今日も今日とて碌な話題がない、というか...アンソニー・ヤードの父と祖母が亡くなった、というニュース。
なんとも、悲しいことです。ご冥福を、としか。
試合の話題や観戦記やなんかを、適当にとりとめもなく書いている拙ブログ、いよいよ書くことがなくなってきました。
しょうがないので、というと語弊がありますが、過去の試合や選手について、思いつくまま書いていこうと思います。
メジャーなものからマイナーなものまで、或いは単に良い試合、というのでなく、こんなの見たことなかったな、というものまで、あれやこれやと。
見やすい作りの動画を選んでご紹介、という感じです。
で、最初は超メジャーなライバル対決。
リング・ジャパン発売のビデオには「中南米の武蔵と小次郎」なんてタイトルがついてましたっけか。
ロベルト・デュランvsエステバン・デヘススの三試合、ダイジェストにした動画がありました。
初戦はデュランがケン・ブキャナンを破って、世界ライト級チャンピオンになった後の、ノンタイトル戦。
2戦目はタイトルを賭けての再戦。3度目は、デヘススがガッツ石松を下して手にしたWBC王座もかかった統一戦。
この動画、驚いたのは3戦目の素材が日本語実況解説であること。
この時代に、よく、こんなの録画してた人がいたものですね。驚きでした。
最初から最後まで、今の目にも凄い攻防ばかり。
デュランの攻防の切り換えの鋭さと強打、デヘススの「差し込み」カウンター、左フックの鮮やかさに、ただただ目を奪われます。
そして白眉が、三戦目の12回、この素晴らしいライバル対決に決着をつけた、デュランの右カウンター。
打ち出しは右ショート、当て際で右アッパーになり、打ち抜きがストレートになっている。
もう、どう分類していいのかわからない。そもそも、そんな行為に意味すら無い。
デュランの野生と、ボクシング技術の高度な融合が生み出した、他では絶対見られない、奇跡の一撃でした。
現役時代、互いに相容れぬものがあり、敵対関係にあった両者でしたが、89年にデヘススがAIDSで亡くなる前には、デュランが見舞いに訪れ、抱擁を交わしました。
プエルトリコにおけるデュランへの感情は、この一件で敵意から愛情に変わった、という話です。
杉浦大介氏が翻訳したデュランの評伝には、その辺が詳しく述べられています。
ライト級史上最強、ウェルターでもレナードを下す大金星を挙げ、ミドル級ではハグラーに善戦、その後WBCタイトルも獲得したデュランですが、ライト級時代について、数少ない「不足」を言うなら、カルロル・オルチスやアレクシス・アルゲリョ、一階級上のアントニオ・セルバンテスと対戦しなかった「残念」があります。
しかし、知る限り、それが声高に言い募られる、ということでもないように思います。
その理由は、やはりデヘススという最強のライバルの存在、そして三度に渡る激しい闘いがあったからこそ、なのでしょうね。
本当に、改めて、今見返しても凄いです。
フルラウンドの動画も、探せばいくらでもありますし、未見の方にはお勧めです、ハイ。
=======================
ということで、一曲。
Van Halen “Panama” です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます