晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

東野圭吾 『ゲームの名は誘拐』

2009-06-08 | 日本人作家 は
海外ミステリーの大家といえばアガサ・クリスティですが、
作品の特徴としては(全部ではないですが)、全体的にコ
ンパクトにまとまってるというか、設定範囲が狭く、ゆえに
「密室ミステリー」なんて言われ方をしています。
そこに不満と改善を求めたのが松本清張氏で、密室の仕
掛け小屋から外にミステリーを出し、さらに現代社会の歪
みをテーマに盛り込み、「社会派」というジャンルを構築し
ました。

東野圭吾のミステリーは、そんな「密室の仕掛け小屋」と
「社会派」を上手く融合させた進化系だと思うのです。

本作『ゲームの名は誘拐』は、狂言誘拐がテーマ。仕事も
プライベートも合理的に生きる男が、会社のプロジェクトから
外され、納得できず酒の勢いでプロジェクトから自分を外す
ようにした取引先の大手自動車メーカー副社長宅にタクシー
で乗り付けますが、その副社長宅から女性が塀を登って外に
出てきます。
後をつけて、ホテルで宿泊しようしていたその女性に声をかけ
ると、家出をしてきたと告げます。さらに女性は副社長の複雑
な家庭事情を話し、これを聞いた男は、狂言誘拐を企てます。

しかし、超合理主義な男のなかに、女性への想いが芽生えて
しまいます。果たして身代金は手に入るのか・・・

ラストは大どんでん返しで、こういう展開を用意していたのか、
と唸らずにはいられませんでした。

松本清張の短編「水の肌」という作品にも、超合理主義な男が
出てきて、この男はその合理的がゆえに自分勝手で理不尽な
理由で殺人を犯してしまうのですが、対比として、男は冷徹な
ほど合理的に描かれており、そんな男が殺人を犯すというその
ギャップが面白いのですが、『ゲームの名は誘拐』の主人公の
男も、もっと冷徹に描ければ、狂言誘拐に付き合った女性と恋
に落ちるというギャップがより面白くなったかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森絵都 『永遠の出口』

2009-06-07 | 日本人作家 ま
「男子」と「女子」では、同じような経歴を過ごしたとしても、
性別によってずいぶんとその思い出や記憶が違うというの
は、ある程度成長してから気付くのですが、『永遠の出口』
は、女の子の小学生から20代になるまでの思い出を描いた
作品で、「男子」との違いがたいへん興味深い。

小さい頃から見たり聞いたり食べたりするチャンスを逃して
それが後悔するものであれば、「もうそれには永遠に出会え
ない」「一生ムリ」といういわば恐怖心というか強迫観念のよ
うなものにとらわれる、そんな女の子が、小学生時代のクラス
内におけるグループ行動の難しさに悩み、そして漠然と進路
に悩み、中学生になると恋や家族に苦悩し、ちょっとグレたり
もします。
そして高校生になり、バイトでの人間関係、家庭問題、進路に
振り回されるようになります。これは自分自身が定まっていな
い段階で定まっているように振舞うので結果あたふたしてしま
う、「10代症候群」とでもいっていいものなのですが、この背伸
びしている時期がなんとも甘酸っぱくそしてほろ苦く、どこか痛
痒い。

人格形成期に得たものと失ったものの得失点差が必ずしも大人
になったときの有利不利に働くわけではありません。
この時期を過ごす彼ら彼女らは、自分たちなりに精いっぱい無我
夢中に生きて、悩み、苦しみ、笑い、怒ります。
そんなことを、「男子」と「女子」の差こそあれ、思い出させてくれる
作品でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リチャード・ノース パタースン 『子供の眼』

2009-06-05 | 海外作家 ハ
法廷闘争ものといえばジョン・グリシャムを浮かべるのですが、
適度なライトさを持つグリシャムの作品とは違い、はじまりから
終わりまで重厚感漂う作品となっております。

まずオープニングで、ある男が侵入者に遺書を無理やり書かさ
れて、自殺に見えるように銃を口に咥えさせられて発砲。
話はさかのぼり、のちに殺されることになる男の妻が、彼女の
勤める弁護士事務所の上司と関係を持ってしまいます。
男は働かず、妻の収入に頼りきりで、別居を切り出されると、
一人娘の養育権を主張します。

そして、妻と上司がイタリア旅行に出かけている最中に夫が
家で自殺しているのが発見されます。
しかし警察は初期捜査の時点で自殺に見せかけた他殺であ
るとにらみ、娘の養育権を巡って現在係争中の妻とその恋人
である上司が疑われます。
警察は目撃情報をもとにこの上司を逮捕。上司は信頼のおけ
る知人の弁護士に弁護を依頼、裁判が始まります。

日本でも裁判員制度がはじまり、法曹資格の無い一般国民が
裁判に参加することになりますが、アメリカでは「陪審員」とい
う、市民が有罪無罪の判断を下すシステムがあり、これには、
さまざまな人種がいて、さまざまな思想的背景を持つ市民がい
るために、誰を選ぶかによって判決が左右されるという問題が
あります。被告原告双方が自分の主張に有利にはたらくよう、
陪審員の候補者の中からある程度希望を通すことができます。

この陪審員選びから裁判中のやりとりが実にスリリングに描か
れていて、読んでいて手に汗握るくらい。
判決は驚きの結果となり、さらにオープニングで男を自殺に見せ
かけて殺した犯人が分かるのですが、それにビックリするととも
に、なぜ男が殺されることになったのか、その理由に怒りと悲し
さが込み上げてきます。

作品中の主テーマのひとつである「家庭内虐待は受け継がれる」
というものがあるのですが、悲劇の連鎖はどこかで断ち切れる
希望があるのが救い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東野圭吾 『手紙』

2009-06-03 | 日本人作家 は
この作品は、兄が殺人事件を犯してしまい、その理由が
弟の進学費用欲しさの犯行ということで、弟はその後の
人生で何かと「人殺しの弟」というレッテルがついてまわ
りる犯罪加害者家族の生き方の話なのですが、こういっ
たディープなテーマだと、あまり重苦しく話を進めていくと、
インパクトは大きい分、忘れるのも早いのですが、本作で
は淡々と話は進み、適度にドラマチックを挿み、それが心
にフィルターから濾過されるコーヒーのように、じんわりと
ぽたぽたと染み入ってきます。

自分は加害者の家族であるという変えようのない事実と
向き合うには、よほど心の強い者でなければ簡単にポキ
リと折れてしまいます。
それにしてもこの物語の弟、そんな強靭なハートではない
のに、定石としてはグレるところなのですが、多分、この
「弟がグレなかった」というのが、あからさまな現実逃避を
しない分、現実をこれでもかと見せつけられるのでしょう。

弟は決して高望みはしません。ただ、普通に接してほしい
だけなのです。その事実を知った周りの人はどこか腫れ物
にさわるように、よそよそしく、かといって無視したり悪し様
に罵ることはせず、できれば関わりになりたくないという雰
囲気を押し出します。
読んでいる最中は、なんて世間は冷たいんだ、という印象
を持つ。ここがポイントで、それじゃああなたは人殺しの家
族と普通に接することができますか?という問いかけ。

戦時下のイラクでボランティアの日本人が誘拐されて、なぜ
か怒りの矛先は、そんな危険なところにのこのこと出かけて
いったという理由で、喉にナイフを突きつけられた同じ日本人
でした。
この時に「自己責任」という言葉がこんなにも軽んじられるの
かという使われ方をしていました。
悪いのは誘拐犯に決まってます。イラクで困ってる人を助け
たいという外国人を連れ去って金を要求するという非道。
でもあの時、日本人の大勢は、悪いのは捕まったほうだと
いう審判でしたね。
なんだかそんなことを思い出してしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首藤瓜於 『脳男』

2009-06-02 | 日本人作家 さ
江戸川乱歩賞受賞作品を全部読もうと思い、この作品を読んだ
わけですが、今までに読んだ他の受賞作品とはちょっと毛色が
違うというか、なんとなく全体的に曖昧な感じが漂い、そしてエン
ディングも完結ではありません。

もちろん、物語や展開はスリリングで飽きさせず、扱うテーマも
興味深いものなのですが、なにかこう、もう一歩のインパクトが
敢えてなのか足りず、しかしそれが登場人物の数奇な運命の
印象をより深く与えるという効果があったりするんですよね。

物語は、中部地方の愛宕市という架空の都市。そこで連続爆
弾事件が発生し、ついにその犯人のアジトと思われる倉庫に
潜入した警察は、犯人とおぼしき男を発見するも、仕掛けられ
ていた爆弾にやられそうになり、しかしそこにいた共犯と思われ
る男に間一髪助けられます。

共犯と思われる男は経歴は一切不明、取調べでは会話が成立
せず、精神鑑定を頼むことに。愛宕市内の病院に勤務するアメ
リカ帰りの精神科医の女性医師のもとに依頼が来ます。

鈴木一郎と名乗るこの男はいったい何者なのか。一連の犯行に
関係はあるのか無いのか。
まったく違う方向から、鈴木一郎の身元が判明し・・・

文中で鈴木一郎は「サヴァン症候群」ではないか、というのがあ
るのですが、サヴァン症候群とは、自閉症や知的障害のある人
の中で、ある特定の分野に限って高い能力を持つ人。
映画「レインマン」で、驚異的な記憶能力をもつ兄がそうです。
ここが難しいのですが、今のところ、この症例において、肉体的
に高い能力を持つという人は現れていないのですが、鈴木一郎
はとにかくスーパーマン的身体能力なのです。

小説なのでその辺りは別にいいのですが、物語の途中から終わ
りにかけて、このスーパーマン的活躍が光ります。
いや、スーパーマンというよりは、オズのブリキのきこりに近いの
でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレックス・ガーランド 『ザ・ビーチ』

2009-06-01 | 海外作家 カ
必要最低限の荷物を背負い込み、世界じゅうを旅してまわる
「バックパッカー」。その目的は、自分の視野、見聞を広める
ものや、自分探しをするものなど。

本作『ザ・ビーチ』も、バックパッカーの青年が「楽園」を探して
そこで生活をする話で、タイの安宿で出会った男が青年に紙を
渡すと男は死んでしまい、その安宿で出会ったフランス人カップ
ルとともに、紙に書いてある「楽園」を目指します。

バックパッカーの多くは、ガイドブックなどで紹介されて観光地化
されたリゾートを嫌い、俗化されていない真のリゾートを求めます
が、そもそも自分がそこを訪れることが俗化の第一歩であること
に疑問は抱かないのでしょうか。

さて、その「楽園」ですが、交通手段の無い孤島の中にあり、また
その島に上陸できたとしても、たどり着くまでにはジャングルや滝
などの自然の要塞をくぐりぬけ、地元マフィアの栽培する麻薬の畑
を突破しなければならず、容易にたどり着くことはできません。

「楽園」での暮らしは、いわば自給自足の集団生活。真のリゾート
とは、つまるところ、脱文明?
排他的で、一度「楽園」に足を踏みいれたものには口外を許さず、
俗化を嫌います。入り口はあっても出口は無い、イーグルスの
「ホテル・カリフォルニア」のような世界観。

「楽園」の住人も、ここで生活することになる青年も、とにかくしじゅ
うドラッグやりまくり。作品じたいは全面的にドラッグを肯定している
わけではありませんが、青春の一ページのように扱っているのは解
せない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする