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晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

浅田次郎 『流人道中記』

2025-02-18 | 日本人作家 あ

去年の1年間で読んだ本が19冊。普段本を読まないという人からすれば多いのでしょうが、読書が趣味という人からすれば鼻で笑ってしまうような少なさであります。でも多かろうが少なかろうが好きであることには違いないのでしょうがありません。ちょっと前に自動車のテレビCMで、夫がサーフィンをやるため早起きして妻と子もいっしょに車に乗って海まで行って夫がサーフィンしているのを見ていて、帰りは夫と子が後部座席で寝て妻が運転する、というもので、これが「夫の趣味に家族を巻き込んであまつさえ帰りに運転までさせる男尊女卑的発想」として炎上したとのことで、これの擁護の意見としては「買い物につき合わせてあー疲れたといって後部座席で寝る妻と行きも帰りも運転する夫と何が違うのか」という、まあ他愛のないやりとりだったのですが、ここで「趣味とはなんぞや」と考えまして、他人(家族含む)に負担をかけてまでやることが趣味なのか、鑑定の番組で家じゅう骨董品だらけで生活費も注ぎ込んで奥さんはただただ迷惑、みたいなのがありますが、さすがにそこまでいくと依存症レベルですよね。

以上、何事もほどほどに。

さて、浅田次郎さん。いつ以来だろうと当ブログの過去投稿を調べますと、なんと3年前。

時は江戸の幕末の万延元年。幕府の評定所で役人が何かを決めかねています。罪状は、大身旗本、青山玄蕃の不義密通。はじめは切腹を命じましたが、なんと「痛えから、いやだ」と拒否。さてどうしようかと考えて、出た結論が遠島。しかし、外国船がウヨウヨいる中で伊豆は無理ということで、蝦夷の松前に預かりの処分。

話は変わって、江戸町奉行の与力見習い、石川乙次郎に、流罪人を江戸から蝦夷松前まで連れて行ってくれ、と命令が。その流罪人とは、大身旗本の青山玄蕃。この石川乙次郎、もとは御家人で、与力の石川家に婿入りして、今は見習いという身分。黒船来航から安政の大獄、桜田門外の変と幕府の弱体化、時代の大変革期ということで、ぶっちゃけ「どうでもいいやつ」をお供に付けて蝦夷まで行ってきてくれ、ということ。

さて、旅立ちの日にいきなりトラブルが。なんといっしょに行くはずだった老同心が、まさかの行きたくない宣言。

そもそも、この青山という旗本は、そもそも切腹をするのを拒否して蝦夷に流罪になった、その理由が不義密通、そのせいでお家取り潰しという破廉恥で武士の風上に置けないようなやつ。旅の途中で暴れたり逃げようとすれば斬ってよい、ということで、江戸を出て早々に斬ってしまおうと考えますが・・・

旅の途中、さまざまな「事件」に遭遇しますが、青山は困っている人を見捨てずに解決させていきます。どうやらただの破廉恥な旗本というわけではないようで、ではなぜ流罪を受け入れたのか。

後半のほうで、この物語のテーマと思える部分が出てきます。それは「礼」と「法」。乙次郎は旅の途中から青山のことを見直すとまではいきませんが、「無法者」ではあるけど「無礼者」ではない、と思いようになります。乙次郎はこの「礼」と「法」の違いに悩み、とうとう青山に尋ねると、孔子先生によれば、人にはもともと「礼」があったのに堕落して、代わりにできたのが「法」である、と。そもそも切腹だの島流しだのというのも、このくだらない「法」のおかげでわざわざ江戸から蝦夷まで一月近くも旅をしなければならないのです。では、青山の「礼」とは一体何か。

そういえば、浅田次郎さんの「◯◯だけど◯◯じゃない」っていうフレーズ、どこかで見たなと記憶を遡ってみたら、「天国までの百マイル」で「俺はろくでなしだけど人でなしじゃない」というのがあったのを思い出しました。

何も関係ないですが、やまだかつてないWinkの「さよならだけどさよならじゃない」って曲がありましたね。


帚木蓬生 『日御子』

2025-02-10 | 日本人作家 は

寒いです。冬だから当たり前だろということではありますが、どうも年を取ると寒さに対する耐性が弱くなってきたように感じます。というのも、個人的な話で恐縮ですが、今から15年ほど前までは体重が90キロ以上ありまして、はっきりいってブーデーでした。で、今は60キロくらい。体脂肪率も10%前後。つまり痩せています。年を取ったというよりも痩せたからより寒さに弱くなったのかもしれませんね。もうこの時期はお風呂に入ってあったかいごはんを食べてあったかい布団に入るのが何よりの幸せです。若い頃は海外で生活していたこともあって風呂は湯船なんていらないシャワーだけでじゅうぶんなどとイキってた自分が恥ずかしいです。

以上、暑さ寒さも彼岸まで。

さて、帚木蓬生さんです。初めて読んだ作品が「閉鎖病棟」でした、たぶん。どっちが本業かわかりませんが作家であり精神科医でもあるので、医療小説も書けば時代小説も書かれます。この作品は「ひみこ」と読みます。歴史の教科書で習ったのは「卑弥呼」ですけど、あと国名も「邪馬台国」ではなく、文中では「邪摩大国」になっています。

物語は、西暦1~3世紀の九州北部の伊都(いと)国、現在の福岡県の糸島のあたりですね。10歳になる針は祖父の灰と話をしています。この針と灰、そして針の父親の圧は「あずみ」の一族で、「あずみ」は代々「使譯(しえき)」という役で、今でいうと通訳と外国との折衝もする外交官のような役割で、言い伝えだと遠い昔に大陸から渡ってきたとされています。名前は代々(木火土金水)のつく漢字を繰り返す慣わしになっています。

「あずみ」は伊都国だけでなくその周囲の国にもいて、それぞれ阿住、阿曇、安住、安潜、安澄と変わっています。灰はもともと那国の王に仕えていて、那国の時代に遠く海の向こうの漢の国に正使として渡って、漢の皇帝から金印をもらうのですが、その印には那ではなく奴という字になっていたのです。奴は卑しい、下僕といった意味で、これは使譯にとっては痛恨のミスで、しかもそれが分かったのが帰国してから。那の国王は漢字が読めないのでバレなかったのです。

それからまもなく那国は伊都国との争いに敗れ、那国王は処刑されます。その処刑の前夜、灰は王に呼ばれ、漢からもらってきた金印を灰に預けて、どこかに埋めてほしいと頼むのです。処刑の場所は志賀島。王は処刑されて、亡骸は持ち帰られます。そのあとに灰は志賀島に渡り、金印を埋めるのです・・・と、これはあの例の「漢委奴国王印」の」エピソード。

やがて針は成長し、伊都国の使譯として漢に行くことに・・・

なんと伊都国そして使譯の話で文庫の上巻が終わります。あれ日御子は、邪摩大国は?下巻になってようやく登場。針の娘の江女が邪摩大国の「あずみ」に嫁いで、その孫の炎女が巫女として城で王に仕えていて、国王の娘が産まれる、というところから。日の出とともに産まれたので日の御子で日御子と名付けられます。王は長年の夢として漢へ朝貢することで、娘に漢の言葉を教えてくれと炎女に頼みます。

日御子は3歳で邪摩大国の女王になるのですが、大人が話していることも漢の言葉も覚えるのがはやく、韓の国に行っていた使節がいついつ返ってくるというと本当にその日に帰ってきたり、神通力があるんじゃないかしらと炎女はビックリ。

邪摩大国の周辺国では戦が起きて、日御子は周辺国に争うのをやめて連合国になりましょうと提案、戦は収まりますが、南にある求奈国は「やなこった」と邪摩大国に対して喧嘩上等・・・

炎女の甥の在が「あずみ」として大人になったときに、海の向こうの大陸では漢が滅んで魏・呉・蜀の三国時代になり、在は魏に朝貢し、魏の特使といっしょに帰国します。このときの記録が例の「魏志倭人伝」なんですね。

この作品では邪馬台国は九州説をとってますが、畿内説もありどっちが正解なのかはわかりません。あと「あずみ」一族は、のちに東へ向かって今の長野県あたりに落ち着いた、そこが安曇野(あずみの)になった、という伝承がありますが、安曇野にある穂高神社のお祭りが「御船祭り」といって山車が船の形をしていて、もともと海人族だったという古代のロマンを感じます。

「あずみ」には代々言い伝えられてる3つの掟があり、人を裏切らない、人を恨まず戦わない、良い習慣は才能を超える。素晴らしいですね。