軟さが失せはじめ、下半身から連動して身体を振りつつ、長いストレートパンチで突き放していくボクシングの、防御の「前提」が崩れていきました。
上体を振らずに打っていくので、相手の反撃を食う頻度が高くなり、それを補う防御が間に合っていない。
今振り返ると、その問題点が一気に噴出したのが、マーロン・タパレスとの初戦だったように思います。
今でもよく覚えていますが、京都の島津アリーナ、二階席最前列から見ていて、試合開始早々から「近い!危ない!」と見えました。
早々に強打される距離に立たれている。このままでは...と思うと同時に打たれ、試合は2回早々に終わりました。
その後のキャリアは、上位進出に伴う試練、というには収まらない不運の数々があり、終わってみれば唯一の「世界戦」となったなったタパレスとの再戦も、相手の体重超過というトラブルに見舞われました。
スーパーバンタムでは山本隆寛にストップ勝ちしたものの、勅使河原弘晶に激戦の末、TKO負け。
西田凌佑に判定負けしたのが、結局、ラストファイトとなりました。
上体を振りつつ前に出て突き放す「型」では、本当に強かったですが、ベストファイトの益田戦以降、あの体格ではやはり減量もきつかったのか、原因は何かわかりませんが、良い展開で闘えた試合は、WBCランカーのヒメネス戦くらいでした。
出来たらもう少し余裕のある体重設定で、本来の型で安定して良さを出すことと、それ以外の不足を踏まえた上での技術向上に取り組んで、再起してほしいと思っていました。
勅使河原戦の次に、フェザー級の体重で闘った再起戦などは、悪くない内容を見せてもいました。
今の丸田陽七太のように、適切なタイミングで転級出来ていれば、と思ったりもします。
しかし西田戦の敗北は、結果として、さまざまに厳しい「断」に繋がるものになった、ということなのでしょう。
抜群の体格、そして素質にも恵まれた大器、逸材だったことは間違いないですが、同時に、それがいつ、どのようなきっかけで失われるものかは誰にもわからない。
ボクシングの過酷な一面を、改めて思わされる。大森将平はそんなキャリアを終えることとなりました。
しかし若手時代から浮上してくる過程を見ていて、本当に大きな期待を抱かせてくれた、素晴らしいボクサーだったと思います。
ホールで見た益田戦の衝撃と感動は忘れられません。改めて感謝したい気持ちです。お疲れ様でした。
故障や陣営との折り合い、色々あるのでしょうが、今後の大森将平も少し楽しみにしてましたので(西岡もアキレス腱断裂前より後のボクシングが好きでした)、個人的には残念です。
陣営との関係については...一度の敗北により、選手とジム側の間に齟齬が生じるのは当然あることで、それを解消する道がなかったのかなあ、という。海外なら、と言わず、最近なら国内でも、究極的には指導、マネジメント体制の変更、さらには移籍、という事例もありますね。そうならなかったからどうこう、と一概に言うだけの情報がない以上、あくまで推測のうちのひとつ、ですが。
>neoさん
事情どうあれ、原因が何であれ、一番滑り足の良いときの再現は、容易なことではなかったでしょうね。ただ、無理なく調整し、現状のまま闘う最善は何か、というところに辿り着けたかどうか、という点でも、私はちょっと疑問を感じています。西岡利晃はその難事を見事に成したという意味で、稀少な一例でしょうね。