ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

三沢基地勤務の米軍人家族

2011年03月29日 | 新聞から

          「白木蓮」   尼崎・鳥場公園     (11-3-22)




今日は午前中はぽかぽかと暖かでしたが、午後になって又冷たい風が吹きました。
こんなにコロコロと温度の変化がありますと体調管理が大変です。


「私達も逃げない 米軍人家族、震災孤児ら救済」と言う見出しで、三沢基地の米
軍家族のことが載っていました。大震災の被災地などで米軍による援助活動「トモ
ダチ作戦」が続く中、米軍艦船や航空機を使ったハード面の支援とは別に米軍の家
族らが震災孤児の救済などに汗を流す草の根支援も広がっている。

大地震と余震、原発事故の被害から逃れる為に、米軍人らの家族数千人が帰国す
るなど自主的に退避する一方で、日本に留まり、児童養護施設で孤児の面倒を見
続けている米国人達が居る。

…中略… 三沢基地に近い七戸町の児童擁護施設「七戸美光園」地震発生時、約
40人の児童が生活していたが、震災後に親を失った孤児ら30人を新たに収容し
た為に、食料や衣類などが極度に不足した。

…中略… 海軍士官が震災後22日に美光園に駆けつけると、4日分の非常食しか
残っていなかった。三沢基地に報告し(以前からも行っていた)支援を続けることが
決まった。

…中略… 米軍家族には自主退避の許可が出て居る。何故退避しないのかと聞か
れて「われわれが逃げたら誰が子ども達に食料を届けるの」と答えた。

美光園の職員は「26.27の両日にも米軍関係者が訪れ、昼食の時、持ってきた
弁当を子ども達と一緒に食べた。子ども達も喜んでおり、本当に感謝している」と
電話取材に答えたそうです。

…中略… 米軍三沢基地は美光園と20年以上の交流があり、こうした信頼関係が、
今回の支援にも生かされたようだ。

又、米空軍の妻が米軍家族に衣類などの提供を呼びかけたら、想像以上の物資
が集まり驚いたそうです。彼女は「少しでも友人の三沢市民のお役に立てば嬉し
い」と言う。又、家族だけではなく、支援活動に当たる将兵からの寄付も相次いで
いるそうです。

ありがたいと思うと同時に、「沖縄の基地問題」を思い出しました。同じ基地でも
この違いは何なんでしょうね。三沢基地の周辺の子ども達の方が幸せではないだ
ろうか、「愛」を感じて、人の信頼を得ている。一方沖縄では、大人の「争い」で人
を信じる心が生まれようがない。

おかれた土地の条件とか経緯の違いであるにしても、おもいやりの「愛」を受け、
「信頼」を感じて育つ三沢の子ども達の未来の方が、すばらしいと思うのは私だけ
だろうか。




コメント
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