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非国民通信

ノーモア・コイズミ

良いと信じられてきたことが実は駄目なことなんじゃないのか

2017-08-20 23:05:41 | 雇用・経済

 日本経済が衰退していった理由は色々と言われています。説の多くは全くの見当違いなものですし、一見すると妥当に見えても実はミスリーディングになっているものもあります。結局のところ要因は複数あるにもかかわらず、特定の要因だけを衰退の理由に挙げることで他の要因を切り捨てようとする、そうした主張も少なくないわけです。例えるなら誰か一人を「犯人」として検挙し幕引きを計り、共犯者を逃してしまうようなものですね。

 まぁ日本経済が駄目になった理由は少なからず頭に浮かびますが、最大公約数的なことを言えば「基準がおかしい」のかも知れません。何をすべきかすべきでないか、何を残して何を切り捨てるのか、何に投資して何を削減するのか――そうしたものを判断する上での基準が根本的に間違っていたからこそ、世界経済の成長とは反対の方向に進んできたのではないか、そう思えてならないわけです。

 欧米と違って訴訟リスクも低ければ組合の抵抗も皆無の日本では人員削減もスンナリと進められてしまいますが、恐ろしいのはリストラの結果として経営再建に繋がったと言えるケースがあまりにも少ないことです。日本企業はまるで自分の手足を食べる狂った化け物のごとし、リストラの結果は組織が合理化されるどころか弱体化するばかりだったりします。日本の会社が「不要」と判断した社員こそが本当に必要な人材であり、日本の会社が「必要」と判断した社員は実は組織の癌だったりはしないでしょうか。

 つまり、この20年あまりで、日本で「良い」と考えられてきたことが実はダメなことで、逆に「悪い」と言われてきたことこそ、進むべき道で会ったのではないか、みたいな気すらするのです。例えば、「言われたことしかやらないのはダメ」辺りはどうでしょう。大半の日本企業の中では「言われたことしかやらないのはダメ」だと固く信じられているところですが、この考え方こそ致命的な間違いではないかな、と。

 「言われたことしかやらないのはダメ」なのだと、そう盲信されている組織の中では必然的に「(言われていないことを)自分で考えて行動する」ことが求められます。だから会社で評価される意識の高い人ほど、他人の言うことを聞かない、素直に言われたとおりのことをやらない、余計なことを勝手にやって組織を混乱させて仕事を増やすことが多かったり等々。ちなみに私の勤務先では、言われていないことを自発的に追加して行動することを「付加価値を付ける」と呼んでいます。

 部下の大半が「言われたことしかやらない」組織であれば、必然的に上司は明確な指示を出すことが求められますし、結果が悪ければ責任も明確(上司の支持が悪い!)になります。逆に「自分で考えて行動しなさい」との意識で染め上げられた組織の場合、上司は敢えて曖昧な指示を出し、部下は上意を忖度することが仕事になるわけです。この結果が悪ければ――適切に忖度できなかった部下に問題がある、と。前者と後者、勝てる組織はどっちなんでしょうかね?

 「言われたことだけではダメ」信仰は、商品開発なんかにも影響しているのかな、と思います。換言すれば、日本の商品開発現場は「(消費者から)求められている機能だけではダメ」と信じ込んでいるのではないでしょうか。消費者が必要としている機能だけをシンプルに搭載した製品を市場に出してくるのは専ら海外のメーカーで、逆に日本のメーカーは「誰が欲しがっているのか?」と首をかしげる謎機能を山盛りにした製品を連発しているのが現状ですから。日本企業は人件費削減に熱心な反面、「無駄な機能」を削減してコストを抑えようとする発想を持ってはいないようです。そういう思想なのだ、としか言えません。

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政府目標では足りない

2017-07-30 20:53:07 | 雇用・経済

最低賃金3%上げ、政権目標達成 中小企業に重荷も(朝日新聞)

 2017年度の最低賃金(時給)の引き上げ額の目安は、2年連続で安倍政権の目標通りの「3%」となった。政府目標をにらみながらの議論のなか、経営者側は「経営の厳しい中小企業の負担になる」と反発したが、賃上げによる景気の底上げを狙う政権の方針に沿う結論となった。

 

 さて朝日新聞は「中小企業に重荷!」などと見出しに掲げているわけですが、どうしたものでしょうね。最低賃金の3%引き上げは政権の目標通りと言うことですが、元々が非常に低いのが日本の最低賃金です。そこから僅かに3%程度を引き上げたところで、日本で働く人の生活が豊かになるとは全く考えられません。政権批判に結びつけたいのなら「3%程度の引き上げではアリバイ作りにしかならない、より大幅な引き上げが求められる」と説くべきではないでしょうか。

 まぁ朝日新聞は反政府系メディアであると同時にブルジョワ新聞でもあります。連合辺りと同じように、どうしても労働者の立場よりも経営者の立場を優先して物事を考えてしまうものなのかも知れません。影響を受けるであろう、最低賃金ラインで働く人の声ではなく、あくまで雇う側、経営する側の声を真っ先に伝える辺りにメディアの立ち位置が如実に表れている、とも言えそうです。

 それはさておき賃金水準を引き上げると失業が増えると、そんな夢物語を口にする人も日本では多いわけです。一部の人の根拠なき願望に過ぎない代物など相手にする必要はありませんが、そもそも日本では氷河期と言われた時代ですら失業率は至って低いものでした。その代わり、過労死する人がいたり、フルタイムで就業しているのに収入は生活保護水準以下のワーキングプアと呼ばれる人々が存在していたりします。

 普通の国では、職がないから貧しいのです。しかし日本では「職があるのに貧しい」という不思議な現象が当たり前のように見られるわけです。確かに世界経済の孤児たる日本は何事も特別なの知れませんが、それが好ましい影響を生み出しているようには全く思えません。果たして「選ばなければ仕事はあるが、働いても豊かになれない」国に明るい未来は望めるのでしょうか。とりあえず、多少は失業率が高くとも働けば豊かになれる国の方が、実績はあるように見えます。

 そもそも規制が緩く、組合も弱ければ訴訟リスクも低い日本の場合、リストラや非正規への置き換え、サビ残や労働条件の不利益変更がきわめて容易に行われて来ました。生産性を向上させたりイノベーションを生み出したり、そういうことが「出来ない」企業でも、人件費を削減することで生き延びることが可能であったのが日本社会であり、それを推進することが改革と呼ばれてきたわけです。結果として――日本で働く人は貧しくなり、日本の国内市場の購買力は低下し、日本国内でモノが売れなくなる――その中で企業が生き延びるために人件費を抑制するサイクルが続いてきたと言えます。

 たかだか3%程度の最低賃金の引き上げにすら対応できない企業が日本社会にできる唯一の貢献は、速やかに市場から退場することです。働く人の賃金を押さえ込むことでしか延命できない企業など、日本社会の寄生虫でしかないのですから。そして「経営者側」も朝日新聞も寄生虫の生命を憂慮しているようですけれど、心配される側は寄生虫にむしばまれている側のはずです。

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連合にとって大切なもの

2017-07-16 22:58:14 | 雇用・経済

「残業代ゼロ法案」連合容認へ 方針転換、組織に反発も(朝日新聞)

 連合は、専門職で年収の高い人を労働時間の規制から外す「高度プロフェッショナル制度」について、政府に修正を求める方針を固めた。近く神津里季生(こうづりきお)会長が安倍晋三首相と会談し、要請が認められれば同制度の導入を容認する構えだ。ただ、こうした執行部の方針に連合の組織内で強い反発が出ている。

 政府は同制度の導入を盛り込んだ労働基準法改正案を国会に提出済みだ。3月にまとまった「働き方改革実行計画」は、改正案の早期成立を目指すと明記。政府は今秋の臨時国会で審議する予定だ。

 改正案は、為替ディーラーなど年収が1075万円以上の専門職を対象に、年104日以上の休日取得▽労働時間の上限設定▽終業から始業まで一定の休息を確保する「勤務間インターバル制度」の導入――から何らかの対策を講じることを条件に、残業や深夜・休日労働をしても割増賃金が一切払われなくなるという内容だ。

 野党は「残業代ゼロ法案」などと批判しており、2015年4月に国会に提出されてから審議はされていない。連合も「長時間労働を助長する」などとして法案の取り下げを求めてきたが、これまでの主張を事実上転換する。

 

 さて安倍内閣が世論の反発に怯んで棚上げにしていた法案ですが、連合が唐突に後押しを始めたことが伝えられています。経団連は歓迎する意向を表明しているそうですけれど、首相の方はどう感じているのでしょうか(友達は選ばないと失敗しますから!)。まぁ、これまでも安倍内閣の賃上げ要請に異論を唱えて来たのが連合です。労組に偏見を持つ人は多いですが、世間で思われているよりも連合はずっと右寄りで企業寄りだということは、もう少し認識されても良さそうに思います。

 政府自民党に接触を図るのは一概に悪いことではありません。与党に働きかけるのは、与党と断交するよりも建設的です。そして何があっても特定政党支持に固執するのではなく、政策次第で支持政党を変えるのも、まずまず正しい判断とは言えるでしょう。ここに来て急速に陰りを見せ始めた安倍内閣だけに、創価学会に代わる組織票をちらつかせて政府に自らの政策・主張を受け入れさせようとするのは、間違った考えではありません。しかし、そこで出てきた意見が安倍内閣よりも経営者寄りでは……

 確かに日本のように賃金水準が低い国であれば、「年収が1075万円以上」とは一握りのエリートのための規制であるように感じられるかも知れません。しかし、大卒初任給として月40万円を提示したファーウェイなどを挙げるまでもなく、グローバルな賃金水準で見れば年収1000万円が本当に「高度プロフェッショナル」として例外扱いされるほど高いかは疑わしくもあります。そもそも経団連の思惑として、この法案の適用対象を段階的に引き下げたい、年収400万程度まで持って行きたいというのは何度となく表に出ているわけです。

 21世紀の日本は、低賃金で雇用の保障すら疑わしくとも「正社員である」と言うだけで特別な働き方を要求される社会です。経団連としては、「正社員」=「高度プロフェッショナル」⇒「残業代ゼロ」ぐらいの感覚なのではないでしょうか。その辺の実態は連合からすれば見えていないのか、それとも見て見ぬフリをしているのか、いずれにせよ労働者にとっては制度の不利益変更でしかありません。しかし、連合にとっては経営側に道を譲ることこそが現実路線なのでしょう。

 総じて日本の政治家は利益よりも理想を優先すると言いますか、己の理念に適う政策であれば、失敗することが明らかであろうと野党や世論の反発が強かろうとゴリ押ししてしまうものです。だから逆に、政治家にとって「拘りのない」分野の方こそ合理的な判断が下される傾向にあるように思います。そして安倍晋三の場合は、経済政策に拘りがない、経済政策を己の理想に染め上げるために政治家になったわけではない――ゆえに、反発の強かった残業代ゼロ法案はあっさり棚上げしてきた過去もあるのではないでしょうか。

 しかし、安倍晋三にとって優先事項は高くないであろう残業代ゼロ法案に火を付けて導入を後押ししているのが、形式上とはいえ労働者の代表ということになっている連合なのですから目も当てられません。年104日以上の休日取得などという祝日も盆も正月も休めるかどうか疑わしい、そんな緩い条件で残業代の不払いを合法化させようとしているのですから、むしろ労働者にとって連合こそ打倒すべき敵に見えてきます。デモとかやるなら、反安倍内閣より先に反・連合ですね。

 後はまぁ、連合にとって重要なのは労使協調の他に「反共」もあるわけです。そして先の東京都議会選では共産党がそれなりの議席を取りました。自分たちこそが労働者の代表として、企業側の決定を承認する権利を独占してきた連合としては、共産党が伸びてくること以上に不愉快なことはないのでしょう。自分たちが左右してきたつもりの民進党も(機能しているかは疑問ですが)共産党と連携する場合が出てきただけに、この辺も連合が苛立つ要因になっていると考えられます。そこで自らの権力を守るため反共の同志を求めて連合が下した結論が、より財界側に軸足を移すことだったのかも知れません。

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日本=安い国

2017-07-10 00:06:37 | 雇用・経済

華為が日本に通信機器大型工場 中国勢で初、技術吸収(日本経済新聞)

 通信機器大手の中国・華為技術(ファーウェイ)が初の日本生産に乗り出す。年内にも大型工場を新設し、通信設備や関連機器を量産。日本の技術と人材を取り込み、日本や他の先進国で受注を増やす。事業買収や研究開発拠点の設置が中心だった海外企業による対日投資が生産まで広がる。中国企業が日本に本格的な工場を新設するのは初めて。

(中略)

 すでに研究拠点を持つ華為はさらに生産まで乗り出す。日本は人件費の高さが課題だったが、中国の人件費が上昇して差が縮小。日本の割高感が薄まり、華為は新工場で生産管理の人材を多く採用する予定。中国流の低コスト大量生産と組み合わせ、品質と価格競争力を両立させる。

 

 さて内部留保を増大させるしか能がない日本企業を尻目に、中国企業は進歩を続けているわけです。ラオックスなりシャープなり、駄目になった日本企業が中国企業に買われて再建を果たすなど20世紀には考えられなかったことですが、今や日本は経済力において大きく立ち後れた国家となりつつあります。人件費が高騰する中国に比べて一向に人件費が上がらない日本ですから、むしろ「コスト削減のために」日本へ中国企業が進出してくるのは、今後も増えていくのではないでしょうかね。

 

ファーウェイの初任給月40万円が話題 「普通に就職したい」「優秀な人は流れていっちゃう」(キャリコネニュース)

中国の通信機器大手・華為技術(ファーウェイ)の日本での初任給が40万円以上だと話題になっている。

リクナビ2018に掲載されたファーウェイ・ジャパンの求人広告によると、募集職種は「通信ネットワークエンジニア」「端末テストエンジニア」「端末アフターサービスエンジニア」「研究職・アルゴリズムエンジニア」の4つ。月給は学士卒で40万1000円、修士卒で43万円に設定されている。年に1回以上は賞与があるというから、賞与が月給2か月分だとすると年収は初年度から560万円以上になる。

「有給消化50%以上」「完全土日祝休み」ともあり、きちんと休むこともできるようだ。もちろん各種社会保険も完備されており、退職金制度も整っている。

 

 ……そしてファーウェイの新卒向け求人の条件がこちら。日本では大手企業でも最初は20万前後からというカルテルでも結ばれているかのような水準が長年に渡って続いているのですが、真のグローバル企業にとって日本の慣習などは関係ないようです。郷に入りてはなんとやらで外資系企業も日本人向けには日本水準に賃金を落としてくるところも多いですけれど、ファーウェイは良い意味で日本の流儀を無視してきたと言えます。

 プロスポーツの世界では、(短いスパンでは番狂わせもあるとは言え)選手の総年俸とクラブの成績は比例します。良い選手には相応の高年俸が支払われるもの、秀でた選手の集まるチームなら年俸が高いのは当たり前、しかるべく評価額を提示できなければ優れた選手は集まらないものです。もちろん弱いチームに選手獲得の優先権を与えようとする護送船団リーグもありますけれど、選手の価値に見合った報酬を支払えないチームは容赦なく降格させられるリーグもあるわけです。

 そこで日本のビジネス界は、どうでしょうか。一見すると国内競争を煽り立ててきたようでいて、その実は限定された分野での競争に止まっている、不毛な消耗戦のごとき競争は続けるけれど、発展のための有益な競争は行っていないのが実態ではないでしょうか。つまり、人件費を削ってサービス提供価格も引き下げるデフレへの競争には熱心な一方で、優秀な人材確保のために報酬を引き上げるような競争は行ってこなかった、と。

 とかく排外主義者に限らずハト派の政党でさえも外国の企業を鬼畜米英のごとくに語ることが目立つわけですが、むしろ日本には再度占領されることが必要な気すらしてきます。今の日本では「正社員であるだけでありがたく思え」みたいなレベルで通っていますけれど、そんなものは中国企業にでも駆逐されてしまうべきでしょう。GHQでも鴻海でもファーウェイでもどれでも良いですが、日本は改めて世界からビジネスを教えてもらわないと駄目なように思います。

 まぁ、とにかく人件費の安い国になりたい、内部留保の積み上げこそが豊かさなのだと、そう考えているのなら日本式の経済理論で続けていけば良いのかも知れません。たしかに、それが理想であるならば日本の改革は成功したと言えそうです。しかし、「人件費の安さを当て込んで他国が工場を建設する国」になろうとするのは未来志向なんでしょうか? 国内で働く人の給与水準もGDPも全く伸びないのに内部留保だけが増大を続ける社会ってのは持続可能なのでしょうか? 日本の政治家、経済系のメディアと言論人、そして企業経営者は、いい加減に自分たちの追い求めてきたものが完全な誤りであったことを自覚すべきです。

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低い生産性こそ日本のアイデンティティなのかも知れませんね

2017-07-02 22:53:14 | 雇用・経済

「仕事終われば帰る」過去最高48% 新入社員意識調査(朝日新聞)

 まわりが残業していても、自分の仕事が終われば帰ろう――。そう考える新入社員が約半数にのぼることが、日本生産性本部が26日発表した新入社員の意識調査でわかった。長時間労働の是正など「働き方改革」への関心が高まるなか、自分の時間を大事にしたいという意識が高まっているようだ。

 仕事についての考えを問う質問で「職場の上司、同僚が残業していても、自分の仕事が終わったら帰る」という項目に「そう思う」「ややそう思う」と答えた人の割合は計48・7%。前年度より9・9ポイント高く、同じ質問を設けた2001年度以降で最高だった。「職場の同僚、上司、部下などとは勤務時間以外はつきあいたくない」という項目では「そう思う」「ややそう思う」が計30・8%。前年度より10・1ポイント高く、こちらも過去最高だった。

 

 「仕事終われば帰る」と回答したのが48%と言うことですので、裏を返せば50%以上の人は「仕事が終わっても帰らない」ことがわかります。まぁ、これもまた日本の生産性の低さを象徴する一幕でしょうかね。ただ問われているのは「意識」のようですので、実践できているかどうかは不明です。こういう片手落ちの調査に予算を費やしているあたりからも日本の生産性の低さはうかがわれるのかも知れません。

 とりあえず「考え」を問われる限りでは、半数未満の人が「仕事が終わったら帰る」と回答しています。これが実際に帰れているのかどうか、継続できているのかどうか、そこもまた問われるべきではないでしょうか。帰ろうとしても同僚や先輩社員から暗に引き留められて帰れなかったり、この調査が行われたであろう4月頃には帰れていたものが、入社して時期が経つに伴って帰れなくなっていたり、そういうこともあるはずです。

 そして入社したばかりの頃に「仕事が終わったら帰る」と回答していた人の5年後ぐらいはどうでしょう。入社当時はマトモな考え方が出来ていたとしても、会社勤めで次第に頭が悪くなることもあるわけです。その辺の追跡が出来れば、単なるアンケートで終わらない有意義な調査にもなり得ます。まぁ、「とりあえずアンケートを集めてみた」みたいなのでも我が国では通用してしまうもので、この辺は報道する側にも問題意識を持って欲しいところです。

 そもそも前提にある「職場の上司、同僚が残業していても~」からして、その内容が問われます。なぜ「上司、同僚」は残業しているのでしょうか。本当に仕事が終わらないから残業しているのか、それとも仕事が終わっても「周りが残業しているから」、自分も帰社せず仕事をしているフリをしているだけなのか、この辺こそ生産性向上のためには厳しく追及される必要がありそうです。

 結局のところ「仕事が忙しいから」ではなく「相互監視が厳しいから」残業しているだけの組織も日本には多いような気がします。職場の皆が「周りが残業しているから」自らも残業する、それもまた我が国の長時間労働の一因です。そして「残業することが決まっている」以上は、時間内に仕事を終わらせようとする努力こそ無意味になる、残業を前提にダラダラと仕事を引き延ばす方が日常になってしまっているのではないか、と。

 ちなみに自分の勤務先を考えると、残業がラマダンの断食のような意味合いになっていると感じることが多いです。別に、そんなことをやってもやらなくても何かが変わるわけではない、ただ「皆が」同じ荷を負うことで共同体としての一体感を高めようとしているのかな、ぐらいに感じています。仕事を終わらせて一人だけ定時に帰ると、まさに異教徒になった気分が味わえますよ!

 「仕事終われば帰る」と回答した人が新入社員だけでも過去最多というのは好ましい傾向ですが、それでも半数未満です。そして実践できているかは分からない、数年後も正気を保てているかどうかは分からないわけです。周りが残業しているから仕事が終わっても帰らない、そんな上司や同僚の姿を見て、自分も帰らない、それを見た別の社員も帰らない……この負のサイクルを日本人は自らの手で破壊できるでしょうか?

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私の勤め先だったらどうなんだろう

2017-06-11 22:56:00 | 雇用・経済

「休めないなら辞めます」イマドキ20代が余暇を優先する理由(AERA)

 頼むから、出ないでくれ──。

 都内の大学に通う、就職活動真っただ中の男子大学生、横山正さん(仮名・21歳)。ここ数日、夜11時以降は、一人暮らしのアパートの部屋から“志望企業”に電話をかけるのが日課になっている。汗ばむ手でスマホを握りしめ、祈るように番号を押す。だがワンコール鳴ったところで、願いは砕け散る。

「はい、○○(会社名)でございます」

 相手の声を聞き、急いで電話を切った。

「ここも、ウソつきか……」

 手帳に書いた志望リストの中から、電話に出た企業名にチェックを入れる。優先順位が落ちたことを示す印だ。日曜日に電話して電話に出た企業にも、同様のチェックをつけた。明日は友達と飲みに行った後、深夜に志望企業の電気が消えているかどうか直接見に行くつもり。こうして、入社後に残業を強いられないか、週末は本当に休めるのか、企業の実態を確かめているのだ。

 そこまでする理由は、企業が採用募集時に公表する平均残業時間や有休消化率を「全く信用できないから」(横山さん)だという。

「現に残業ゼロをうたっているところでも、深夜や日曜日でもワンコールで電話に出る人がいて、背後で働く人がいる様子が伝わってきたこともある。先輩からも“会社が公表する数字なんて、お飾りみたいなものだ、信じるな”って言われてきました。いわば選考に進む前の“自己防衛”みたいなものです」

 

 引用元では「理由」の方が主題だったりするのですが、それよりも紹介されている事例の方が興味深いと言えるでしょうか。実際のところ新聞や雑誌、それ以上に経済誌や求人票が描き出すノンフィクション風フィクションと現実の会社は全くの別物、ここでの横山正さん(仮名・21歳)のように、真実は自分で調べる必要があるわけです。そのための簡単な方法として、深夜や休日に電話をかけてみた、と言うことですね。

 「会社が公表する数字なんて、お飾りみたいなものだ、信じるな」とは全くその通りで、我々の社会には「嘘をついても許される」場面があります。その極北が求人広告であり、ハローワークのような公的機関を通しても虚偽の記載が認められているのは幅広く知られるところでしょう。だからこそ、日本で働こうとする人なら誰でも、「自己防衛」が必要になります。

 ……もっとも、ここで紹介されている手法の有効性には疑問がないでもありません。もちろん参考にはなりますが――例えば私の勤務先の場合、深夜まで残業している人、休日出勤している人はいくらでもいます。しかるに、その辺の連中は決して電話に出ません。「仕事に追われる忙しい自分」を演出することに一生懸命で、かかってきた電話を取ったりはしないのです。

 電話口で相手を待たせたり、電話に直接出ないで誰かに取り次がせるのは、マウンティングの古典的手法として昔から使われてきたものですが、深夜や休日に会社にいる意識の高い社員の基本行動でもあるように思います。私の勤め先であれば入社時の研修で、「電話は3コール以内に取れ」とか「電話は保留して30秒以上は待たせるな」とか教わるのですが、それが転じて電話で相手を待たせることが、自身と相手の力関係を誇示するための手法として定着していたりします。新人であれば守るべきルールからの逸脱を、自分は許された立場なのだ、と。

 ともあれ私の職場であれば、深夜や休日にまで会社にいるような人が電話を取ることはありません。彼らにとって電話は、「(下のものが)自分に取り次いでくるもの」だからです。だから横山正さん(仮名・21歳)が夜11時や日曜日に電話をかけても、誰も出ません。そのため、経験の浅い人から見れば「深夜残業や休日出勤のないマトモな会社」と思えてしまう可能性があります。でも、実態はどうでしょうね?

 まぁ、私の勤め先で深夜や休日に会社にいるのは、生産性の低さと自己評価の高さが綺麗に反比例している人が基本で、上司の評価や同僚との関係を気にしなければ、割と定時で帰れたりします。というか、私など深夜残業&休日出勤の常連だった人の仕事を引き継いだにも関わらず4月から定時退社を継続中だったりするわけです(参考)。ただしまぁ、定時で帰れば睨まれる、電話を取れば舐められる、昇進するのは残業時間の順番、みたいな部署ではあります。上司はと言えば決して自らが楽をしようなどとは考えず、率先してサービス残業することで部下に範を示す、そんな職場です。横山正さん(仮名・21歳)から見て、ウチの会社ってどんなものでしょうか?

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担当する仕事が変わった結果

2017-05-28 21:26:32 | 雇用・経済

 さて私の勤務先での話となりますが、4月には東北の人間を東京に、東京の人間を東北へ異動させるなどの「抜本的改革」が行われまして大混乱だったわけです。そして私自身は異動にこそならなかったものの、異動した人の業務を引き継ぐことになりました。その結果――4月1日から今日に至るまで、残業0を継続しています。

 今まで担当したことがなかった仕事と言うことで何事も調べながら進めたにもかかわらず、定時までには余裕を持って片付きました。ただ一つ分からないことがあるとすれば、自分の前任者が何をそんなに時間をかけていたか、ですね。前任者は毎日の残業だけでは飽き足らず普通に休日出勤していたのですが、あらゆる可能性を考慮しても、そんなに時間を要する仕事には見えないわけです。

 部署のメンバーが異動して人員補充がないにもかかわらず、仕事が暇になるようなケースもまた割と真面目にあるように思います。まさしく無能な働き者が足を引っ張っていると言いますか、部署のボトルネックになっている人は普通にいる、その人が「いなければ」物事がスムーズに進むようになる、これは決して珍しいことではない気がするのです。

 あるいは営業であれば売り上げの数値が概ね指標として信頼できるのでしょうけれど、世の中には成果を数値化できない業務が山のようにあるわけです。売り上げが伸びない営業だけが社内でやり玉に挙げられる中で、その実は非営業部門に驚くほどの無能が犇めいているのではないかと感じることが最近は多いですね。正直、営業の人に対して罪悪感すら覚えます……

 ともあれ私は前任者の仕事を4分の1ぐらいの時間で片付けてしまいまして、次回以降は手順が分かっているので前任者の10分の1ぐらいまでに時間を短縮できそうな気がするのですが――上司からの評価は下がり続けているように思えてなりません。先日も部長から「これからはもう少し残業することも考えてもらわないと……」みたいなことを言われました。

 「それは違うんじゃないですか?」と私は答えました。「時間内に仕事を片付けられない結果として残業になるのであって、最初から残業になるように働くのは間違っていると思いますよ」みたいに部長と課長に返したわけです。話が平行線に終わったのは言うまでもありません。以来、課長はこっちが挨拶しても返事すらしない、話しかけても顔を向けさえしないようになりました。まぁ、価値観の相違って奴ですね。

 定時帰りでも余裕を持って片付けられるような仕事に、私の前任者は際限なく時間を費やしていました。それを野放しにしていた時点で上司の仕事ぶりには疑わしいものがあります。とはいえ、自分の上司が特別に無能だとも思いません。隣の部署の上司や過去に勤めていた会社の上司と比べても、大差ないと考えています。たぶん日本の会社で出世するような人としては、それが普通なんだろうな、と。

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財務省が言うなら間違いない

2017-05-14 22:17:54 | 雇用・経済

高等教育は「個人利益」 財務省、公費での無償化に慎重姿勢(ロイター)

[東京 10日 ロイター] - 財務省は10日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で、高等教育の無償化案に関する論点を示した。高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的だ。

(中略)

高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。

 

 さて政府自民党や大阪維新村が高等教育の無償化を言い出しているわけでして、それがなぜか改憲論の一節だったりするので奇妙な話ですが(教育無償化になぜ憲法の改正が必要かを説明できる人はいないでしょう)、総論としてはさておき各論として高等教育の無償化は望ましい話と言えます。しかるに、この高等教育の無償化案に関して財務省は「個人の私的利益」に繋がるとの理由で否定的な見解を示しているとか。財務省の観点では森友学園に国有地をタダ同然で払い下げるのは公共性に適っている一方、高等教育を無償化するのは私的利益のようです。

 まぁ、常に誤った判断を下すのが財務省ですから、財務省の主張の逆を行けば概ね間違いはない、誤りを避けられるというものです。財務省が「個人の私的利益」に繋がると説くからには、高等教育の無償化の公益性は疑う余地がないでしょう。財務省が反対することだからこそ、自信を持って推し進めるべきです。的中率が50%の予報は判断材料として使い物になりませんが、的中率0%の予報には信頼が置けます。財務省のお墨付きとして、公共のために高等教育の無償化を早期実現させることが望まれます。

 実際のところ、普通の国では国民の教育水準の向上は国家の各分野での競争力向上に繋がるものと考えられているのではないでしょうか。教育水準の低い人間ばかりの国と、教育水準の高い人が大半を占める国、文化面でも経済面でも、どっちが強い国であるかは明白です。国家を繁栄させたいのであれば、国内居住者の教育水準を引き上げていくのは不可欠なプロセスと言えます。ところが、普通でない国もある、世界経済の発展から取り残された異形のデフレ国家である日本には世界の常識が通用しないわけです。日本は自国民の教育水準が向上することを望まない人が幅を利かせる、ガラパゴス列島ですから。

 日本人は愛国心が強いので、高等教育修了後もそのまま日本で働こうとする人が圧倒的多数を占めるのですが、一方で日本の会社が求めるのは馬鹿の一つ覚えのコミュニケーション能力だったり、若さや出身大学のネームバリュー、体育会系の部活動の経験だったりします。世界で通用する人材になるための教育ならば大学にも可能なのかも知れませんけれど、日本で通用する人材になるために大学が出来る事って、いったい何なのでしょうか? 日本社会で活躍できる人間を輩出するために日本の大学が選んだ道は、就職予備校への道だったりもするわけです。

 例えば「履歴書を手書きする能力」や「面接で架空のエピソードを披露する能力」に関しては、日本人が世界一だと思います。しかし、こうした「日本で就職するために必要な能力」を教育したところで、日本の経済発展には何ら寄与しないのは言うまでもありません。結局のところ日本の会社が求めるのは高度な教育を受けた人材ではなく、安く若く従順な人でしかない、そうした状況下では高等教育も「他人に差を付けるための手段」にしかならない、社会の発展に繋がらないものになってしまうのでしょう。猫に小判、豚に真珠、日本の会社に知性と教養です。

 「高卒者と大学・大学院卒者では『生涯所得が6000─7000万円異なる』」というのは紛れもない現実として、ではそこに正当性はあるのか。大卒者の方が所得が多いのは、それだけ会社に利益をもたらす人材であるから、と言うのなら話は分かります。そして高等教育を受けた人材が会社に利益をもたらすのなら、高等教育の無償化により国民の教育水準が上昇すれば、それは国家全体の生産性の向上に繋がるはずです。一方で単純に学歴によって差別的な取り扱いをしているだけであれば、高等教育は社会の生産性の向上ではなく、「個人の私的利益」にしか繋がらないものとなるのでしょう。

 まぁ、労働者の教育水準を生産性に結びつけられる社会であれば、国民の教育は国家のためにもなる、しかし教育水準の向上を生産性向上に結びつけられない愚かな経営者の支配する社会では、財務省的な世界観が成り立ってしまうのかも知れません。そして我が国は――大学で学んできたことを企業から問われない社会です。国それぞれに独自の文化や風習、評価基準はありますけれど、日本のそれはどうでしょうね。日本が世界経済を牽引し続けているのなら日本のやり方が正しいと言えますけれど、反対に日本の経済的地位が沈下を続けているのなら、間違っているのがどちらかは考えるまでもありません。

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生産性を下げる人々

2017-05-07 23:17:11 | 雇用・経済

 「無能な働き者、これは処刑するしかない。理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすからである。」 ……とはドイツの軍人が語ったとの触れ込みで広まった都市伝説の一節ですが、由来の疑わしさはさておき納得のいく言葉ではあるように思います。他に「有能な怠け者、これは総指揮官に向いている。有能な働き者、これは参謀に向いている。無能な怠け者、これは連絡将校もしくは下級兵士に向いている」等々。

 まぁ有能な人間というのは本当に希有な存在ですので、どこの組織も基本的には「無能な働き者」と「無能な怠け者」で構成されているわけです。傑出して有能な人々の集団であれば何事も上手くいくのでしょうけれど、普通の賃金で集められるのは特別な才能を持った人ではない、平凡な人々です。実際に使えるのは「無能な働き者」と「無能な怠け者」だけ、その中でいかに適切に人を起用できるのかが、管理職や経営者には問われます。

 

自己責任で「休日出勤」したら上司に怒られた! 勝手に働いたらダメな理由

せっかくのお休みなのに、仕事が気になってしまい、自主的に休日出勤したことはありませんか。昔であれば「やる気がある」と認められた行動かもしれませんが、今はそういう時代ではなくなろうとしています。

しかし中には、休日であっても会社に行きたくなってしまう人もいるようです。ネットの掲示板には、自主的に休日出勤をしたら、上司に叱られてしまったという体験談がありました。投稿者は、自己責任で出勤しているとの認識で、不満を抱いたようです。

 

 ここで出てくる「自己責任で出勤している」投稿者は、典型的な「無能な怠け者」と言えます。幸いにして投稿者の職場にはマトモな上司がいたようですが、とかく自主性を尊び指示を待つことを絶対悪とする日本の職場では、このように自主的に休日出勤するような人こそ「やる気がある」と高く評価されがちではないでしょうか。巷には自主的に残業することを勧めるコンサルタントの類いも少なくありません。「自主的に」労働時間を延ばすことは、日本の会社で認められるための最大公約数的な方法であり続けています。

 一方で日本の労働生産性は先進国では最低クラスです。まぁ日本は既に先進国からは脱落したと言われればそれまでですが、とにかく「時間当りの」生産性が低いわけです。そして、この突出して低い生産性を支えているのが日本の会社で地位を得ている「無能な働き者」達ではないかと、私は思います。「無能な怠け者」はなるべく労力を使わずに仕事を終わらせるものですが、逆に「無能な働き者」は仕事を創ってしまう、言われなくても余計な仕事を増やしてしまいますから。

 ここで「無能な働き者」の仕事ぶりにメスが入るような社会であれば、日本の生産性にも多少の改善は見られるのかも知れません。しかし、会社から疎まれるのが「無能な怠け者」であるならば、どうなるでしょうか。指示を待つことを絶対悪とする日本の職場では、無能な怠け者は許されません。逆に「指示を待たずに、自主的に」行動する無能な働き者が賞賛されがちです。そうなると、仕事を増やす方が模範になる、仕事を最低限の労力で片付けようとする人が相対的にマイナスの評価を受ける、かくして生産性は低下の一途を辿ると言えます。

 上記引用の投稿者も、意識が高いと言いますかビジネス本の類いを鵜呑みにするタイプと言いますか、いずれにせよ「良いこと」と思って自主的に休日出勤していたのでしょう。それが怒られたから心外だ、と。確かに、一般的な職場では褒められる行為なのかも知れません。実際、積極的な休日出勤やサービス残業で昇進していった人の姿を見ることは珍しくありませんから。しかし、無能な働き者が自主性を発揮することを許すほどに、職場の生産性は低下していくのです。

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コミュニケーション能力社会の帰結

2017-04-23 23:50:39 | 雇用・経済

誰に対しても当てはまる! 札幌市の発達障害「虎の巻」が話題に(withnews)

 職場編では、虎夫さんのパン作りの例を紹介。先輩から「適当にクリーム塗っといて」と指示されて作業したところ、塗りすぎて注意を受けてしまいます。

 「クリームをあんなに塗るなんて『普通に考えて』ありえない」という先輩と、「『どれくらい』塗るかおしえてくれなかったのに」と感じている虎夫さん。

 その後、先輩が手本を見せながら作ることに。先輩が作業しながら「こうやって塗ってください」と伝えると、虎夫さんは正確かつきれいに塗れるようになり、褒められるという内容です。

 他にも「手順が決まれば効率アップ」「期限がわかれば集中力倍増」「聞く人決まれば迷わない」といった例が掲載されています。

 発達障がい支援情報のページ/札幌市

 

 先週の記事で軽く触れた話になりますが、札幌市が配布している「発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント」と題された冊子が、ちょっとした話題になっていたりもしたわけです。職場編を要約すれば「具体的に指示を出しましょう」という、たったそれだけのことなのですけれど、これが「誰に対しても当てはまる!」と共感を呼んだりもしたようです。しかし、「誰に対しても当てはまる」と共感した人がネット界隈に少なからずいたとしても、具体的に指示を出すことは「障害のある人のための特別な配慮」として位置づけられているのが現実です。「健常者」であろうとするなら何をやるべきか明示されなくとも察して行動することが求められる、それが日本の職場ですから。

 ……毎年毎年、似たような「新人への不満」がメディアに載ることがあります。曰く○○が出来ない、○○を知らない云々。しかし求人広告を見る限り企業が求職者に求めているのは一貫して「コミュニケーション能力」の類いであり、具体的に何かが出来ること、何かを知っていることではないわけです。「仲間と力を合わせて仕事を進めたい方」「内外の方と円滑なコミュニケーションが図れる方」「自ら積極的な関係づくりができる方を歓迎します」等々、こういう基準で選別された日本の労働者ですから、そのスキルや知識が不揃いとなってしまうのは、致し方のないことではないでしょうかね。

 あるいは「学生が勉強しない」云々も昔から言われていることですけれど、それは日本社会(日本の会社)が勉強する学生を求めていないからです。どこの国でも勉強のために勉強する物好き以外は、「良い仕事に就くために」進学します。しかし大学で何を学んだかが問われないのなら、卒業後の進路を真面目に考えている学生ほど「勉強以外」のことを考えるものです。そして日本の会社が学生に求めているのは、至って具体性に乏しい代物ばかりではないでしょうか。「会社の役に立つ人間になるために」何が必要なのか、我が国の企業は学生に明示していません。それはたぶん、発達障害でもなければ(言わなくても)分かって当然、と考えられているのでしょう。しかし大半の大学(就職課)や学生達は採用側の求めを具体的に理解できず迷走している、そして会社側も結果に不満を持っていると言えます。明らかに何かが間違っていると思わないでもないですが……

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