ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

男雛女雛の飾り方

2011年03月04日 | 今日この頃
     


    白鹿の「お雛様」撮影禁止だったので 新聞から取りました  ↓  チッケト





唱歌の学校で、今日は3月ですから、「お雛様の歌」を3曲歌ったんですよ。
それに関連して、本の挿絵を見て、女雛が関東と関西では位置が反対だと言う話に
なりました。

良くご存知の方の話では、「関西は女雛が左、関東では右、なぜならば御所では昔
から女雛は左だから、京に近い関西は、同じく左、新しい東京方面は右だ」と言わ
れました。

この言葉には一つ間違いがあります「雛飾りは江戸時代からだそうで、京都に御所
があったころは、「雛飾り」ではなく「遊び道具の一種」だったそうです。

私の覚えていたことでいえば、明治時代までは「左」が高位だったので「男雛」は左
(向かって右)しかし文明開化により日本も洋風化して昭和天皇が常に皇后の右(向
かって左)に立たれるようになってから、雛人形も、その形を模したと言うのです。

私は昭和天皇が始められたと覚えていたのですが、このたび調べてみますと、大正
天皇の即位式からだと書いてありました。

それで昭和天皇の即位以来天皇は右(向かって左)に立たれる様になり、これを
「現代式」といい、天皇が左(向かって右)を「古式」と呼びますが、どちらで飾って
もいいそうです。

この話を聞きながら、学校の近くの「白鹿ミュージアム」で雛飾りの展示をしてい
る事を思い出しまして、見て確かめてみようと思い立ち、学校帰りに寄って来まし
た。

初めの写真の如く「白鹿」では「古式」でしたが、掛け軸に書かれたものは「現代
式」でしたから、昔からそんなに厳しく守られていたものでも無いようです。

それから、何となく嬉しいと思ったのは、お雛様のお道具と言いますか、下の段に
飾る飾り物の制作年が、あれもこれも昭和10年だったことです。昭和10年は私
の生まれ年ですから、「白鹿」が集め始められたのがその年なのか、昭和10年と
言う年が、まだまだゆとりの年だったのでしょうか。

又一つ不思議なことに気づきました。写真の好きな母が、お雛さんと私を撮ってい
ないことです。私はお雛さんのお道具で遊んでいた覚えもありますし、確かにあっ
たのです。写真屋さんに出向いて写すだけで、出張撮影を頼むことがなかったのか
も知れません。とても残念だな~と思います。



          お土産に「冷酒」を頂きました  下戸の私には重いお土産でした
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