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非国民通信

ノーモア・コイズミ

お金を使おう

2009-10-23 22:57:22 | 編集雑記・小ネタ

 ここの後半部分でもちらっと触れたことですが、赤字国債発行への批判が強まれば公約の見送りもあり得ると鳩山首相が語っていました。マニフェストも「民意」には勝てないと言うことなんでしょうかね。民主党の公約の中には実現させて欲しくないものも少なからず含まれているだけに、何が何でも公約実現という姿勢では困る、状況に応じて修正するのも許されてしかるべきですが、政策の必要性そのものよりも世論が重視されるようでは、また雲行きも怪しくなってくるような気がします。

 さて民主党政権の公約を実現するためには財源が必要になる、取りあえず不足分は赤字国債発行で補うという流れであり、これに少なからぬ批判があるようです。そこで世論に敏感なのか鳩山首相は公約の実現よりも国債発行額の抑制を選ぶ可能性を示唆しました。この辺はまだ具体的な数値があるわけでもないので推測するほかありませんが、国民が鳩山内閣に望んでいるのはどちらなのでしょう、公約の実現なのか、それとも財政再建なのか、どちらを優先すべきと国民は考えているのでしょうか? 鳩山が世論を見誤っているのでないのなら、たぶん後者ではないかと……

 こっちで触れたことですが、鳩山内閣そのものへの支持が高い割には、個々の政策への支持は伸びが悪いわけです。たしかに、国民の多くが民主党政権に望んでいるのは選挙公約の実現ではなく、もっと別のものと見た方が良さそうです。そして民主党と同様に有権者の熱い支持を集めた諸候補の傾向を鑑みるなら――財政再建を掲げる自治体首長の人気ぶりを考慮するなら――やはり期待されているのは財政再建の方なのかも知れません。好況期には減税で赤字を増やし、不況期には財政再建を望む、なんとも無茶な話です。

 政府の財政と個人の「家計」を取り違えているからこういうことになるのでしょうか。不況だからこそ財布の紐を締めるみたいな発想が根底にありそうです。この辺の考え方を変えるにはどうしたらいいのでしょう。例えば、こんな風に考えてみるとか――

・視点を変える/国ではなく国民の視点で国債を考えよう

 ほら、国債とはすなわち「国の借金」みたいな言い方をされるわけです。でもこれは「国家」を主体とした考えですよね。国「が」借りているという見方です。そうではなく国民の側から国債を位置づけてみましょう、すなわち国民が国に「融資している」と。借金が増えるとばかり思えば否定的な面しか見えてきませんが、どんどん融資してやってると思えば景気のいい話……かな?

・お金は使ってもなくなりません

 嘘だと思うなら、何か商品を買ってみてください。お金はなくなりましたか? お金はなくなっていないはずです、ただ他の人の手に渡っただけで。政府がお金を使うのだって同じこと、別にお金が消えて無くなるわけではないのです。人から人の手に渡るだけ、金は天下の回りものですから。懐に貯めておこうが何かのために使おうが、別にお金はなくなったりしません。

・能力を発揮させないことこそムダである

 才能ある人間を閑職に追いやっているとしたら、それはムダですよね? まぁムダにも一定の存在価値はあると思うのですが、ともかく能力を発揮できない状態にしてしまうのはムダです。そこで「カネ」の能力を考えてください。カネは貯め込まれている限りはただの紙切れであり、金属片であり、通帳上のインクのシミに過ぎません。カネが有している「能力」を発揮させないことこそ最大のムダなのです。そうではなく、カネという強力なツールを積極的に活用することこそ、ムダを省くというモノではないでしょうか。

 ……まぁ別に、カネは使えば使うほど良い、国債でも何でもジャンジャン発行すれば良いと主張するわけではありませんけれど、「お金を動かす」ことにもう少し肯定的になっても良いのではないかと思いますね。沈滞した社会を目指すのなら話は別ですが。

 

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コメント (8)
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