おどけた「お雛様」 西宮 (11-2-25)
お天気がいいので洗濯をして、一日本を読んでおりました。
携帯電話のカンニングで大騒ぎですね。考えられないことが起こっています。携帯
のカメラと言うのは、盗撮禁止のため携帯カメラよりシャッターの音が大きいです
よね。試験場であんな音を響かせたら、いっぺんに監視官や隣の人に気づかれて
しまうと思ったのですが、手のひらにすっぽり入る小さなものがあるんですってね?
音はしないのでしょうか? どんなものか見てみたいですね。
経路がすぐたどれるような携帯で如何してカンニングなどする気になったのでしょ
う? まして事前に練習をしていた嫌いがあるとか。自分の実力の範囲を超えてい
ると分かっていての受験でしょうか? 試験は水ものと言いますからたまたま自分
の不得意の範囲の出題だったのでしょうか?
それにしてもなんとも嫌な事件です。
大学に入ってからの補習事業も問題になっていますが、大学が多すぎて、経営の
為の人員確保の為に実力の無い人も入学するから仕方が無いな~と思っていま
したら、そうばかりはいえなくて、国立大学でもその傾向があると言う話です。どう
いう事でしょうか? 受験勉強って何を勉強するのでしょうか? 試験に受かる為
の技術としての勉強ですか? 頭の一番クリアな時に必要な知識を身につけるこ
となく入試技術のみを勉強するとしたら、とてももったいないことだと思います。
良く言われるように、大学は誰でも入れて、実力を身につけたときに卒業できると
言うシステムに変えないと、ましてや就活の為に、したい勉強も出来ない大学生活
を送るなんて、本当に無駄な生活をしていると思います。
高校の無償化より、勉強がしたい子が勉強に打ち込める、大学にいきたくない子に
は、腕に職をつける道を開いてやる、好きなことはほって置いても学びます、そんな
学びの道をつけてやって欲しい。学ぶことに意欲の持てる制度にしてやって欲しいと
思います。
この嫌な事件ですが、入試制度を深く考え直すきっかけになればいいなと思います。
ガラスの「ぼんぼり」と「おひなさま」 長浜の商店街 (11-2-10)