非国民通信

ノーモア・コイズミ

J'accuse…!

2015-01-19 23:14:11 | 社会

黙とう中、一部議員が仏国歌…徐々に大合唱へ(読売新聞)

 【パリ=柳沢亨之】フランス連続銃撃テロ事件後初めての開催となった13日の仏国民議会の冒頭、犠牲者を追悼する黙とうの最中に、議員らの一部が国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌い始め、全員が斉唱する一幕があった。

 

 つまりフランスの国会議員は全員で「武器を取れ、市民たちよ!」と唱和したわけです。起立せず、国歌を歌わないことによってこそが良心が示される場面は多々あるもの、今回もその一つと言えますが、フランスの政治家は理性を放棄する道を選んだようです。

 

仏芸人、「テロ擁護」発言で裁判へ(AFP)

【1月15日 AFP】フランスの男性コメディアンで、その言動がたびたび物議を醸してきたデュードネ(Dieudonne)氏が14日、パリ(Paris)で先週に起きた一連の襲撃事件の実行犯の1人への共感を示唆した発言をめぐり身柄を拘束され、裁判にかけられる見通しとなった。司法筋が明らかにした。

(中略)

 問題の発言は、デュードネ氏が交流サイト(SNS)のフェイスブック(Facebook)に投稿した「今夜はシャルリー・クリバリのような気分だ」というもの。シャルリー・エブド紙襲撃事件の犠牲者を追悼するために世界中に広まった「私はシャルリー」とのスローガンと、8~9日にかけて女性警官1人とユダヤ人4人を射殺したアメディ・クリバリ(Amedy Coulibaly)容疑者の名前を組み合わせている。

 

 そして表現の自由を盾にイスラム教徒への揶揄が許されるどころか英雄視される一方、テロ実行犯への共感を示した――単に嫌みを言っているだけにしか見えないのですが――とされるコメディアンが身柄を拘束されたことが伝えられています。日本に置き換えるならば、在日韓国人を笑いものにするような風刺画は許されるが政府を批判したら逮捕された、みたいなものでしょうか。なにやら一気に日本よりも右に行ってしまったように感じられるところ、このような事態こそフランスの危機であると私には思われます。

 なおシャルリー・エブド氏の最新号は売れ行き絶好調だそうで、表紙には「私はシャルリー」と書かれた紙を手に持つムハンマドの似顔絵と、その上に書き文字で「Tout est pardonné」と掲げられています。これを伝える報道では「全ては許される」みたいに訳されていたわけですが、そうではないと語る人もいました。

 

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題 - 関口涼子 / 翻訳家、作家(SYNODOS)

読売新聞の記事は、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳し、何でもありだ、という、言論の自由(というか「勝手」)を示したものだとしているが、これはまったく逆の意味だ。

「すべてが許される」であれば、フランス語ではTout est permis になるだろう。「許可」を意味するPermissionから来ているPermisと異なり、Pardonné は宗教の罪の「赦し」に由来する、もっと重い言葉だ。そして、permisであれば、現在から未来に及ぶ行為を許可することを指すが、pardonnéは、過去に為された過ちを赦すことを意味する。「Tout est pardonné」は、直訳すれば「すべてを赦した」になる。

しかしこれは同時に、口語の慣用句であり、日本語で一番近い意味合いを探せば、たとえば、放蕩息子の帰還で親が言うだろう言葉、「そのことについてはもう咎めないよ」、または、あるカップルが、深刻な関係の危機に陥り、長い間の不仲の後、最後に「いろいろあったけどもう忘れよう」という表現になるだろう。

これは、ただの喧嘩の後の仲直りの言葉ではない。長い間の不和があり、それは実際には忘れられることも、許されることも出来ないかもしれない。割れた壺は戻らないかもしれない。それでも、この件については、終わったこととしようではないか、そうして、お互いに辛いけれども、新しい関係に移ろうという、「和解」「水に流す」というきれいごとの表現では表しきれない、深いニュアンスがこの言葉には含まれている。

 

 しかしまぁ、上記の翻訳者の主張の方が訳として正しいのなら、なおさらシャルリー・エブド誌の、ひいてはそれを挙って買い漁るフランス社会の奢りを端的に表わすものであるようにも思います。いったい何の権利を持って「許す(赦した)」とムハンマドに「言わせる」のか、そこは問われるべきものでしょう。日本でも自分の主張を子供に代弁させる、子供に言わせることで自らの正当性を担保しようとする人がいますけれど、シャルリー・エブド誌のそれはより直截です。国内のムスリムではなく、それを笑いのネタにしてきた人々が「ムハンマドもこう言っている」と装うことに疑問が抱かれないとしたら、それは理性と良心の危機です。

 

世界が欲する待望のインタビュー!ムハンマド(マホメット)の霊言(幸福の科学)

このたび、大川隆法総裁は、新たな霊言を行いました。
この霊言は書籍『ムハンマドよ、パリは燃えているか。―表現の自由VS.イスラム的信仰―』と題され、幸福の科学出版より発刊されました。ぜひご一読ください。

(中略)

フランスの週刊紙「シャルリー・エブド」が掲載した、ムハンマドの風刺画が、今、世界的に大きく報道されています。これまで同紙が掲載してきた風刺画が原因で起きたとされるフランス・パリのテロ事件。天上界にいるムハンマド本人は今回の事件をどう見ているのでしょうか。霊言という形でインタビューを行い、世界中の人々が気になる「ムハンマド本人の考え」を訊きました。

 

 ……大川隆法の仕事の速さには常に感心させられますが、これで幸福の科学を標的にしたテロが発生したらどうなるのか、それは不謹慎ながら興味深く思ってしまいます。なにはともあれ大川隆法もまたムハンマドの勝手な代弁者を演じているわけですけれど、それはシャルリー・エブドと大差ありません。しかし、それがキワモノ扱いされるのか、あるいは表舞台で脚光を浴びるのかは社会の健全性を問う上では重要な指標になることでしょう。

 悪趣味もしくは不道徳であったり非人道的であったり、そういう出版物が存在してはならないとまでは言いません。これが(例えばポルノのように)片隅でひっそりと売られているだけ、それを買うのが幾分かでも恥ずかしいことと思われている内は言論の自由です。しかし昨今の日本におけるヘイトスピーチ本のように売り場の最も目立つところに堂々と平積みされている、出版社も書店も積極的に売り込みをかけているような状態に至れば、それは言論の自由を超えた問題があるのではないでしょうか。

 シャルリー・エブド誌も同様、異文化への敬意を欠いた人々が読むダメな雑誌と白眼視されているようであれば、法律や当然ながら暴力によって言論の自由を脅かされるべきものではないと言えます。しかし殉教者として英雄視され国民の幅広い共感を呼ぶような代物としてみると、それはどうなんだろうと私は大いに首を傾げるところです。フランス社会はテロには屈していないようですが、その良心は熱狂の前に押し流されてしまっているように見えます。

 

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4 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2015-01-19 23:44:01
この件についてはなかなか自分の考え方がまとまらなかった面があります。「熱狂に押し流されていく自分」を感じることも正直ありました。

しかし、どうにか自分なりに違和感のようなものを言葉にするとすると、「相手の気持ちや立場に配慮し、相手にとってされて嫌なことを自ら気を付けてしないようにすることは自由を放棄したことにはならない」ということですね。「表現の自由」を旗印にわざわざ相手の嫌がるような表現を選ぶ必要はないわけです。
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Unknown (非国民通信管理人)
2015-01-21 22:21:59
>ノエルザブレイヴさん

 とかく自由をはき違えている人は日本でも多いですからね。ヘイトスピーチの自由などあり得ませんし、反対に似非科学への批判を「自由な言論を萎縮させることになる」云々と宣って黙らせようとする新聞社もあったりする等々、まぁ日本側も我が身を省みるべき機会でもあるでしょう。
返信する
私の胸に去来した疑問を代弁してくださり、とても嬉しく思います (マージェリー改め、tomo1979)
2015-01-21 22:32:11
今晩は、お久しぶりです。以前名乗っておりましたHN「マージェリー」から、この度"tomo1979"に改名いたしました。

フランスで起きた襲撃テロの経緯を見ていると、風刺画を載せた出版社の側に全く咎はない、ということは言えないですよね。
(以前起きた福島原発事故関連での風刺画の問題でも、あれは思い起こすだけでも胸が悪いとしか言いようがなくて、二度と見たくありません。
他者の尊厳を著しく傷つけるもので、日本国外でも、その風刺画を嫌悪する、また怒りを覚える心ある方は、きっと少なくないはずだと思います)

以前若者向けジェンダー教育を行っているNPOの方から、
虐待・DVで被害を受け続けてきた女性が追い詰められ、加害者を殺して刑務所に行くことになってしまうという悲しい事例は決して少なくないというお話を聞いたことがあるのですが、
今回の事件の経緯も、それに近いものがあるように思えてなりません。

>しかし、それがキワモノ扱いされるのか、あるいは表舞台で脚光を浴びるのかは社会の健全性を問う上では重要な指標になることでしょう。

個人的に、2ちゃんねるとその管理人にまつわる事柄が堂々とマスメディアや、その他色々な媒体で脚光を浴びるように取り上げられていたとき、同じことを思いました…

そして、言論の自由についての管理人様のご考察は、とても正鵠を射ていると思います。
本来脚光を浴びるべきでないものが堂々と日のあたるところに出てきてしまっている、というのは、世の中の乱れだと思います。

あと1/19付けの神戸新聞朝刊の国際総合面に、フランス日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュに掲載された最新の世論調査によると、フランス国民の4割超が、新聞等へのムハンマドの風刺画掲載に反対しているという記事があり、
きっとあちらでも、理性的な意見を持つ人も多いに違いないと思いました。
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Unknown (非国民通信管理人)
2015-01-22 23:50:44
>tomo1979さん

 シャルリー・エブド誌や風刺画家に関しても「テロの標的にされるべきものではない」ですが、だからといって殉教者よろしく肯定されるべきものでもないと思うんですよね。暴力によって葬られるのではなく、理性によって白眼視されるべきであろう、と。

 ちなみにフランスの世論調査結果は興味深いですね。こちらに伝わってくるのはどうにも表現の自由に偏った無神経な声も多いですけれど、フランス内部から自制の動きが出てきて欲しいところです。
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