奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由 までをも
譲り渡すことはなかった。その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によっ て、肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
(リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて)
弱者に同情する「善意」は見せても、そのために身銭を切るのは御免だと言ったところでしょうかね。善人面はするけれども、行動は伴わないどころか行動することに否定的ですらある等々。
>風さん
ある意味、カルトみたいなものなのだと思います。気づかないと言うよりは、主体的に騙され続ける、つまりは信じ続けているみたいなところがあるような気がしますね。
「自らが奴隷であることに気付いてすらいない」ってのは真でしょうが、気付いていても、それを認めようとしない者も多いのではないかと感じます。
自分自身が奴隷と気ずかず
自殺対策は意味ないとは言わないが、
努力されて居る方々が居るが、
しかし奴隷が奴隷と気ずかず
奴隷を作るまたわ奴隷のように蔑み
パワハラモラハラを
共食いの植物のように
大手労組のメーデー
奴隷メーデー
サウンドデモも?でも?
でもさ?
単なるお祭り騒ぎ
なんにもなりわしない
真の貧乏人は
サウンドデモなんかやってらんない
なんて
林芙美子女子が生きていたら言うだろう。
おかしなコメント失礼いたしました。