非国民通信

ノーモア・コイズミ

もう正月休みも終わりです……

2008-01-04 22:51:03 | 編集雑記・小ネタ

 さて、年末年始は9連休だったのですが、内7日が既に経過、残すところは土日の2日間だけとなって参りました。早くも憂鬱です。9日もあれば色々とできそうなものですが、振り返ってみると何だかなぁ、と。とりあえず電車の中では読めないような(物理的に)重い本を読もうとしたものの、どうも1冊だけで終わりそう、年を重ねるにつれ読書量も減ってゆきます。

 積み上げた本もさることながら、積み上げたゲームも消化しないといけません。NDSやWiiの流行もあって底の浅いゲームがやけに持ち上げられる昨今ですが、FLASHで簡単に再現できるようなゲームに今さら興味もないわけで、俄然やりたいのは大人が本気にならざるを得ないハードコアな代物、となるとゲームは1日30分というわけにも行かず、まとまった時間のとれる時がチャンスです。年末年始の連休を利用して積みゲーを消化するぞと意気込んだものの、こちらも今一つ……

 まぁ中には1週間かそこら引き籠もったところで手に負えないゲームもあって、そんな超大作には失業でもしない限り取り組めないわけですが、もうちょっとコンパクトなゲームも色々とあって、ならばこちらを……と思うものの、実はどれもクリアしていなかったりもします。クリアできないのではなく、クリアの一歩手前で止めちゃうケースが多いのですね、これが。

 何しろ、心にゆとりがないですから。僅かなりとも次に繋がることをしていないと、時間の無駄と感じてしまう、まぁ実際には時間を無駄にしてばかりなのですが、気の焦りがあるわけです。で、ゲームの途中までは、少なくともゲームの中では次に繋がるわけです。物語を進める、キャラクターを育てる、情報を集める、こうしたことがゲームの中では次に繋がる、その先を見るための行為です。しかるにゲームをクリアしてしまうと、そうした全てが終ってしまいます。クリアしてしまえばもう次はないわけで、決してその先には繋がらない、なんだか虚しい、そう思うとクリアの一歩手前でゲームを止めてしまう、そんなケースばっかりです。

 もちろん、終わりのないゲームもありますね。オンラインゲームは概ねそうですが、残念ながらこちらはあまりに時間が掛かるので無理、では他には? 私が長年遊んでいるのは、Football Managerというゲーム、これはサッカーシミュレーションで、優勝しようが降格しようが監督の首が飛ぼうがゲームは終わりません。時には鍛え上げたクラブのエースがビッグクラブに引き抜かれたり、あるいは経営破綻で身売りの憂き目にあったりもしますが、いつまでも遊ぶことができます。

 で、このシリーズは毎年、新しいバージョンが発売されていまして、一応は日本語版も発売されるのです。もちろん2008年度版も買ったのですが、この2008年度版、日本語化の際に発売元のセガが悪意ある改変を加えているようで、前年度以前のバージョンでは可能だったことがいくつか不可能になっていたりしたわけです。そんなわけで私のゲームライフにまたもや暗雲が。

 元々このFootball Managerというゲーム、日本語版以外は必ずエディターが付属していまして、ユーザーが内部のデータを弄れるようになっているのですが、日本語版だけはエディターが外された形で売られています。わざわざ機能を制限する理由は不明ですが、実はこの辺に日本と欧米のゲーム間の違いがあるのではないかという気もするのです。

 Football Managerについてもう少し説明いたしますと、開発元提供のエディタ以外にもユーザーが独自に開発した外部ツールやデータ集などが豊富にありまして、平たく言えばゲームを改造できる作りになっています。この辺の外部ツールやデータについては制作サイドも公認というよりも推奨しているのか、開発元のサイトからリンクが張られていたりもしまして、この辺を導入することで遊び方の幅も無限に拡がる仕様となっているのです。

 ところが今回の2008日本語版ですが、開発元が提供するパッチ(修正プログラム)を適用すると起動できないように仕様が変更されており、このためか豊富に用意された外部ツールやユーザー制作データの導入にも大いに支障を来しています。そんなわけで、ゲームを弄れない、販売元が提供した形でしか遊べない、そんな有様なのです。

 Football Managerに限らず欧米のPCゲームの場合ですと、ユーザーがゲームに手を加える形での拡張(MOD)がそれなりに盛んでして、それが遊び方の幅を広げている側面もあります。そしてユーザーによるゲームの拡張を支援することで、ユーザーが単にゲームを消費するだけではなく自ら遊び方を創造することにも繋がるわけです。ゲームといえど遊び道具なのですから、ユーザーに主導権を渡す発想は自然でしょう?

 ところが日本では、こうした改造に繋がる外部データの導入やユーザー独自の拡張を支援しないどころか、諸々のプロテクトによって阻もうとするケースが大半です。ですから、販売元が提供した形でしか遊べないわけですね。ユーザーの好きなように遊ばせようというよりも、制作者サイドの思惑通りに遊ばせようとする、日本のゲーム界にはそういう発想があると言ったら、それは考えすぎでしょうか?

 

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コメント (2)
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