ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎市も「中核都市」へ

2009年02月18日 | 気にかかる
                    ハボタン  
          わが家のハボタンがやっと色付きました 
  種を蒔くのが4ヶ月遅かったからです 7月に蒔くとは知らなかったからです


今朝6時40分頃弱い地震がありました。弱いながらに徐々に強さを増していきました。時間はかなり長かったように思います。14年前の震災を思い出しました。

ジムの教室で先生が「地震」について言及されましたので、今まで静かだった教室が蜂の巣を突いたような騒ぎになりました。皆さん「大震災」を思い出されたようです。


尼崎市では6月に市会議員選挙が行われます。その選挙に議員として立候補する新人の方でしょう、一枚のチラシが入っておりました。我家の長男と同年の方のようでした。

その文章の中にこういう一部分がありました。

「尼崎市も4月から中核都市に移行されます。この制度は平成7年から施行された都市制度で、その事務権限を強化し、できるだけ市民のみなさんの身近で行政を行うことが出来るようにして、地域行政の充実に役立つように設けられたものです」

「中核都市」と言うのは「福祉事業の分野」のみに限られるそうですが、市としての独自の方針が可能になると聞いたように思います。

しかし国の政策と言うものは、あちらから「こんな制度がありますよ、貴方の市は市民数においてはその資格がありますよ、やってみませんか」とお声が掛かるものではなく、たとえ員数的に資格があったとしても、自ずから行動を起こさないと、その資格を我ものにすることは出来ないのではないですか?

ここで私は思い出したのです。何時だったか忘れましたが、白井市長が「中核都市への移行」を目指して、新しくプロジェクトを組んで、「中核都市」になる為の準備を始められたという事を聞いたことを思い出したのです。

一部資格があるにしても、そのほかにも色々と申請に必要な事柄があったのではないですか。だから、その制度を取得する為に(市民の為により細かい配慮をするために)白井市長は行動を起こされたのではなかったのでしょうか。

白井市長を中心にプロジェクトの方々の努力により、この度、目出度く「中核都市」の仲間入りをすると言うのです。兵庫県では既に西宮市、姫路市がなっております。第3番目として、尼崎市が加わるという事です。

平成7年からある制度という事は既に14年前からあったという事です。白井市長は一期4年、現2期が3年目に入っておりますが合計7年という事になります。

そう考えると前市長の時からその資格はあったという事になります。何故その資格を取らなかったのでしょう? きっと、市民の為になる事だとしても、その資格を取るには、又取得後にも仕事が煩雑になると言う現実があったのではなかろうかと想像します。だから前市長はその手続きをしなかったのではないでしょうか?

これは現市長白井さんと、前市長宮田さんの市民に対する(市長として当然取るべき)心構えの違いと言えるのではないでしょうか?

「中核都市」と言うレッテルは向こうからやってきたものではなく、白井市長の行動力が勝ち取ったものだと言えませんか。

このチラシの主が、もし当選したとしたら、どの会派に属する方か知りませんが、市民の為になると思っておこした白井市長の行動力を認め、白井市政に反対の為の反対をするような会派に属さず、白井市長を助ける人であってくだされば良いな~と思っています。

白井市長始プロジェクトの皆さんお疲れ様でございました。これからも市民の為のより良い生活の為に働いてくださることを願っております。有難うございました。

★パソコンの調子が悪く、今まで出来たことが出来ません。写真も、如何やってみても1枚しか入りません。当分は仕方が無いかと思っております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする