ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

となりの芝生の川柳 (8回目)

2009年08月24日 | テレビから
 「ルコウソウ」  5角形って珍しいですね  桔梗は蕾の時やはり5角形ですが

                  2㎝ほどの小さな花です

        去年のこぼれ種で咲きました  葉の形も好きなんです
   


昨日今日と、家の中に居れば凌ぎ易いですね。

昨日はお寺に「施餓鬼法要」行きました。時々陰ってくれるので助かりました。
お盆の13日に行ったばかりですから、花も半ば枯れている状態でした。今日
は家で育てた「虎の尾」と「ミソハギ」に彩を添えるために黄色の小菊を少し
買って行きました。お盆の花からは「槙」だけを残しました。

今年からお寺さんも「年間維持費」と言う名目で3千円納める事になりました。
私達のように「月参り」をお願いしていない檀家さんは5千円でしたかしら…。

大きな楠がありますから落ち葉が多く、行くとまず箒で周りを掃除するのが
常でした。「維持費」はそのお掃除をする費用に使われると言う事で、何時
行っても箒の目が通っていて気持ちが良いです。だから墓石を磨くだけで良
いのです。

お隣のお墓にこられた男性が、始めてらしく、花のパラフィン紙を外して花
立に入れるべきかどうか、周りをキョロキョロ見回して、紙を取り花立に入
れました。今度は線香を1本立てましたが、我家の線香の束を見て、又数
本の線香に火をつけました。

私が主人に「奥さん亡くなったのかしらね?」と言いました。「病気かも知れ
へんで~」「ボケてるとか…」と答えました。寝たきりの人を世話した経験の
ある私から言わせれば、そんな時はよっぽどの信心家で無い限りお墓にま
で手が廻らないものです。我家でも、月参りは来て頂きますし、家の仏壇か
らはお参りしますが、お墓参りはパスしていたように思います。

帰りのバス停で主人とお寺の話をしておりましたから、お参りに行った人だと
解ったのでしょう、女の方が話しかけてこられました。

「私は主人も居ないし子どもの居ない一人身なんです。兄が『葬式は息子(甥)
にさせるから、お寺さんにどんな形でするか、費用はいくらかなど聞いて書い
ておけ、その費用もちゃんと用意しておけ』って言うのです」「そりゃちゃんと
決めて、費用も用意しておけば、任せられた方も安心なさいますよね」と返事
しましたら「でもね~、兄の世話になるなんて考えても居なかったんです」と
大きな溜め息をつかれました。

如何して見ず知らずの私にこんな話をされるんだろうと思いました。お寺で
亡き人の供養をしてきたので、我が身の事に思いが至り、その事を誰かに
聞いてもらいたくなったのでしょうか。

実は私も読経を聞きながら。知人が言った言葉を思い出しておりました。や
はり独り身の方で、お電話で「今、葬式の計算もし、お金の用意もして弟に
全てを頼む事にしたの、呼ぶ人の名簿も作ったし、貴女も入っているから、
知らせがあったら葬式に出てね」と…。

死んでしまえば自分では何も出来ませんものね。早い内からの用意が良い
のかもしれません。

               となりの芝生の川柳

   姑の句  台所誰が渡すか未熟者


   嫁の句   姑にこげたおかずを裏返し

今週の句もあまりに直接的で、皮肉に隠されたユーモアも感じられないので、
あまり好きではありません。




             「ルドベキア」の一種だと思うのですが…

             今年は伸び伸びと3mはあると思います
コメント
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