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晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

フレデリック・フォーサイス 『シェパード』

2025-03-30 | 日本人作家 は

今月はがんばって本を5冊も読んじゃいました。「一月にたった5冊読んだ程度で自慢するな」という声が聞こえてきそうですが、読書は量をこなすよりは、読書をしているその時その時をじっくりと味わおうではないか、そういう心境になっています。というわけで、読み終わるのに時間がかかってます。

以上、遅読のすすめ。

さて、フレデリック・フォーサイス。元イギリス軍で、除隊後に通信社の特派員、その後ノンフィクションを出したあとに小説「ジャッカルの日」が大ヒットし、次々と作品を出しますが、東西冷戦の終結で明確な「敵」つまり共産圏、東側が無くなってしまったので断筆宣言をします。が、同時多発テロがあって「これは書かねば」と思ったのか復帰。

この作品はデビューしてから5作目の短編集です。

イギリス陸軍の兵役を終えて保険会社に就職し、人畜無害のマジメ人間で通っているナトキンは、通勤電車に座ってて、ふとシートの隙間に雑誌が入っているのを見つけます。表紙を見ると、なんとエロ雑誌。それをカバンの奥にしまいこんで仕事が終わり家に帰ります。家には妻がいますが病弱でほぼ寝たきり。エロ雑誌の広告を見てこれはと思った女性に偽名で手紙を書きます。その後、その女性と関係を持ってしまうのですが、なんと家に実名宛でエロ雑誌で見つけた女性との情事の写真が送られてきて・・・という「ブラック・レター」。

大金持ちのマーク・サンダースンは、あるパーティー会場で美しい女性を見つけ、一目惚れをしてしまいますが、彼女は既婚者。しかしなんとかデートにこぎつけいい関係になりそうになりますが、主人のことを裏切れないと言われます。そこでマークは、なんと殺し屋に彼女の夫の殺害を依頼し・・・という「殺人完了」。

若い戦闘機パイロットは、クリスマス休暇で北ドイツから戦闘機でイギリスまで帰ります。無事に離陸して水平飛行になった大西洋上空で、方位磁石も高度計も速度もあらゆる計器が壊れていることに気づいて、さらに無線も壊れていてイギリスの基地に信号を送ることもできません。パニックになったパイロットは、教官から三角形を描くような飛行をするとSOSの合図だというのを思い出してやってみると、そこに第二次大戦時に活躍した旧式のプロペラ機が助けに来て・・・という表題作の「シェパード」。

フォーサイスの作品は今までけっこう読んできましたが、短編は初めて。ですが、話のオチのなんというかオシャレというかサプライズというか、さすがフォーサイスといった感じでした。


井上ひさし 『馬喰八十八伝』

2025-03-26 | 日本人作家 あ

私事で恐縮ですが、今の職場を4月の半ばで退職することになりました。クビになるわけではありません。あくまで自己都合の退職。なんだかんだで4年と5ヶ月かな、在籍していたことになります。じつは今年の社会福祉士国家試験に合格し、さらに通信制の大学も無事卒業できまして、今の職場に特別大きな不満があるわけでもないし(あるにはありますが)、残ってほしいと引き止められもしましたが、まあここらでいっちょ違う世界に飛び出してみようかなと思ったわけであります。そんな冒険ができるのもおそらくこのタイミングを逃したら年齢的にも難しいかなと。

以上、このブログのプロフィール変えないと。

さて、井上ひさしさん。家の書棚にあるもう一人の井上さんは井上靖さん。井上靖さんにも一時期ハマってけっこう読んだのですが、井上ひさしさんが読んだ本の数で抜きそうな勢いです。

「九州天草一揆が鎮まってまだ間もない」とありますから江戸の初期、下総国(現在の千葉県北部と茨城県南部)にある、馬の産地として有名な桜七牧(「佐倉」ではありません)の高野村に、痩せた馬を連れた若者がどこかからやって来ます。馬の名前は花雲といい、いわゆる種牡馬。桜に来た理由は、種付けのため。この花雲は種付けの成功率が高く、種付け料をもらいながら全国を回っています。宿を探していると、馬に乗った若者の母が「腹が減った」といいます。全国を回っているのは母親の願いで、この若者はとんでもない大嘘つきで村人が迷惑するので全国各地の百以上の神社やお寺をお参りして息子の嘘つきがなおりますように祈願をする、その間は嘘をつくことを一切禁止するということで、次の成田山に行くと八十八か所お参りしたことになります。

高野村では、百姓はたいてい馬を飼っていて、農業のかたわら仔馬を育てて馬市で売って収入を得ています。さっそく若者は百姓に声をかけますが、この高野ノ牧では勝手に種付けをしてはいけないとのこと。宿に泊まった若者と母ですが、外に繋いでいた花雲が消えます。どうやら盗んだのは、高野ノ牧の御馬見代官の差配人をしている駒太夫だということで、駒太夫の家に行くのですが知らないと言われたので若者は代官所へ行って馬が盗まれたと訴えますが、なぜか若者が悪いことになって百叩きの刑。刑の執行人が八十八回叩いたところで疲れてやめてしまったのですが、若者は神仏の約束を破り「八十八回叩かれたので、八十八の嘘をついてやる。名前も八十八(やそはち)に変える」と復讐を誓うのです。

それから八十八の嘘、もはや嘘というかマジックかイリュージョンの世界で村人やら名主やら代官、盗賊、はては桜の殿様までも意のままに操ります。さらに八十八、「馬語」が話せるという特殊能力もあります。

話じたいはドタバタ奇想天外コメディなのですが、作者が千葉県桜市のアマチュア郷土史愛好家たちによる「馬喰八十八研究会」から聞いた八十八の伝説というか武勇伝に作者オリジナルの解釈を加えた、という構図。あとがき解説にもありますが、この話は義民、佐倉惣五郎がモデルになっているのではないか、ということですが、佐倉藩の領主、堀田氏の圧政と重税に苦しんだ名主の惣五郎が、寛永寺に参詣に出かけた徳川将軍の駕籠に直訴し、領民は救われたのですが、惣五郎の一家は処刑されるのです。この義民伝説が歌舞伎や講談などで知られるようになります。京成電鉄に宗吾参道という駅があってけっこう歩くのですが佐倉惣五郎を祀った宗吾霊堂(成田市)があります。ちなみに佐倉市内のお煎餅屋さんでは「義民焼き」という商品が売れ筋なんだとか。


ロザムンド・ピルチャー 『ロザムンドおばさんの贈り物』

2025-03-15 | 海外作家 ハ

私事で恐縮ですが、先日、大学(通信教育部)を卒業しました。2020年の秋入学ですので、4年半在籍していたことになります。3年次になって初めてスクーリングでキャンパスに行ったのですが、東京西部の、敷地内に芝生や木など緑がたくさんあるザ・大学といった感じで気に入ってしまいました。スポーツで有名とかでもなく、難易度は高くもなく低くもなく、ぶっちゃけ全国的な知名度はありませんが、いくつか選択肢があった中でそこを選んで大正解でした。10代のときに海外留学していた時はカレッジ付属の語学学校だったのですが、カレッジの施設(カフェテリアや図書館や売店など)を使ってもよく、たまにカレッジのほうの教室で授業もあったりして、キャンパスライフ「っぽい」ことは経験していたのですけどね。

以上、遅れてきた青春。

さて、ロザムンド・ピルチャーさん。スコットランド在住の女性の作家で、名前をまったく知らずに手にした「9月」という小説を読んで、特に何も起こらずに話は淡々と進んでいくのですが、気がついたら夢中になって読んでいて読み終わったらなんだか心があったかくなっている、そんなことがありました。

この作品は短編集で、舞台はイギリス。ジーニーは恋人とスキーに来ましたが、じつは運動が苦手で恐怖のあまりリフトには乗らずに黙って下山してしまいます。レストランでコーヒーを飲んでいると、老紳士が話しかけてきます。ジーニーは老紳士に恋人に黙って下りてきたことを説明すると「実はむかし不思議なほどあなたに似た女性を知っていた」と話しはじめ・・・という「あなたに似たひと」。

アリスンは夫の会社の社長夫妻を夕食に家に招待する準備に大忙し、料理の仕込みもテーブルフラワーの予約も済んだ、と思っていたら、家の外に車が停まり、社長夫妻が家の玄関に向かってくるではありませんか。明日だと思っていたのに今日だったの?・・・という「忘れられない夜」。

ヴェロニカは夫を亡くして今は息子と娘の3人暮らし。家を分割して貸したらどうかという友人から提案があり、どういう人かと聞くと大学教授で執筆のため1年間限定で部屋をさがしているとのことですが・・・という「午後の紅茶」。

イーヴの娘のジェインはスコットランドに住んでいて現在妊娠中。ジェインの夫から早産かもしれないと電話があって、スコットランドに向かうことに・・・という「白い翼」。

ビルはクローダという女性と結婚することになったのですが、クローダは未亡人で、ふたりの娘がいます。4人で暮らし始めたある日、娘のペットの金魚が死んでしまって、ビルはお墓を作って埋めようと・・・という「日曜の朝」。

8歳のトビーは、ソーコムさんが亡くなったという知らせを聞きます。ソーコムさんはおじいさんの農場主ですがビルの親友。トビーの姉のヴィッキーは休暇で帰省中していました。ソーコムさんが亡くなったことは悲しいのですが、じつはソーコムさんの後を継ぐことになる孫のトムとヴィッキーはけんかして絶縁状態で・・・という「長かった一日」。

編集者のエリナは、恋人でホテルマンのトニーから週末の旅行に誘われます。エリナとトニーとの間には結婚の話題は出さないという協定があり、週末の旅行には行くのですが「ただしプロポーズとかは絶対になし」と念を押すのですが・・・という「週末」。

どの作品も、読んでいてとても心地よく、読み終わったあとにほんわかします。なんといいますか、文章が優しいんですね。まだ読んだことがないという方にオススメです。英国文化圏に滞在したことのある方には特に。


髙田郁 『あい 永遠に在り』

2025-03-09 | Weblog

所属している学校から卒業式のお知らせが来てまして、4年半(履修期間を延長したので)の学生生活、といっても通信制でしたのでキャンパスライフを謳歌したというのはほぼありません。あ、でもスクーリングでちょくちょく行ってはいましたが。でも通信制のスクーリングはほぼ土日。まあ働いてる人がメインですから仕方ないですけど。

以上、卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。

さて、髙田郁さん。一般的にかどうかはわかりませんが、歴史小説は史実や実在の人物をメインに描き、時代小説はたんにその時代を背景に描かれる、といった違いがあるようでして、髙田郁さんの今まで読んだ作品は時代小説。ですが、この作品は幕末から明治にかけての蘭方医、関寛斎の妻が主役となっています。

関寛斎に関しては資料も文献もたくさんあって過去には関寛斎が主人公の小説もたくさん出てますが、あとがきにありましたが妻の記録はほぼ無いとのこと。

時は幕末の天保。上総国山辺郡前之内村の農家の娘あいは、木綿を紡いで糸にするのがとても上手で、母親はこの糸を年子伯母さんに持っていくようにいいます。年子の夫は関俊輔と名乗り、私塾を開いていて、年子は機織り名人。あいは機織りを教わります。

年子と俊輔には豊太郎という養子がいるのですが、とても頭がいいと評判で、佐倉順天堂という医学校に進学することに。それを機に「寛斎」と改名します。17になったあいは縁談が持ち込まれるようになります。すると年子は「あいは寛斎の嫁にすると決めている」というではありませんか。しかし寛斎は医者になる修行中でいつ帰ってくるかわかりません。しかしこの当時の結婚というのは親同士が決めるというのが当たり前で、ましてや娘には拒否権などありません。私塾で勉学に励んでいた豊太郎を見て知ってはいましたが、佐倉から一時戻った寛斎と初めてまともに会話します。関係性でいえば、あいの父と俊輔が兄弟で、年子の妹の息子が寛斎、つまり血の繋がりはありませんが義理のいとこにあたります。

豊太郎改め寛斎は佐倉順天堂で修行して、家に戻って診療所を設立します。それから数年後、師匠の佐藤泰然の推薦で、銚子に医院を開業することになるのですが、そこで老舗の醤油屋の主人、濱口梧陵と出会うことに。

長崎でコレラが発生し、やがて江戸でも発生します。すぐに銚子でも起こると心配した梧陵は寛斎に江戸に行って治療法を学んで来てくれと資金を出します。そのおかげか銚子ではわずかな罹患者しか出ませんでした。それから、長崎でオランダ人医師のポンペからの指導を受けるための資金援助もしてくれます。

長崎から戻ってのち、江戸へ出かけます。その用とは、阿波藩主の国詰め侍医になってほしい、というもの。しかし寛斎には金や地位などには興味がなく、佐倉順天堂の後輩に銚子の医院を継いでもらって梧陵に支援してもらえば優秀な医師が増えるのと、両親と妻のあいと子(この時すでにふたり)のためにも安定した暮らしがしたい、とどこまでも利他の精神。

結局、両親は上総に残ることになりますが、寛斎ファミリーは阿波へ。しかしいきなりやって来た余所者の蘭方医がそれまでいた漢方医に受け入れられるはずもなく厳しい立場になったり、吉野川の洪水被害に遭ったり、さらに阿波に越してきてから産まれた赤子を亡くしたりと大変でしたが、時代は大政奉還、阿波藩は倒幕軍として京そして江戸へ行くことになり、寛斎も軍医として同行することに。新政府軍は奥州へと向かうのですが、そこで多くの負傷兵の治療に当たったことで評価され、しかも敵味方なく治療に当たったことで西郷隆盛からも評価されて東京で軍医として残ってくれと懇願されますが阿波に戻ります。そして藩と新政府からの遺留もすべて断ってそれまでの家禄を返上し、徳島市内に医院を開業。金持ちからは多くの治療費を、貧しいものからは治療費をもらわず、やがて「関大明神」と呼ばれることに。

寛斎とあいも還暦を過ぎ、寛斎は北海道の札幌農学校で勉強している息子のところへ行ってきて、返ってくるとあいに「北海道で暮らしたい」と・・・

小学校のとき、図書室に「千葉県をつくった人々」という本があって、千葉県にゆかりのある歴史上の人物、古くは平将門、千葉常胤、日蓮、里見義実、堀田正睦などなど、近代になってキッコーマンの人とか二十世紀梨の人とかと並んで関寛斎も載ってて、寛斎のエピソードはある程度知ってたのですが、晩年に北海道に移住して亡くなったのが北海道というのは覚えてませんでした。

個人的な話ですが、病院で働いてまして、こんな素晴らしい医者がいたのかと医療従事者の(はしくれ)として恥ずかしくなりました。

 


ジョン・アーヴィング 『第四の手』

2025-03-04 | 海外作家 ア

気がついたらもう3月ですね。自宅の梅の木に花がちらほら咲き始めました。そして暖かくなるとやって来るのが花粉症。じつは花粉症デビューは遅くて6年前か7年前でしたか。今のところは目だけ。鼻はそうでもありません。花粉症で思い出すのが、前に飼っていた猫が涙と鼻水がひどくて動物病院に連れて行ったのですが、アレルギーの薬を出してもらって飲ませたら多少は良くなったのですが、ペットも花粉症になるんですね。

以上、今の猫はなってません。

さて、アーヴィング。この作品は前後半あわせて500ページちょい、今まで読んだ作品は前半だけでそれくらいあったので、ずいぶん短いなと感じました。

24時間国際ニュース専門チャンネルの記者、パトリック・ウォーリングフォードは、「災害チャンネル」の取材でインドへ行き、そこのサーカス団を取材中にライオンに左手を噛みちぎられてしまいます。このシーンを「災害チャンネル」で流すと、パトリックはたちまち「災害マン」「ライオン男」として有名人になります。

このパトリック、とにかく女性にモテてモテてしょうがなくて、インド取材中も他の取材でもテレビ局の女性の同僚でも関係を持ちます。

さて、パトリックが左手を失ってから5年ほど過ぎて、ボストンの移植手術を行う医療チームのゼイジャック博士のもとに、ある女性から「私の夫はライオン男というパトリック・ウォーリングフォードに左手を譲りたい」という手紙をもらいます。移植の対象は死亡して時間が経ってない人なのですが、この手紙の差し出し主の夫はまだ生きています。

夫であるオットー・クラウセンは妻のクラウセン夫人との間に子どもはいませんが仲良し夫婦。オットーはグリーンベイ・パッカーズの大ファンで、スポーツバーでテレビ観戦をしていて、パッカーズが負けてビールをヤケ飲みしてしまい、このまま家に帰ると飲酒運転になってしまうのでタクシーを呼ぶことにして自分の車を移動させようと乗ると、車内に置いてあった銃を手にして何がどうなったのが自分の頭を撃ってしまいます。

パトリックのもとにゼイジャック博士から「左手の提供者がいます」と連絡が来たので、ボストンへ向かうと、未亡人が移植後の手に対する面会の権利を求めてきて、パトリックにも会いたいというのです。ご主人の左手に会うのは問題ないので了承したのですが、クラウセン夫人はいきなり服を脱ぎだして「赤ちゃんが欲しい」と・・・

アーヴィングの作品を「現代のおとぎ話」となにかの文庫のあとがきで例えていたのですが、まさにその通りで、「そんなアホな」ということがいくらでも起こります。でもその「常識」はいったん置いといて、まずは文中の世界観に入り込んでみると、これがたまらなく面白いものに見えてきます。

相変わらず、といいますか、すごく丁寧な説明や描写のシーンがあって、この部分はのちに重要な伏線的な何かと思いきや全く関係なかったりします。今作で笑ってしまったのがゼイジャック博士には息子がいて息子は別れた妻と住んでいるのですが、たまに息子と会って遊ぶのですが、落ちてる犬のフンをラクロスのスティックですくって放り投げる「犬のウンコラクロス」というゲームをする、というもの。本筋には特に関係ありません。