ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

夢の競演 麿赤児と梅津和時

2009年08月31日 | 一寸そこまで
大型台風が通過した。予想通りの民主党の大勝…。わが尼崎でも公明が
去り、民主から送り込まれた田中氏が勝った。

私もつくづ日本人だな~」と思った。アレだけ引き摺り下ろしたいと思って
いた公明党の人が、深々と頭を下げ、その敗戦の弁を聞くと、「気の毒に」
と思ってしまう、判官びいきの気持ちが台頭してくる、何もあんなに敵視し
なくても良かったのではないか?と…。

田中さ~ん! 貴方は言われました「仕えられるのではなく、皆さんに仕える
為に邁進したい」その言葉に希望を持ち、期待もして居ます。お手並み拝見
させていただきます。



                     夢の競演   
     麿赤児(右:舞踏家)さんと梅津和時(サックス・クラリネット奏者)さん
   
   
   


8月29日(土)四条畷の「えにし庵」で「夢の競演 メソポタミアンドリームⅣ 
麿赤児と梅津和時の競演」のお誘いを受けて、友人と行ってきました。野外
劇場と言うのは初めてですし、麿さん梅津さんも初めてです。私に理解でき
るのかな~と言う不安もありましたが、一度は見てみたいと思っていました
ので、良い機会だと参加を決めました。
 
まず「四条畷」と言う土地に降り立つのも初めてです。なんだか昔の家並みを
彷彿とさせてくれる懐かしい町でした。小高い山に向かって、緩やかな坂を上
ります。わが町ではとんと聞こえなくなった蝉の声が聞こえます。

突然、思いもかけない風変わりな大邸宅が現れました。塀の中には3棟の様
式の異なった大きな建物が、我を競うように並んでいます。一番驚いたのは
右端の日本家屋風の建物の大屋根に「金の鯱」が乗っています。それだけで
はありません、手前の門の屋根にももう1対の鯱が乗っていました。一軒の
家に2対の鯱です。これが驚かないで居られますか名古屋城の鯱でさえ1対
のみです。

どんな方が住んでおられるのでしょうか? 帰ってネットで探してみましたが、
私の探し方が不味いのか出てきません。と言う事は普通のお家なんでしょう
か?惜しい事をした写真を撮ってくれば良かったと思いましたが、後の祭り
です。

山の迫った辺りに「えにし庵」はありました。この山は「飯盛山」と言うらしい。
「飯盛山?」何か聞き覚えがある…、記憶にあるのは白虎隊で有名な飯盛
山でした。「飯盛山」は他にもあるらしく、この山は「河内飯盛山」と言うらし
いです。

プレイベントは14時からあるようでしたが、体力的にきついのでメインイベ
ントのみ参加に決めておりました。5時には着きましたが、なんだか(事情説
明はマイクでありましたが、マイクのとおりが悪くて聞こえませんでした)遅れ
ているようでした。

 舞台と後が「飯盛山」です  子ども達も珍しいのでしょう「篝火」を見つめています


会場の舞台は、少し小高くなった所です。屏風が正面にありました。其処から
少しずつ傾斜が付いているようです。舞台から見物席の終わりまで船の先端の
ような形に竹を低く組み合わせてありました。その上をこれも竹が渡してあっ
て水が流れておりました。何のため?と思っていたのですが、女の子がビニー
ル袋にいっぱいの花びらを持っているのを見ると、どうも花びらを流していた
ようです。

実際に流れているのを見たわけではありませんが、私は帰り道、自分の頭の
中で描いておりました。

予定通り始まる前に軽く何か食べておこうと言う事で、友人は「カレー」を私は
「焼き蕎麦」とお茶を買って済ませました。

まだまだ夏なんですね、曇り空なんですが、中々暗くなりません。その内両脇
に篝火がたかれました。その炎を見ながら「あ~、何年ぶりだろう、直に炎を
見るのわ?」時々爆ぜた小さな火の子(消えていますが)が飛んできたりしま
す。飽きる事無く見つめていました。



6時ごろカバンを持ったおじ様が舞台に上ってこられました。そしてカバンを
開けて、楽器を取り出し組み立てて並べました。徐にその中の一本を口にあ
て、吹き始めました。その人が梅津さんでした。

その曲は私の良く知っている曲なんですが、どうしても思い出せません。隣の
友人に「この曲の名前なんだった?」「リンゴの歌」なるほどそうなんです。でも
とてもスローテンポで音が低い(アルト・サックスだものね~)ので、解りません
でした。

梅津さんは先日亡くなった忌野清志郎と自分のバンド・ドクトル梅津バンドと
共演アルバムを出されていて、著作もあるようです。10年ほど前に出された
「いつだっていいかげん」と言うエッセイ集だそうです。

サックスに替えクラリネットに替えと長く演奏をしていました。私には良く解ら
ないのですが、あの指先の速い事とよく息が続くな~と感心しながら見ており
ました。

暫く後に、顔と手を歌舞伎の様に白塗りし、真っ黒な衣装の人が出てまいりま
した。麿さんです。此処から共演が始まりました。麿さんが動きに無いときは
手首からだらりと掌を下げているポーズがこの人のポーズだそうですが、私は
原爆記念館で見た、被爆者が体液が垂れるのを防ぐ為にこれと同じ手つきを
していたな~と思い出しました。

麿さんは息子さんも同業者のようです。麿さんはNHKの「篤姫」にもチョイ出
しておられたそうですが、知りませんでした。スローテンポな踊りが意味する
ものが私には解りませんでしたが、動きが美しい事だけは解りました。それと
なんともいえない魔力があり、何となく又見たいかな~と言う気がしました。

奏と舞どちらが先に出来たのでしょうか? 舞のビデオを見て曲をつけたのか、
奏を聴いて舞をつけたのか? それとも両方即興?  

前方からクラリネット・サックスの音色、後方から秋の虫のバックコーラスです。
なんともいえない感じでした。これが野外劇場の良さなんでしょうか?

会が終わって帰る頃には、虫の声は大きくなりました。「これからは私達の出
番よ!」といわんばかりに… 虫達は知っていたのでしょうか? 梅津さんの
奏を盛り上げている事を…。

☆ こぼれ話
  始まる前にとトイレに行ったんです。外で男の子の「怖い!!」と言う声が
しました。私が出ると、待っていた小さな男の子が、私を見上げて訴えます。
「僕ね、怖くて泣きそうだったの…」「何故?」お母さんが答えました「梅津さん
が通られたんです」梅津さんって、そんなに怖い人? 其処には友人と話して
いる梅津さんが居ました。白塗りで黒い服… なるほど子供の目には怖かった
んだろうと笑い出しました。

コメント
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