暁天。
暁は、夜明け間際。
天は、空。
暁天講座は、朝、目覚めの刻に、ほんとうに目覚めよという仏の願いに会う法会として、古くから各地で行われてきた仏事。
桑名別院の暁天講座は、55回を数えるというのですから半世紀を超えて続いてきた。
高度成長に向かう当時の世相のなかで、何か大事なものを失っていくことを危惧した先達方が立ち上げたのかもしれない。
数年前にお参りさせていただいた時は、朝、出勤前のサラリーマンのお姿に驚いた。
私たちはいったい何のために働くのか。喰うために働く。何のために喰うのか。
生きるために喰う。何のために生きるのか。
なかなか伊勢から暁天の刻に桑名へ参ろうとするのは大変ですが、コロナ禍の因縁で今年ははじめてネット配信された。
暁天の刻でなくても、環境さえ整えばいつでも聴聞できる。
さて、何のために何を聞くのか。
「ほんとうに目覚めよ」という如来の声。
朝起きてメシを喰い仕事をする。その日常において「目覚めよ」とは。
夢の中で夢から覚めた夢をみている私。
身体は起きた。だけど何が眠ったままなのか。
毎年、秋の彼岸の中日。常照寺の彼岸会でお話をいただいているお馴染みの荒山淳さんにパソコン画面でお会いすることができました。
第55回仰天講座「いのち - 生じて従来するところ、決して趣向するところを知らず - 」荒山淳
桑名別院ホームページ
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