スタンリー・キューブリック監督の作品の一つに「フルメタル・ジャケット」という映画があります。これはもう超有名作ですから今さら私が語ることは多くないとも思いますが、このところ「文芸欄」のネタが枯渇気味なので映画の感想でも、と。
さて、この映画は新兵訓練編とヴェトナム編の前後半に分けることが出来るわけですが、圧倒的に面白いのが前半です。人によって評価のポイントは別れるでしょうけれど、概ね世評でも前半部への評価が高い、後半部もそれだけ見れば名作の部類だと思いますが前半部のインパクトの前に霞んでしまうフシもあるような気がします。で、その前半部の主人公はなんと言っても彼ですね、
通称「微笑みデブ」ことレナード君です。スクリーンショットは、彼が映画の標題である「Full Metal Jacket」と呟くシーンです。ネタ的にはどうしてもハートマン軍曹の方が人気なのでしょうけれど、この映画の世界観を構築していく上で最も異彩を放っているのは、この微笑みデブです。なぜなら、彼一人の存在によって「美談」がぶちこわされているから。
ハートマン軍曹のエキセントリックな罵詈雑言がもたらす絶妙な装飾のゆえに平凡さからは免れているわけですが、この映画の前半部は要するに「厳しいが愛情ある教官」と「苦しい訓練を乗り越えて成長する若者たち」の物語です。日本だったら軍隊だけではなくスポーツ界、主として体育会系の部活動の世界で普通に見られる光景です。ハートマン軍曹は口を極めて教え子たちを罵るけれども、それはあくまで教え子が立派に育って欲しいがため、そして初めは反発していた新入りたちも次第に訓練の意義を理解し、結束を強めていく――キューブリックよりも先に、日本のスポコン漫画家が書き尽くしていたジャンルです。微笑みデブさえいなければ!
こちらは連帯責任で腕立て伏せをするシーンですが、微笑みデブが見事に世界を破壊しています。その姿は神々しさすら漂います。自由の太神とでも呼びたいくらいです。
……で、結局のところ微笑みデブは隊内でリンチにあった挙句、教官であるハートマン軍曹を射殺し、自殺するわけです。冒頭のSSはその直前のシーンですが、要は訓練に付いていけず狂ってしまった――そう見るのが「普通の」解釈ですね。
でもまぁ、考えようによっては逆だと思うわけです。狂ってしまったのは他の人間全てであり、微笑みデブ一人だけが正気を保っていた、と。だってほら、最初から皆がこうだったのではなく、訓練を通して新兵たちは変化した、その中で最も「変わらなかった」のが微笑みデブ/レナードなのではないでしょうか。訓練を通じて新兵たちが海兵隊的なるものに染まっていく一方で、一人だけ洗脳/矯正されなかったのが微笑みデブだとしたら?
理由なく罵倒されることにも慣れ、生命や人間の尊厳に対する感覚もすっかり麻痺してしまう、それが環境に適応した結果であるとしても、これを正気と呼ぶには躊躇いがあります。逆に、こうした感覚を身につけることが出来なかった微笑みデブこそ、軍隊の外の間隔を保ち続けたたった一人の生き残りである、そう解釈することも出来るのではないでしょうか。
凶弾は卒業式の夜に放たれます。訓練を終え、今まで罵倒するばかりだったハートマン軍曹が初めて新兵たちを一人前と認めた、その夜です。凡百のフィクションなら教え子たちが「厳しくも愛情をもって」自分たちを鍛え上げてくれた先生に感謝しながら羽ばたいていく場面へと移るわけですが、そうした「美談化」を打ち砕いたのが微笑みデブ、最後まで戦い抜いたのが微笑みデブなのです。