うっかりするところでした。
常照寺永代経のご案内です。
永代、つまり未来永劫に釈尊の教え(経)が伝えられますようにとの願い。
うっかりするとは何事か。
いや、ブログアップをうっかりしていただけで準備は整っております。
ご門徒各位におかれましては、すでにご案内のとおりご参詣のほどお待ち申しております。
「うっかり」は「浮かり」からきた語だとか。
浮かれておるつもりはございませんが。
「御文」にも、
人界の生はわづかに一旦の浮生なり。後生は永生の楽果なり
(第2帖第7通)
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=2&page=947
夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり
(第5帖第16通)
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=2&page=1010
しばしば「浮生」と。
人間の「生」、つまり私そのものが「うっかり」しておる、と。
「しっかり」しているつもりでも浮世なのだ。
浮世に対して「常世」。
御文では「永生の楽果」と。
私のほんとうの所在をそこに発見していく。
「後生」は死後のことではない。
未来永劫に南無阿弥陀仏を伝えていってほしいという願いはそこだ。
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまえり
「十劫」の時を超えて「浮かる」ことなく
世の盲冥をてらすなり
亡き人の成仏を祈るのではない。
私の成仏を課題とする永代経を「しっかり」お勤めしたいと存じます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます