先日は外国人「研修生」がぶち切れて雇用主を撲殺するなんて事件がありました。率直に言って外国人「研修生」を働かせている事業者は九分九厘が悪質と見なして差し支えないような気がするのですけれど、どうなんでしょうか。NHKの報道によると、福井労働局が県内54の事業所を調べた結果、全ての事業所で労働基準法などの違反が見つかったそうです。とはいえ日本人が働くところでも、うどん店を対象とした香川労働局による調査では40店中36店で労働基準法や労働安全衛生法違反が見つかったとのこと。そんなネタ色を前面に出した調査は別にしても、厚労省の調査によると労働基準法及び労働安全衛生法に違反している企業は約7割程度とされています。まさに日本は雇用の無法地帯ですね。
日本は雇用(解雇)規制が厳しいなんて、経済誌を読むばかりで外へ出たことがないんじゃないかとしか思えない妄言を繰り返す人もいます。その筋の主張をよくよく聞いてみると、どうにも「合理的な理由があれば解雇できる」とされる国を解雇自由と呼び、「合理的な理由なく解雇できない」とされる日本を解雇禁止の国だと言い募っているようで、まぁ相手にしても仕方ない気がしますけれど、そもそも制度上の問題以前に日本では労働に関する法律が全く以て守られていない無法の世界なのですよね。殺人が禁止されている国で殺人が発生しないかと言えば決してそうはならないように、不当な解雇を制限する規定があるから解雇される人がいないかと言えば、それは全く違うわけです。
雇用主が責任を持って解雇する代わりに、自主退職に追い込むパターンも非常に多いのですが、「殺人が禁止されているから自殺に見せかけた他殺が多発するのだ!」と主張しては、殺人が許される基準作りを進めよ、殺人規制を緩和せよと説く人がいたら、まぁ頭がおかしいと思う人が多いでしょうか。でも、経済誌や旧態依然たる改革論者の思考パターンはそんなもの、解雇が禁止されているから自主退職への追い込みが起こるのだと説くわけです。自殺に見せかけた他殺がなくなっても、それが公然たる殺人に変わるだけで余計にタチが悪いということを理解したがらない人もいるものです。金融/財政政策では十数年来の方向性をようやく転換して成果を上げつつある安倍内閣も、成長戦略に関しては舵取り役の人選に十数年来の失敗を直視できない従来型の改革論者が目立つところですが……
何度か書いてきたことですけれど、「なかったこと」にされようとしている日本の過去の一つに、「リストラ」という言葉が流行りだした時代の記憶があります。リストラという言葉が専ら首切りの意味合いで使われ出したとき、真っ先に標的とされたのは中高年正社員でした。そしてリストラの嵐が過ぎ去った後に残されたのは、急増する非正規雇用だったわけです。単なる事業の再編、再構築が目的なら雇用側の裁量権が強く畑違いの異動が当たり前で人員配置の流動性が極めて高い日本で従業員を解雇する必要はありません。しかし人件費の削減、つまりは日本で働く人を貧しくすることが目的となると話は違います。給与の高い層を切り捨てて、安価な非正規への置き換えが進めるのが改革になってしまうのです。
端的に言って、「正社員が守られなかった」分だけ非正規雇用が増えるわけです。正社員が(雇用だけでも)守られていれば、異動はあっても人の入れ替え即ち非正規への置き換えは必然性を失いますから。しかるに正社員の雇用が守られず、会社の外に放り出された分だけ「代わりに」非正規雇用で補充される、そうして非正規雇用の飛躍的な拡大が続いてきたと言えます。例によって旧態依然たる改革論者は正社員の利益が非正規の不利益につながるかのように見せかけたがるところ、そこから非正規雇用の立場を慮るフリをして正社員の「既得権」とやらを批判するのが常です。しかし、日本の正社員が今以上に法制度上の保護を失えばどうなるのやら。トウの立った元・若者の正社員を解雇して新たに非正規雇用で置き換える、こういう動きが進んだところで非正規雇用で働く人々の地位は改善されるのでしょうか。確実なのは、単に非正規雇用者の割合が増えると言うことだけです。これを「仲間がふえるよ!」「やったねたえちゃん!」と喜べる人はもいるのかも知れませんが、その結果に付き合わされるのは御免ですね。