半蔵門にある山種美術館へ行った。ここは旧山種証券の寄付によって設立された美術館なのである。
小規模だったけれど、なんとも静謐な雰囲気を持つ美術館であった。
「百寿を超えて」と題された展覧会。
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人による日本画が展示されていた。
全員、100歳を迎えても画家の現役だった。
以前、私は小倉遊亀の「浴女」を観たことがある。
遊亀(ゆき)という印象的な名前は、彼女の筆づかいなどと共に、私の記憶にとどまるところになった。
今日の自分的メインは彼女の絵。
そのなかでも「咲き定まる」っていう作品が気に入った。
牡丹の花粉の立体感、そこから広がる花弁に至るまで、リアルで綺麗であった。
思わず触れてしまいそうになるぐらい…。
木下利玄の歌で、
「牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ」
というのがある。
遊亀はこの歌を知ってて、この絵を描いたのだろうか?と解説文には描いてあった。
「咲き定まる」
なんて良い言葉なんだろうか。
絶妙なポジショニングも表題とマッチしていた。
続いて、遊亀の「舞う(舞妓)」
年端のいかない舞妓の初々しさが伝わってくるような作品。
振袖の豪華さとそのあどけない表情が「舞妓」という職業の奥深さを醸し出している。
しなやかで躍動感のある本作品の前で、しばらく佇んでしまった。
スーパー長寿画家の絵を観て、生きるパワーをもらえた気がした。
山種美術館といえば、速水御水の「炎舞」。
炎に吸い寄せられる多くの蛾。
この美術館に所蔵されているはずなんだが、今日は観ることができなかった。
とても好きな絵なんである。
コレを観たら、ルーベンスの絵を観たパトラッシュとネロのように昇天できそうな気がする。
天使が荷台を轢いて降りてくるような気がするんである。
その時、私は小脇に抱えた吉熊に、こう言うだろう。
「吉熊、疲れたよ。なんだかとっても眠いんだ…」
って。
小規模だったけれど、なんとも静謐な雰囲気を持つ美術館であった。
「百寿を超えて」と題された展覧会。
奥村土牛、小倉遊亀、片岡球子の三人による日本画が展示されていた。
全員、100歳を迎えても画家の現役だった。
以前、私は小倉遊亀の「浴女」を観たことがある。
遊亀(ゆき)という印象的な名前は、彼女の筆づかいなどと共に、私の記憶にとどまるところになった。
今日の自分的メインは彼女の絵。
そのなかでも「咲き定まる」っていう作品が気に入った。
牡丹の花粉の立体感、そこから広がる花弁に至るまで、リアルで綺麗であった。
思わず触れてしまいそうになるぐらい…。
木下利玄の歌で、
「牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ」
というのがある。
遊亀はこの歌を知ってて、この絵を描いたのだろうか?と解説文には描いてあった。
「咲き定まる」
なんて良い言葉なんだろうか。
絶妙なポジショニングも表題とマッチしていた。
続いて、遊亀の「舞う(舞妓)」
年端のいかない舞妓の初々しさが伝わってくるような作品。
振袖の豪華さとそのあどけない表情が「舞妓」という職業の奥深さを醸し出している。
しなやかで躍動感のある本作品の前で、しばらく佇んでしまった。
スーパー長寿画家の絵を観て、生きるパワーをもらえた気がした。
山種美術館といえば、速水御水の「炎舞」。
炎に吸い寄せられる多くの蛾。
この美術館に所蔵されているはずなんだが、今日は観ることができなかった。
とても好きな絵なんである。
コレを観たら、ルーベンスの絵を観たパトラッシュとネロのように昇天できそうな気がする。
天使が荷台を轢いて降りてくるような気がするんである。
その時、私は小脇に抱えた吉熊に、こう言うだろう。
「吉熊、疲れたよ。なんだかとっても眠いんだ…」
って。