世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

はやぶさのように

2010年12月12日 23時59分26秒 | Weblog
昨夜は帰宅したのが遅かったため、今日は一日中、ゆっくりとしていた。

そういえば、帰宅してから、「追跡!A to Z」の再放送があり、クマパパと観賞した。
“はやぶさ” 快挙はなぜ実現したか」の再放送だ。

《番組HPより》
未知の宇宙旅行は困難の連続だった。通信途絶で行方不明、燃料漏れ、エンジン故障など、絶体絶命となった時、地球の管制室にいた日本人技術者達の「知恵」と「執念」が、いつも逆境を跳ね返した。例えば、4つのエンジンが全てトラブルになった時には、生き残った部品を遠隔操作でつなぎ合わせ、新たなエンジン機能を作り出すなど、一発逆転の様々なアイディアが飛び出してきた。

通信途絶の窮地を脱したときのはやぶさプロジェクトのスタッフが喜ぶ様子、困難な状況になればなるほど一致団結していった様子などを観て、
「パパ、涙が出っちゃうよ」
と声を詰まらせていたクマパパ。
彼はずっと組織の中で生きてきたので、こういうシーンにめっぽう弱い。
だからといって、子供の前で半泣きになるなんて。
彼も涙腺が弱くなった。

私は、最後の力を振り絞って地球を撮影したはやぶさの姿に涙腺が崩壊しかけた。
でも家族の前では泣けない。
結膜に涙のドームを湛えながら、歯を食いしばって番組に見入る父と娘であった。


東京に帰る前の夕御飯。
お鍋(しょっつる鍋)
牡蠣や野菜、豆腐のミートボールが投入。


母のお友達の叔母さんが作った卵焼き。
これ、最高に美味しい。


大好物の湯葉


実家に滞在中、お風呂は柚子風呂だった。
体はポカポカするし、肌は綺麗になるし、幸せ~。


東京に帰るとき。
両親は、私を駅まで送り届けてくれた。
スーパーに寄ってパンを買ってもらった。
料理をしない私は生ものを持って帰れない。
だからいつも私には、酒かカップラーメンか、日持ちしそうなパンを持たせてくれる。

帰省の度に持成してくれる両親には頭が上がらない。
次回は大晦日に帰省する予定。

小惑星探査機はやぶさのように、東京というイトカワで一生懸命働いて、何かをあの二人に持って帰る。
これが私に課せられた、…果たしたいミッションである。

いつもありがとう。


SENDAI光のページェント&松島

2010年12月12日 23時04分36秒 | Weblog
12/11(土)

5時起床。日の出前。東の空には明の明星が輝いていた。つい「あかつき…」と呟いてしまう。

国道4号線沿いの集合場所までは父が車で送ってくれ、そこからは観光バスに乗車。バスガイドさんは暗闇でも解るぐらいとても綺麗な人だった。

鹿沼インター。
U字工事で有名になったラブホテル「エーゲ海」
家族旅行や学校の旅行でここを通過するとき、車内が必ず気まずくなる。



車内ではおにぎり2個とお茶のサービス。ぺろっと完食。ガイドさんの声は耳に心地よく、つい、うとうととしてしまう。
途中、いくつかのサービスエリアに寄り、11時30分に松島に到着。私にとって、16年ぶりの松島だ。ちょうどあの頃反抗期だった5歳年下の弟の言動などを母と述べ合う。彼も大人になりましたとさ。

澄み渡る青空と海、点在する島々が穏やかさを醸し出している。さすがは日本三景。


渡されたパンフレットによると、遊覧船の名前は「はやぶさ」というらしい。小惑星探査機はやぶさのカプセルを3回ほど見に行ったにわかはやぶさファンの私としては、乗らないわけにはいかず。母ヨーコたんは乗らないで私だけ乗船することにした。



30分かけて、松島の島々を見る。幸い、乗船したのは我々のツアー客のみ。6人ぐらい。なんとも贅沢な船の旅である。
カルビーかっぱえびせんを船内で買い求め、追ってくるカモメに餌付けをした。えびせんを投げるとカモメが空中で上手にキャッチする様子が面白く、また私の指先から奪い取る様子もスリリングだった。たまに指を噛まれて痛いんだけど、なぜか笑ってしまう。ひゃっほう~!たしか16年前もこんなことをした。










カモメの大群が青空を舞う…この光景はメイプルタウン物語パームタウン編を彷彿とさせるのだが、覚えている人は少ないと思われ。







海岸通りの食事処「南部屋」でヨーコたんと食事。カキフライ定食。噛むと甘い汁が口内に広がり、飲み込むのが勿体なく感じるぐらい美味しかった。



五大堂を散策。
伊達正宗が紀州の名工を招き、桃山建築の枠を集めて作ったお堂。
上部一周は十二支のレリーフが彫られている。
私の干支・馬さんは看板の裏側に。


自分への土産は、かもめの玉子。以前からこれを一箱食べるのが夢だった。でも1個食べたら飽きた。


観瀾亭でさざ波を聞きながら、まったり。
「観瀾」とは、さざ波を観るという意味らしい。
豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を政宗がもらい受けたもの。

庭にあったセコイアの化石。


観瀾亭の隣には松島博物館があり、これがちっちゃくて可愛らしい博物館だった。
伊達家伝来の什宝物や,武具,装身具,化粧道具,書画が陳列され,松島のジオラマもある。
素敵すぎる絵。


素敵すぎる絵2。


鮮やかな着物。
どんな姫君が着用していたのだろうか。


散策途中で見かけた松島城


14時30分、バスに戻り仙台へ。かまぼこ店「鐘崎ベルファクトリー」へ寄る。
隣には「七夕館」という小さな建物。
仙台の七夕まつりの資料館といったところだろうか。


短冊に願いを。
「あかつきが金星の写真を撮れますように」
という、何ともディープな願い事を託す(撮れたらしい)。


仙台市内は大渋滞。
それでも16時30分には西公園に到着でき、ヨーコたんと仙台の街を徘徊した。
そろそろ時間なので定禅寺通り沿いで待機。
次第に人が多くなる。
17時30分、「光のページェント」点灯。
けやき並木に付けられた55万個の電球が一気に光る。
感動的瞬間!
あまりの感動に言葉を失った。
頭上から道の向こうまで広がる光の群衆。
遠くの方の光は、揺れて見える。幻想的。






吉熊もうっとり~。


「気になるサンタ」が気になったので勾当台公園まで歩いた。
提供が日立だから「気になる」…なるほど。






シンボルツリー。



夕御飯は、「伊達の牛たん
美味しい!
生きていて良かった~。



再び西公園へ。
汽車がライトアップされていた。


20時30分、仙台を後にする。
行くときと同じようにいくつかのサービスエリアに寄り、帰宅したのは0時50分。
クマパパに迎えに来てもらった。

母ヨーコたんとの二人旅は2001年の北京旅行以来。
気を遣わないので楽だ。

綺麗な景色と美味しい食べ物で、遊び倒した一日だった。
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