緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

生きることが楽になるために「人を咎めることをやめる」

2024-04-13 23:20:31 | 心理
私がこの10数年で大きく変わったことのひとつとして、「人を咎める」ということがかなり減ったことにあるのではないかと思う。
仕事が忙しかった30代終わりから50代前半くらいまでは自分にも他人にも厳しかった。

「人を咎める」ということの背景として、「こういうことはいけない、間違っている、悪いことだ」という価値観が心の深いところまで浸透しているということにある。
人間の本質として不完全な要素は多々ある。人をよく咎める人というのは、不完全な本質を許せない人なのである。
そのような人は、他人の言動に自分が否定した不完全な本質が、鏡として映っていることに気が付かない。
自分が否定し憎んだ不完全さが鏡に映っていると、それを咎めないわけにはいかないのである。

しかし人を咎めるということは、「投影」というはたらきによって、逆に「他人が自分を咎める」という感じ方、受け止め方をするようになるのである。実際に他人が自分を咎めていないのにもかかわらず。
また、人間の脳は「主語」の区別がつかないと言われている。すなわち、人を咎めるということは、他人も「自分」も咎めていることになるのである。
これでは生きるのが辛くなるのも当然だ。

人を咎める人が「心が苦しく」、恒常的な心理的不快感を抱えているのはこのようなことが心に起きているということであろう。

私が毎日バイブルのようにして読んでいる心理学の本にこのような一文があった。
「咎めることを止めることです。批判する心に気づいて下さい。批判には何の価値もありません。責めないで下さい。裁かないで下さい。それが自分であっても、他人であっても。(中略)「私はもう人を咎めない」この言葉を繰り返し、繰り返し唱え続けてみて下さい。(中略)あなたが「うまくいっていない」と感じているとき、きっとあなたは何かを咎めています。批判しています。それを探して下さい。あなたの中の咎める心が、批判する心が、今のあなたの外側に投影されているだけなのです。」

咎めることを止めるということは、価値観がそれだけ拡大するということでもある。何が良くて何が悪いかといった二極的価値観から開放され、あらゆるもの、あらゆる出来事をそのままにありのままに受け止めることが出来るということなのだと思う。

「人を咎める」ことから開放されるためには、自分を咎めるにいたった不幸な体験を直視し、そのような過去の自分をまるごと許し、癒してあげることが必要だ。




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