非国民通信

ノーモア・コイズミ

産経新聞みたいな記事

2009-01-15 23:13:57 | ニュース

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 画家・平山郁夫さん(毎日新聞)

 翻って、今の日本はどうなのか。「自分の努力が足りない、怠けているのをさておいて、親が悪い、先生が悪い、社会が悪いと、責任を押しつけてばかりいる。己を顧みることを忘れているわけですね。これをどうしたらいいか。やはり物心がつくかつかないかぐらいの小さいときからの教え、しつけが非常に大切だと思うんですよ」

 さて、この紋切り型の俗流若者論&自己責任論を恥ずかしげもなく語っているのは誰でしょうか? タイトルを反転させると答えが出てきます。次の段落ぐらいまで読んでから、誰の発言か考えてみてください。個人的には、こうした人物に語る場を提供しているのが産経新聞ではなく毎日新聞であることに多少の意外性を感じないでもありません。まぁ組織内の考え方がバラバラで意思統一が取れていない、政党で言えば民主党みたいなのが毎日新聞の特徴だと思えば、こういうのもアリなんでしょうか。

 毎日新聞に特集されたこの人物、まず前半部で「戦争に負けた日本の惨めな姿、その時のことを考えると~まだまだ豊かじゃないか」と語り、アフガニスタン、イラク、中東やアフリカの国々を持ち出しては、「日本のようなレベルの暮らしができる人はそのうちの1割いない」「今の日本人は、自分の国の大変な苦境の時を忘れてしまった」と続けます。敗戦後やアフリカなどに比べれば今の日本は豊かなのだから、それに不満を持つな、甘えるなと説くわけです。ヒント、曽野綾子ではありません。

 戦争に負けて豊かになった日本。だが、失ったものは多いと嘆く。

 「人間性や精神性、倫理観……。高齢者や困った人につけ込む振り込め詐欺事件が多いですね。食べ物の偽装をして、ごまかしたりお金をもうけたり。毎日のように責任者が出てきて会見で『どうもすみませんでした』となる。みっともないというか、今の日本の姿を表していると思います。本当の人間的な豊かさを持っていたら、こんなことはないと思うんですよ」

 他国の場合は知りませんが、日本の場合、高齢者の活字離れが深刻です。新聞を読む時間は年齢層が上がるにつれて増加するものの、本を読む時間が急落する、そしてテレビを視聴する時間が急増するのが一般的な傾向です。その結果として、外の世界の動きから疎くなる、新聞に書かれていることだけ、テレビで報道されていることだけが、その人にとっての「真実」になってしまうケースもあるのかも知れませんね。まぁ昨今ではネットに書かれていることだけが「真実」になっている若年層も目立ちますので、特定年代だけの問題ではないかも知れませんが。

 自分の知っているものは存在するが、自分の知らないものは存在しない、修正主義者はこういう思考ルーチンを持っています。そして修正主義者が修正するのは、必ずしも歴史だけとは限りません。往々にして目の前で動き続けている「現在」をも修正するものです。ちなみにここで取り上げられている発言者は画家の平山郁夫ですが、どうなんでしょうね、目の前にあるものを「ありのまま」に写し取るだけでは画家としては二流なのかも知れませんが、しかるに平山の脳内に映る風景は随分と凡庸なものに見えます。一流の芸術なら、せめてもう少し独創的な認識を見せて欲しいところですね。

 言うまでもなく、殺人件数が戦後最低を記録するなど凶悪犯罪は激減、日本は世界一の平和な国に「なりました」(昔からそうだったわけではなく、時代とともに相変化してきたわけです)。ところが平山にしてみれば「人間性や精神性、倫理観」が失われているそうです。ふむ、犯罪の減少は考慮の対象にならないそうです。では、何が基準になっているのでしょうか? 振り込め詐欺? いやいや、昔は振り込め詐欺の概念がなかっただけで、単なる詐欺であればいくらでも発生していました。振り込め詐欺には人間性がないが、単なる詐欺には人間性があるとでも平山は考えているのでしょうか? たぶん平山にとって、実際には多発していた普通の詐欺は「なかったこと」になっているのでしょうね。歴史修正主義者は不都合な史実から目を背けるために、歴史資料を捏造呼ばわりしますが、平山郁夫だったら警察発表の統計を捏造扱いするのかもしれません。

 ちなみに私の勤務先は都心からは微妙に外れたところにあります。なので、オフィスビルの裏に一歩踏み込むと昭和の香り漂う人気のない個人商店が建ち並んでいます。商売が成り立っているのか疑わしい、一向に客の姿を見かけない個人商店では「いつ作られたか不明」「もちろん消費期限など存在しない」「材料や添加物の明細も記されていない」「当然、原材料の生産地も不明」、そんな食材が減ることなく陳列されています。敗戦直後は、こういう店も多かったのでしょうか。

 そしてこういう店ばっかりなら、食品偽装なんて起りませんよね? 消費期限が存在しないのに、どうして消費期限の偽装ができるのでしょうか? 産地表示がないのに、どうしてそれを偽ることができるのでしょうか? 食品偽装が目立つのは、取り締まる仕組みが出来たからであって、それが現代になって発生したからではないわけです。平山郁夫が語っているのは、「昔はネットイジメなんてなかった!」というレベルですよね。そりゃそうです、昔はネットなんてなかったのですから。

 そして平山は「本当の人間的な豊かさ」と語るわけですが、そんなものはいつの時代にも存在しなかっただけではなく、今後も存在しないわけです。それはただ、修正主義者が夢見るノスタルジーの中に存在するだけです。現実に存在した過去は、責任者が会見で『どうもすみませんでした』と頭を下げる代わりに、こっそり夜逃げした挙句、別の地域で再起しているような世界です。あまり平山郁夫に興味はなかったのですが、どうなんでしょう、彼は敗戦直後の風景でも描いたことがあるのでしょうか? 本物の敗戦後の風景写真と見比べてみたら面白いかも知れませんね。

 

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コメント (9)
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